新聞に、不忍池そばの有名な建物の解体が決まったとの記事が出たので、久々に見学に行く。
ソフィテル東京(旧法華クラブ、ホテルCOSIMA)
所在地:台東区池之端2-1
設計 :菊竹清訓
構造・階数・高さ:SRC・26F・110.2m
建設年:1994.6
備考 :営業終了:2006.12 解体・建て替え決定:2007.1
解体工事:2007.2~2008.5
右は、ルネッサンスタワー上野池之端(38F、136.5m、2005.3建設)
Photo 2007.1.21
わずか12年間あまりしか存続しなかった建物だという。昨年末にホテルが閉鎖され、三井不動産が購入したが、部屋数が83しかなく、マンションなどへの用途変更が難しかったらしく、解体して再開発することになったのだそうだ。設計者の菊竹先生は年明けにそれを知り、他の用途への転用もできなくはないのに相談もなしに一方的に決めたと憤慨したという。
設計者の立場からすれば憤慨はごもっとも。性急な解体決定にも疑問はある。本当に使い道を一所懸命に検討した末の結論なのかなぁ。変な形の建物だし、使い勝手が悪そうだから、壊して再開発しちゃえー、という結論が先にあったんじゃないのかなぁとも思う。
今回の解体決定報道は、微妙なトーンで語られていた気がする。不忍池の畔で独特の姿を見せ、良くも悪くも話題になっていた建物が、わずか12年で解体されることになってしまったという事実関係が述べられていて、不動産側など関連当事者のコメントなどが載るが、新聞として、また市民の声として、残念だとかいう意見は書かれていない。もちろん、無くなるのは良かった、などというあからさまな言い方はされていないが、特に思い入れがあるわけではなく、あまり残念そうでもない。論争を巻き起こした建物だったとは書いてあったが、それ以上の見解はなく、短命に終わった哀れさだけが目に付く書き方だった。解体決定によって池之端の景観の美醜に関する議論は既に終わったことになったのだろうか。たしかに解体決定によって、議論は奇妙な結末をひとまず迎えてしまったのかもしれない。
ソフィテル東京(旧ホテルCOSIMA)は、モミの木に似せたといわれる。だが当初から、不忍池ごしに見えるこの景観については賛否があった。反対する人々が問題だとする点には二種類があると思う。
1)建物のデザインが良くない、イヤだ、気持ち悪い、恐いなど、建物の形に関する反対。2)広がりを持つ不忍池の風景の中に、一つだけ背の高い建物が建って目立ちすぎているという、建物の高さに関する反対。(当時はルネッサンスタワーはまだ無かった。)
2)の場合は、池の畔に背の高い建物が建つ限り、解決はない。今回、ソフィテル東京が解体されても、ルネッサンスタワーが残るので問題は残る。一方、1)の場合は、形がおとなしければ許容されるので、ソフィテルが無くなれば、ひとまず解決ということになる。
周辺との調和を重んじる立場からすれば、どちらも問題で、仮に解体後の再開発によって普通の超高層マンションが建つとしたら、それもだめ。だが、東京ではあちこちに超高層マンションが建ってしまっているので、私は正直なところ次第に諦め始めている。低層の街並みの向こうに超高層が建つ風景に対して、怒るより慣れようとしている自分がいる。
それでも、この建物の景色は気持ち悪かった。慣れることが出来ないままだった。頂部と肩の部分に、航空障害灯の赤色ランプが取り付けられていて、夕暮れになるとそれが点滅し出す。夕焼けの中、シルエット状に佇む姿が、巨大な仏像のようでもあり、なんだか薄気味悪くさえ感じられることもあった。不忍池を訪れた人なら必ずといって良いほど、あの建物はなんだ??と思う奇抜なデザイン。
目立ちたいという自己顕示欲は達成されたのだろうが、果たして本当に良い意味で目立ったのだろうか? あの形が原因で、高級ホテルだとは思わず、いかがわしいホテルだと勘違いしていた人も多い。気持ち悪いと感じた人も私だけではない。高さやボリュームだけならともかく、デザインが奇抜過ぎたために、話題にはなったが、当初から不利な立場に立たされてしまい、あまり愛されない建物になってしまったのではないかと思う。
谷中・朝倉彫塑館屋上から
Photo 1994.1.30
90年代に、アームストロングさんというオーストラリア人建築家を案内して谷中を歩いたことがある。アームストロング氏は80年代に日本に留学した後、母国に帰って設計活動をしており、約10年ぶりに東京を訪問したのだった。谷中の寺町を歩き、日本家屋や路地のある風景を堪能した後、朝倉彫塑館を訪れ、屋上に上った。
屋上から上野の方を見ると、竣工間近の例の異形の建物が見えた。アームストロング氏は驚き、「ああ!、あの建物は何ですか?」と私たちに問うた。菊竹先生が設計された、ホテルCOSIMAですと申し上げると、「昔、先生の自邸などを知って感激したけど、あれはどういうことですか。菊竹先生はどうしちゃったのですか??」と言われてしまった。不忍池のそばにあのような建物を設計するとは信じられない、といった言い方だった。私たちは「いやぁ、どうしちゃったんでしょうねぇ」と苦笑するほかなかった。
