愛宕
東京は10年もすると全く異なる街が出現する。

青松寺近くの木造モルタルアパート(愛宕荘)
所在地:港区愛宕2-6
Photo 1994.6.24
愛宕山の東側には山を背にして青松寺という大きなお寺がある。大きな境内地の一部は住宅地として賃借され、木造住宅やアパートが何軒か建ち並ぶ静かな一角になっていた。1981年の住宅地図で確認したら、写真の木造モルタルアパートは、愛宕荘という名で、青松寺の南側にあったことが判った。
アークヒルズの完成以来、80~90年代に、都心に近い港区では、既に次々に大型再開発の計画が発表されていた。後に愛宕グリーンヒルズとなったこの地区でも、写真の94年当時、既に森ビルによる再開発計画が始動していたようで、周辺の建物は老朽化したまま新築されることがなく、また、空き家も目立ち始めていた。住人が少なくなりひっそりとした町で、撮影がなんとなくためらわれてしまう気配も漂っていた。
この当時、私はまだ学生だったのだが、何故この写真を撮ったのか、正直なところ記憶にない。恐らく、その古びた姿、打ち捨てられた感じ、失われゆくかもしれない気配、などなどが気になったのだろうとは思うのだが、実は自分でもこの写真が手元にあるのがちょっと不思議でもある。
愛宕グリーンヒルズの完成は2001年だというから、写真の建物は撮影後2~3年の内に取り壊されたのだろう。ぼんやりしている内に再開発プロジェクトは進行し、青松寺は本堂その他の建物が全て建て替わって真新しくなった。門の両側には、オフィス棟(MORIタワー)と住居棟(フォレストタワー)、2つの42階建て超高層ビルができた。愛宕トンネルの脇には山の頂上に至るエレベーターも設置された。


左:愛宕グリーンヒルズ(手前:住居棟、奥:オフィス棟) Photo 2006.4.15
右:オフィス棟壁面 Photo 2001.9.24
今、愛宕荘が建っていた場所には、オフィス棟がそびえ立っている。現在の様子からは、昔の町の姿は全く想像できない。日々の建設活動は、真新しい街を出現させ、キラキラして清潔な空間、快適で分かり易い都市空間を増やしている。その一方で、たかだか30年程度前からの生活空間が、次々と消えて行き、街並みの記憶でさえも、どんどん消去され、更新されて行く。
だからといって、都市開発という行為や、開発業者が悪であるというわけではない。需要があるから供給がある、というのが道理。世間が、人々が、東京が、超高層のオフィスビルや住宅を求め続け、清潔で快適なオフィス環境や、小綺麗な住環境を希求してきた結果が、現在の東京なのだろう。街並みをどんどん更新しながら、変化していくことを、結果としてこの街の人々は求めている。
でも、街並み自体を更新するだけでなく、記憶からも消し去るというのには疑問を持つ人が少なからずいるだろう。また歴史資料は、現在を相対化し、定位すること、客観視することに役立つのではないだろうか。だから、わずかではあるが、写真や言葉で記録に残し、記憶に残して行きたい。
もし、みんなが都市開発を求めていないのに、開発が続いているのだとしたら、それは状況を変える努力が足りないか、変えたくても変えられないという不幸な状況に追い込まれているか。ただ、街の変化には時間差がどうしても生ずる。人々の欲求が形になり、街並みにまでなるには10年単位の時間を要する。だから、長い時間をかけてできた頃には、ずれてしまうということは、ままあるかもしれない。そこまでの開発は求めていないよと考えても、しばらくは勢いが止まらないのも事実だろう。
20年後、東京の都市開発はまだ続いているだろうか? 都心部の街並みはどうなっているだろうか? 想像できないと言われるかもしれないが、そこは努めて想像すべきなのだろう。都市の姿は、そこに関わる人々の欲求の結果として創られているのだから。
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