NTT中野統制無線中継所
所在地:中野区上高田5-15
建設年:1947〜53(昭和22〜28)の間に5基の鉄塔が建てられた。
Photo 1987.6.21
戦前から使われていたという噂を聞いていたので、昔の地図などを調べていたが、戦前からあった証拠は見つからなかった。そして代わりに広尾の都立中央図書館で資料を偶然発見したことで、これらの塔が戦後すぐの時期に建てられたことが分かったのだった。
「帝都地形図 第3集」(株式会社 之潮(コレジオ)、2005.3.20発行)という地図集成の中に、「帝都地形図、上高田、1/3,000」(株式会社日本地形社、昭和22年9月発行(S8.3測図、S22.7補修))が収められている。
解説によれば、NTT中野統制無線中継所があった敷地は、もともとは三井家の墓地だったところなのだそうだ。
三井家の墓地は、墨田区の真盛寺から1915(大正4)に移転してきたという。墓地には参詣者用の控所や、葬儀を行う礼拝堂(持仏堂)があったが、空襲で焼失。戦後は西側半分を電電公社に売却し、西側の北半分に電波塔が建てられ、南半分は公社の職員住宅となった、と記されている。
1947(昭和22)時点の地図には、まだ三井家の墓地が大きく記され、後に無線中継所になった場所も墓地内となっている。敷地は分割売却されておらず、鉄塔も建っていない。
1953(昭和28)の「東京航空写真地図 第二集」(写真測量所編、創元社刊、1953年3月発行、東京都立中央図書館蔵)には5基の鉄塔が写っている。従って、鉄塔が建てられたのは1947〜53の間ということになるようだ。
この後、1956年版の国土地理院の地形図(1/10,000 新井)には5基の鉄塔が記載されており、1963〜84年の国土地理院の航空写真にも5基の鉄塔が写っている。
しかし、1988年発行の住宅地図では4基になっており、1基が80年代半ばに既に取り壊されている。この1基は現在の中野区立上高田図書館・児童館の場所にあったもので、建物の建設に伴い解体されたようだ。
Photo 1987.10.11 朝焼けの中の鉄塔
Photo 1989.7.6 解体途中。残るは一基
Photo 1989.7.12 最後の一基も解体される。
Photo 2000.4.16 無線中継所跡地 消防訓練場として利用されていた頃の様子。
1987年時点では3基の鉄塔が残っていたが、1989年に全て解体。その後、しばらく空地となり消防訓練場として使用された後、マンションが建設された。
呼称は、時代と共に多少替わっている。(名称記載法の資料による違いの可能性もあり)
「江古田無線中継所」東京都全住宅案内図帳(1958・人文社)
「日本電信電話公社・江古田統制無線中継所」住宅案内地図帳(1968・住宅協会地図部編集室編 1/2,000)
「日本電信電話公社・江古田統制無線中継所」航空住宅地図帳・中野区版(1978・公共施設地図航空株式会社 1/1,720)
「NTT中野統制無線中継所」ゼンリン住宅地図(1988・ゼンリン 1/1,500)
注)真盛寺も1922(大正11)に、墨田区横川から杉並区梅里1-1-1に移転。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中野区
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2007.04.29 訂正加筆。
2007.12.20 上高田地域センターを上高田図書館・児童館に訂正。
2019.1.14 写真と記事を集約して情報を再整理。