1993 Europe日記
1993.3.3(Wed)
16:10 Oxford駅に戻る。ユースホステルでも見かけた女子大生と、駅で偶然会って話などをする。そして今朝、Paddington駅で知り合ったという男子学生とも一緒に、3人でロンドン市内へ帰ることに。
16:15 Paddington行き列車に乗る。しかし、Signal Accidents=信号故障とかで駅が閉鎖。乗り換えを余儀なくされる。
たまたま同席していた老婦人が少し日本語を話せたため、この方に連れられて、Waterloo行きでLondonに向かうことに。老婦人は15~16年前に奈良女子大で一年ほど英語を教えていたという。その間、大阪、京都に行ったり、北海道へも遊びに行って楽しかったという。ただ東京はクレージーにうるさい街だと思ったそうだ。確かにロンドンに較べると東京の渋谷や新宿はとんでもない場所かもしれない。しかしこのタイミングで日本語を話せる現地の人と会えるとは何という偶然。
16:45 Reading駅で乗り換え。この時に乗った電車がかなりすごかった。全てのボックスシートに扉が付いていて、客は車外から空席を見つけて扉を手動で開け、乗り込むというもの。かなりすごい考え方だ。車内には進行方向に貫通する通路がほぼ無い。とにかく乗車も下車も横移動である。この奇妙な車輌、是非、何かのテレビ番組などで取り上げてくれないかなぁと思うのだが、今までテレビで見たことがない。予定外の行動でバタバタしていたため、車内の写真を撮り忘れてしまったのが、今でもとても残念だ。
後年、調べたところ、このタイプの車両はスラムドア車(Slam door trains)と呼ばれている旧式の客車だそうだ。2003年頃以降は保存鉄道などでしか見ることができないものだという。自分で撮った写真がないので、詳細は下記、Web上にある記事や写真をご参照頂きたい。
五十四にして天命を知る(肝門部胆管ガンを患って)
> スラムドア トレイン 1/3
世界の車窓より > イギリス「プチ留学」の旅・その19、ヘイスティングスの電車
イギリス女一人旅。 > タンブリッジ・ウェルズへ出発!
このとき私は、先ほどの女子大生と同じボックスに乗り込んだため、ここから1時間、彼女とぐだぐだといろいろ話し続けることになった。
18:20 列車はロンドン郊外の環状線を走り、街の南側をぐるっと回り込んでようやくWaterloo Stationに到着。Reading駅から一緒になった大学生も一緒になって、4人でトラファルガー広場へ向かう。
ところでこの日、同行のK氏とS氏とは、18:00にNational Galleryの前で待ち合わせをして夕食を共にする予定になっていた。直行の列車でなら間に合うはずだったのだが、不測の事態になり完全に遅刻してしまったため、当然ながら彼らの姿はなかった。そんなわけで、私は今日出会った3人と共に4人で夕食をとることにする。ご飯ものを食べようと中華街に向かい、ここで軽く夕食をとり、更には同行の日大生の提案でショットバーへ行って、ウィスキーを少し飲み話をする。私自身は全然飲めないので、バーへ行くなんてのは当初の計画には全然なく、結果的に思わぬ体験をさせて貰った。
China Townにて
ロンドンの夜をちょっとだけ楽しんで、22時近くにバーを出る。同じユースホステルに泊まっていた女子大生と共に地下鉄で帰り、その後、食堂で他の日本人とも話をする。卒業旅行とかの場合、様々な学生がいるが、ヨーロッパで建物や街を見てるような学生の場合は、やはり建築関係が多い。
地下鉄窓口
K氏は23:00頃、宿に戻ってきた。National Galleryで落ち会えなかった後、彼はEric Craptonのコンサートへ行ったという。昼間に行ったグリニッジ(Greenwich)はチーズが腐ったような臭いが少ししたとか、テムズ川河口のDocklandは、なんだかまだ寂れているような感じだったと言っていたが、National Galleryは良かったという。やはり行っておけば良かったかなともちょっと思ったが、もう時間がないので無理。短期の海外旅行では見尽くせるものではないと、諦めることにする。
さて、明日は早くもパリ行きだ。
ヨーロッパ旅行記 1993.2.28~3.21
#鉄道 #夕景・夜景