もちろん外国人から見た日本は、多分にジャポニズムが強調されていて、それは日本人の持つイメージとは異なる。だが外国人の目には、東京のランドスケープはあの建物で乱されていると映ったようだった。
さて、菊竹先生は、1960年代に日本で興ったメタボリズム運動の主導的立場におられた方。メタボリズム(Metabolism)は、もともと生物学の用語で、新陳代謝の意。都市や建築を生物体と捉えたわけで、メタボリズム建築は、新陳代謝する建築ということになる。
最近あちこちで聞くメタボリック・シンドローム(代謝症候群)は、新陳代謝不全症みたいな意味だが、そのメタボリックと語源的には同根。樹木などは、秋になると古い葉を落とし、春になれば若葉を出し、新陳代謝をして生き続ける。建築も、老朽化したり使い勝手が悪くなった部分が出てきたら、それを外して新しいモノに付け替えることで生き続けるものにしようという発想なんだそうだ。老朽化したら、改修や改築をして使い回すというのはよくあることだが、メタボリズムではその辺が強調され、可視化されているところが特徴であるように思う。その後、他の建築家はメタボリズムから次第に離れていったが、菊竹先生はその後もメタボリズム的な思想を表現しようとし続けているらしい。
ただ、なんて言うのかな、よくわからんが、メタボリズムは大阪万博を頂点とする、高度経済成長期的なイケイケドンドン的発想に連動しており、それがもろに具象化しているところがあり、後年はなぜか巨大化の道を歩んでしまっている。
メタボリズムの本質である「新陳代謝」を中心に考えれば、リフォーム、リニューアル、リユースなど、今ある建物を補強したりしながら使い回す方法が指向されるべきなのだが、どこかの段階から、表現者・アーティストとしての建築家魂が前面に出て、巨大オブジェのようで彫刻的な「作品」の実体化が、主たる目的にすり替わっているような気もする。
そう、なにも新しく巨大建築を建設することを考えなくても良いハズなのだ。しかし結果的に、新陳代謝の表現よりも、メガロマニアなどとも呼ばれる、巨大構造体指向が前面に出てしまった。特に菊竹先生の、ホテルCOSIMA、江戸東京博物館、昭和館では、その傾向が顕著だった。
そこでは周辺の状況は顧みられず、超大型のモニュメンタルな建築物が構想された。異形でド迫力の形態を既存の都市内に持ち込むところは、穏やかで調和的な景観を指向する人々から考えると、景観の破壊者に映る。
緊張感や活力があり、刺激的な都市景観こそが東京風景だと思えば、江戸東京博物館もソフィテル東京も、まったりとした下町風景に投げ込まれた刺激物だということになる。でも下手すれば、あれは劇薬。あの二粒で下町の風景は無茶苦茶になるとも言える。実際、あのような建物が建って下町の風景イメージは混乱した。下町と聞いて、長屋が建つ路地などをイメージしていると、バカでかい建物に遭遇して腰を抜かすことになる。
文京区弥生2丁目から
Photo 2007.2.3
ソフィテル東京は、直接的な形態でもってメタボリズムが表現されてしまった建物。でもモミの木のように、枝葉が落ちて新陳代謝するわけではなく、外観が似てるだけ。メタボリズムというよりやはりメガロマニア(巨大趣味)で、どう見ても、新陳代謝=改修はしにくそうだった。ご本人はそう思っておられないかもしれないが、外見だけで判断すると、どう見ても巨大オブジェ指向で、末期的メタボリ。で、ソフィテルも江戸東京博物館も、周辺の建物群に比べると、ずば抜けて巨大で、違和感ありまくり。
あの建物が、不忍池の畔ではなく、奇抜な形の超高層ビルが次々に建っている上海とか、昔から高層ビルが林立して混沌としている香港とか、台湾、シンガポールなどに建設されたら、違和感は少なかっただろう。アラブ首長国連邦のドバイなんかもオイルマネーでとんでもない形の建物が建っているので、メガロマニア系の建物には適している。
東京でも、お台場とか西新宿の超高層ビル群の中だったら、意外に違和感なく溶け込めたかもしれないなとは思う。お台場ならまわりも大きくて新しい建物ばかりで、フジテレビみたいなキワモノもある。西新宿なら沢山ある超高層ビルの中に埋もれてしまえる。
東京もいろんなデザインを自由に試せる都市なんだ、東京にもそうなって欲しいという人々もいる。でも東京の場合、江戸以来の歴史があるのだから、奇抜な形の超高層ビルが競い立つ都市になるべきではないと思っている人も一方で多くて、そこには考え方の激しい対立が存在する。 そう考えると、不忍池の畔という低層で広がりがある穏やかな風景のところに高層で奇抜なデザインを持ち込んだという、二重の違和感が、やはりまずかったのかもしれない。
