学生時代、私が通っていたのは、新宿区大久保3丁目にある早稲田大学理工学部。キャンパスは、理工キャンパス(リコー)とか大久保キャンパス(オークボ)と呼ばれていた。
早稲田大学というと、大隈講堂の周辺、西早稲田にあるキャンパスをたいがいの人は思い浮かべるのだが、理工学部はそこから1kmほど西にあり、住所も早稲田じゃなくて大久保。理工学部なので、当然理系の野郎ばかりで女子学生は極めて少ない。きれいな女子学生がいるなぁと思ったら、すぐ近くの学習院女子短大(現・学習院女子大学)の学生が、サークル活動かなにかで来てただけなんてことも多かった。
そんなこともあって、理工学部の学生は自嘲気味に、早稲田大学じゃなくて大久保工科大学に通ってます、みたいなことを言ったりしていた。で、そういうことを言うと、へぇそうなんですか~、などと本気にされてしまったりする。冗談のつもりが全然冗談にならず、マジボケ。ただスベルだけ・・・。
それはさておき、この大久保キャンパス、現在は西早稲田キャンパスと名前が変わってしまっている。今回はキャンパス名称のお話。
早稲田大学キャンパス一覧
理工学部と大学院理工学研究科は、2007年4月に、基幹理工、創造理工、先進理工の3学部・3研究科に別れてしまった。この他、理工学総合研究センターという研究機関も合わせて、全体で理工学術院と呼ばれるようになった。組織再編の必要があったのは分かるのだが、いろんな名前があっていまだになんだか覚えられない。ちなみに出身学科の建築学科は、創造理工学部に入っている。
今でも確かに理工系キャンパスではあるのだが、一学部だけで占められたキャンパスではないので、理工キャンパスとは言いにくい感じ。でも大久保キャンパスという呼び名は地名なので問題なかった。
いわゆる早稲田のキャンパス(大隈重信像や、法学部、商学部などがある地区)は、住所が西早稲田1丁目なので、西早稲田キャンパスもしくは本部キャンパス(本キャン)と呼ばれていた。ただし大学の本部や大隈講堂は隣接する新宿区戸塚町1丁目。ほとんどの人はそんなこと知らなかったけど。
この他、文学部や記念会堂がある場所は戸山1丁目なので、戸山キャンパスもしくは文学部キャンパス(文キャン)。また、喜久井町にも研究所などの敷地があって、それは喜久井町キャンパス。
というわけで、少し前までは、そのキャンパスがある住所をキャンパス名にしていて、特に問題はなかった。
ただ、初めて「西早稲田キャンパス」と聞いて、それが地名が元になっていることを知らないと、それじゃ早稲田キャンパスはどこにあるの?とか、東早稲田キャンパスはあるの?ということになる可能性がなくはなかった。
さて、2008年6月に副都心線が開通し、理工キャンパスのすぐ東の明治通りに、西早稲田駅が開業。この駅は大久保3丁目と戸山3丁目、西早稲田2丁目、高田馬場1丁目の4町の境目に位置する。大久保3丁目駅なら大久保キャンパスと同じで良かったのだが、駅名は西早稲田になった。
以前から西早稲田キャンパスの最寄り駅は早稲田駅だったが、西早稲田駅ができると、そのあたりが紛らわしくなる。西早稲田キャンパスに行こうとして西早稲田駅で下車すると、そこは大久保キャンパス。そこで、この微妙な紛らわしさを解消すべく、大学が駅名に合わせてキャンパス名を順次変更!。しかし今度は、町名とキャンパス名がねじれてしまった。本当にこれで良かったのか?
西早稲田キャンパス(2008年3月末まで)
→ 早稲田キャンパス(2008年4月以降~現在)
(最寄駅は早稲田、住所は西早稲田1丁目)
大久保キャンパス(2009年3月末まで)
→ 西早稲田キャンパス(2009年4月以降~現在)
(最寄駅は西早稲田、住所は大久保3丁目)
なんとなくいつのまにか変わってしまったので、いまだに大学関係者もちゃんと言えてない。「大久保の方に行ってきます」などとやっぱり言ってる。大久保にあるんだから間違いではない。長年慣れ親しんできた者としては、町名に合わせた方が分かりやすい気がするんだけどなぁ。
卒業生などは、西早稲田キャンパスと聞けば本部キャンパスのことを思い浮かべる。西早稲田キャンパスで講演会がありますと聞いたら、大久保の方に来ずに、本部キャンパスに行ってしまうのではないだろうか。
ただ、外部の人などは、西早稲田キャンパスと聞くと、早稲田キャンパスに対して、西にあるキャンパスだと思うかもしれない。本部キャンパスなんていう通称もあったりするので更に紛らわしい。だとすると新表記に整理するのは良いことになる。
でもそれだと地名とのギャップが残ったまま。大学が西早稲田にある限り、そして地名をイメージさせるキャンパス名にしている限り、ややこしさは残る。う~ん、うまい解決法が無い・・・。
関連記事 > 早稲田大学・大隈講堂へのコメント
#早稲田大学 #大学