Photo 2006.7.23
以前の記事で、銀座の建物は、銀座ルールという暗黙の紳士協定のようなもので、軒高が56m以下になっていると書いた。どこかの新聞にそう書いてあった記憶があったので書いたのだが、中央区のHPを見たら、銀座には平成10年から地区計画が掛かっていた。暗黙の紳士協定じゃなくて、ちゃんとした制度に基づく計画でした。暗黙のルールだったのは昔の話かもしれない。うーん、またもや確認不足。
平成18年10月に地区計画の見直しが行われ、屋上広告の高さも、最高で10mになったという。建物は最高でも56m以下なので、広告を入れても最大66mなんだそうな。ただ、銀座の中央通り沿いの建物で、最高高さ限度まで使っている建物は、8丁目の東京銀座資生堂ビルなど、まだわずか。
> 銀座地区の地区計画見直し
昭和37年の容積率制への移行より前には、建物の軒高は最高でも100尺以下に規制されていた。その規制の下でできた、和光や三越、教文館、その他の古い建物が作るスカイラインが、現在の銀座の街並みの基本になっている。最高高さ規制が無くなり、基準法が容積率制へ移行した後、昔の建物は、道路斜線制限をオーバーしない範囲内で、増築されたりしながら存続した。
銀座の場合、江戸期以来の町割りの関係もあって、敷地の大きさ、間口、奥行きが似通っている。総合設計制度などを利用して、公開空地を作るなどしない限り、高層建物が建てられない場所であり、土地条件が似ているため、結果的に似たような大きさ、高さの建物が建ち並ぶ街が出来上がってきた。70年以上前の建物を増築・改修しながら使っている場合でも、新しい建物と同じような高さ、ボリュームになる。お陰で銀座中央通りの街並みは、新旧様々な建物がある割に比較的揃っているといわれる。
地区計画から考えると、銀座の中央通り沿いに立ち並ぶ建物群は、今後、次第に56m=11階建て程度に建て変わっていく。松坂屋も当初の超高層案(190m)は断念し、沿道56m以下を基本にして検討する方向性になったとも聞く。突出して高い建物が建たないことになったのは、まずは喜ばしいことだ。
でも、建物群が建て変わっていく過程では、高いのと低いのが混在する街並みになるのは避けられない。もちろん、よく見れば今までも建物高さには多少のばらつきはあったし、いろんなサイズの広告塔が載っていたから、今後もさして変わらないとも言えるのかもしれないけど、どうなっていくのかなぁ。
建築・都市計画関係の人はよく御存知かと思うが、街並みを考えるとき、D/H比(道路幅員D/沿道建物高さH)という指標がある。D/H<1の場合、沿道建物が接近し、狭苦しい感じになる。一方、D/H>1の場合、次第に道が広い感じになり、2以上の場合は、広々とした感じになるという。
イタリア中世の都市は街路が狭かったため、D/H比は0.5程度。その後、ルネサンス時代、ダヴィンチはD/H=1が理想と考えていたという。その後、バロック期の街では、D/H=2と、道幅は建物高さの2倍となっていた(注1)。ヨーロッパでは表通りは、D/H比が1以上なのが良く、理想とされていたようだ。
もちろん、D/H比が1以上なのがよいというのは、ヨーロッパ的な考え方なので、日本でそれがそのまま当てはまるかどうかは分からない。日本には、広い目抜き通りが少ないので、私たちは広幅員街路にはあまり慣れていない。D/H比が2以上だったりすると、広すぎてちょっと寂しいと思ってしまう。ヨーロッパのような立派な街路にはあこがれるが、実際に使って楽しむのは、渋谷やアメ横などゴチャゴチャしたところ、というのが日本人の感覚かもしれない。
さて、銀座中央通りの道幅は約27m。現在の沿道建物の高さを40m程度とすると、D/H比は、27/40≒0.68。若干狭いが、日本では良好と言ってもいいほう。一方、将来の銀座の街並みD/H比は、27/56≒0.48。もちろん道幅Dが大きく、裏通りとはスケール感が違うが、比率としては欧米都市の裏通りみたいなことになってしまう。沿道建物の高さが1.4倍程度にはなるので、囲われ感が増し、空間としては今よりせせこましい感じになるのはほぼ確実。
これからどうなるのかなぁ、銀座。
(注1)参考:「街並みの美学」芦原義信、岩波同時代ライブラリー、1990。
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