昌平橋からJR総武線神田川橋梁(奥は聖橋)
所在地:千代田区外神田2丁目 Google Map
建設年:1932年(昭和7)
全長 :56m
Photo 2011.10.9
総武線の橋はややアクロバティックなハの字型橋脚で神田川を斜めに渡っていく。昌平橋から見る神田川、総武線の橋と聖橋、丸ノ内線の風景は、昭和期にできあがった後世に残していきたい都市的景観の一つではないかと思う。鉄でなくても気になる、とても印象的な風景だ。日本橋川あたりの首都高速のように川の中に橋脚を立ててしまわず、橋脚自らも川を跨いでしまっているのは、まだ舟運がそれなりにあったためだろうか。
Wikiなどで確認すると、総武線は震災前までは両国が始発だったが、震災復興の際に中央本線に乗り入れる計画を立て、両国駅・御茶ノ水駅間の高架路線の建設と中野までの複々線化を行ったそうだ。というわけで、総武線の神田川橋梁と松住町架道橋は1932年(昭和7)に完成。
この写真を撮った昌平橋は1923年(大正12)、写真奥の聖橋は1927年(昭和2)の完成。煉瓦アーチが印象的な中央本線の一連の高架橋は、これより少し前の1904年(明治37)?~1912年(明治45)にかけての建設だそうだ。明治末期から関東大震災を経て、震災復興が完成する昭和初期までのおよそ30年弱の内に、徐々にしかし大掛かりに、現代でも機能し続ける都市基盤が整備され、そしてこの界隈の景観は激変を遂げた。
JR総武線松住町架道橋
所在地:千代田区外神田1丁目と2丁目の間
建設年:1932年(昭和7)
全長 :72m
Photo 2011.10.9
かなり高齢でなければ、この景色が生まれる以前の様子は知らないだろう。もしかするとそれまでこの界隈には、のんびりした川沿いの景色が広がっていたのかもしれない。そのような中で当時の鉄道関係者は、秋葉原駅も含む大規模かつ立体的な鉄道高架を構想して実現した。現代に生きる私たちもその構想力には驚かされるし、またその姿は現在もなお私たちを魅了する。震災から復興した東京という都市を象徴する意義深い都市景観であり、また、当時の技術者の景観構成力の凄さや到達点を感じさせる風景である。
Wikipedia > 中央・総武緩行線
きまぐれ旅写真館 > 第5回 橋 ~ 川を跨ぐ
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