純粋にあの形だけを考えると、たしかに奇抜で面白い形の建物だとは思う。でも、デザインとして、格好良いかと言われると、そうは思わない。もっと端正な容姿にできたはずだと思う。構造・設備コアから自由になった居室空間という意図、内部空間からの要請を強調するあまり、外観はスッキリしなくなった。宇宙ステーションのように不格好に居室が取り付く姿にも見える。鉄とコンクリートで、モミの木を造る発想自体、そのまんま過ぎないか?? 目立ちたいだけなのか、無邪気にもほどがある。
だいたい、新陳代謝する建築は、その「新陳代謝」によって長いこと生き続けるハズで、メタボリズム建築は、改修などの新陳代謝がしやすい建築のハズ。なのに、ソフィテル東京はそれが出来なくって、終焉を迎えてしまった。あの建物はメタボリックシンドロームだったのかもしれないな。皮肉な話だけど・・・。
ところで、超高層ビルの専門家じゃないので、本当かどうかはちょっと怪しいが、この建物の解体は、日本における超高層ビルの解体第一号なんじゃないかと思う。もちろん鉄塔や煙突など、超高層構築物の解体は今までにもあるし、浅草十二階(凌雲閣)の倒壊、大昔の東大寺七重塔や、安土城、江戸城などの炎上倒壊というのはある。15階建て程度のオフィスビルやマンションの解体もあるかもしれない。でも、20階以上、100mを超す超高層ビルの解体は、日本では今まで無かったんじゃないかと思う。
解体工事期間が、2008年5月までの1年4ヶ月となっているのにも驚いた。そんなに時間が掛かっても建て替えた方が採算が合うのか・・・。よほど嫌われちゃったのね。
あの建物は、愛されなかった君だ。ソフィテル東京というホテルが愛されなかったわけでは決してなく、あくまであの建物のモンダイ。だいたいソフィテルも三井不動産もあの建物を見限ったわけだし・・・。
だから今回の解体決定は不思議とそれほど残念ではない。逆説的だが、あの怪しい風景も見納めかーとは思った。もっと言うなら、どうやって解体するのかなーと、そっちの方が楽しみ。建てるときは次第にクレーンを小さくしていくけど、解体の時は、逆に次第にクレーンを大きくするのかしら??
どんな出自であれ、今あるものを壊すのは残念だという言い方もあるかもしれない。たしかにスクラップ&ビルドは、資源的にも環境的にも問題で、改修できればそれに越したことはないという考えも理解できる。
でも、私たちは自分たちが快適に暮らすため、動植物を食べる。木を燃やして暖を取る。快適に暮らすためにはある程度、何かを破壊して生息環境を確保する闘争が必要だ。今回の経緯はともかく、あの建物は、私たちが快適に暮らすためには解体され除去されるべき建物だったのだと私は考えたい。もちろんあの建物は、様々な思惑の中で失われていく犠牲者だ。でも今のままでは状況は変わらない。うまいこと生まれ変わってくれることを願う。
初見ではギョッとする建物も、何年もすると慣れてしまうところがある。美人は三日で飽きるが、ナントカは三日で慣れる、というのに近いのか? それはともかく、慣れてしまうと、それが失われるときに喪失感も生まれてしまう。立て籠もり犯に人質が次第に同情して共感してしまう心理に近いのかな? それも変なたとえだけど。あの建物にも10年もすると慣れ始めていた。70年くらいは建ち続けるだろうから仕方ないと諦めたりもしていた。それなら、妙な建物がある風景を楽しんじゃえとさえ思ったりもした。
でもそれは危険なことかもしれない。景色を乱しても、抵抗があるのは最初だけで、見慣れたら文句は出なくなると思われたら、その積み重ねで、都市の景色は無茶苦茶になる。まあ、明治以来、そういうのの積み重ねだったわけだが・・・。やはりイヤなものはイヤと粘り強く抵抗し続けないとイカンのだろう。
今回のことで、風景や景観は、そうなってしまうのではなくて、創っていけるかもしれないとちょっと思った。今ある風景が恒久的なものだと思うと、嘆くしかな くなるが、変えていける、場合によっては新しく創っていけると思うと、まだ救いがある。
でも、実は今後のこともまだ問題だ。不動産会社は跡地に新しい建物を必ず建てるだろう。その時、その形や大きさをどう判断するのか。旧ソフィテルのそばにはルネッサンスタワーという超高層マンションも建っている。超高層マンション案が発表された場合、それが建つのを認めるのだろうか。現行法規では認めざるを得ないはずだ。
不忍池畔の景観の議論は、高さやボリュームではなく、デザインの美醜の問題だったのだろうか。仏像にも似たモミの木型はイヤだけど、四角柱だったらOKということなのか、それとも根本的に高くて大きいのがダメなのか。そのへんは今後も気になる。
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