旧カフェー「東洋」/旅館福井/田中アパート
所在地:墨田区 墨田3-2
構造・階数:木・2
建設時期:戦後
解体年:2011〜13(平成23〜25)
備考 :旧玉ノ井のカフェー建築
Photo 2007.5.27
旧玉ノ井、バルコニーのあるカフェー建築。
玉の井の銘酒屋街(私娼窟)は主に震災後に浅草のそれが移転してできたものという。1945.3.10の東京大空襲で焼失した後、少し北側に移り、戦後は赤線として1958(昭和33)年の売春防止法の施行まで存続した。界隈はもともと水田地帯で畦道をベースにした道路網が迷路のように広がり、迷宮(ラビリンス)とも呼ばれる街。この建物も赤線時代は本通りと呼ばれた狭い道と小路の角にあった。
Photo 2007.10.21
角の側の2階の壁が立ち上がっており、アシンメトリーだったのが印象的。バルコニーも斜めに造られていた。客がやってくる方向を意識したデザインだったのだろう。コーナー部にはかつては屋号の文字があったりしたのかもしれない。
Photo 2007.5.27
売春防止法の施行後は売却されて旅館となり、1970年代の一時期は会社の事務所、最終的にはアパートになっていた。雑誌などでもしばしば採り上げられていたが、10年ほど前に解体されたらしい。売春防止法の施行から60年以上が経ち、かつての玉の井の面影を残す建物も次第に少なくなっていく。
カフェー東洋/墨田3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 墨田区 #遊興施設 #集合住宅
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