都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

新静岡センター 2

2010-05-07 | 静岡県  
北街道側からバスターミナル

 バスが集中してひっきりなしに行き交うデパート併設のバスターミナルというのは、昭和40年代当時の地方都市にはまだ少なかったのではないだろうか。子供的にはやはり「センター」なのでした。

中バスホーム

 地下道と階段で繋がる島状の中バスホームというのも、子供心には都会っぽくて嫌いではなかった。私自身は中バスホームに発着する路線を使っていなかったので、却って妙なあこがれを持っていたのかもしれない。こういうのは大人になると面倒なだけなんだけど・・・。

西バスホーム

 立体格子トラスを用いたバスターミナル屋根は、柱が少なく軽快で、それまでの静岡にはないモダンなものだった。

 ただ、バリアフリーは確かに問題になっていた。東ホームや、静岡鉄道のホーム、中ホームには、エスカレーターやエレベーターがなく、階段しかなかった。改修できないことはなかったのだろうが、今までも何度も建て替えが検討される中、無駄な投資を避けたかったのか、全面的な建て替えを優先させたため、今まで長期間にわたって放って置かれていた。

 (コメント欄にもあるように、あおい君様から静鉄ホームへはエスカレーターが後年設置された旨、御指摘がありました。全く何もしてなかったわけではないようでした・・・。)

新静岡センター 134

静岡の建築
#失われた建物 静岡県  #商業系  #デパート・百貨店  #自動車  #広場 

コメント (2)
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新静岡センター 1

2010-05-04 | 静岡県  
新静岡センター
所在地:静岡市葵区鷹匠1-1
建設年:1966(昭和41)
階数:8F+RF(時計塔)
2009.1.31閉店、解体して建て替え、新店舗は2011年に完成予定。
Photo 2009.2.8(この記事内全て)

 過去、何度か建て替えが検討されたが、今回ついに計画が動き出した。

 地元の人は新静岡センターとはあまり言わず、省略してただ「センター」。「きのうセンター行っただよ。」と言ったりするわけで・・・。よその人は「中央」って何?、市民会館かなんかですか?と思うかもしれない。

 静岡市民にとっては馴染み深い建物だった。静岡の人なら、おそらくそれぞれがそれぞれの「センター」の記憶を持っているのではないだろうか。

北街道側から、後方はペガサート

 オープンは1966年。私が生まれた年にオープンしていたというのは今まで知らなかった。ものごころがついた時から既にあったため、ずっと前からのものだと思っていたので、これはちょっと意外だった。ただ、改めて建物を見ると、確かに昭和30~40年代のモダニズム系の建物デザインだ。

静岡鉄道 新静岡バスターミナル

 バスターミナル、鉄道駅として交通の一つの要になっており、文字通りセンターだった。そういう意味で集客力も大きかったはずだが、老朽化している面もあったのだろうか。耐震性やバリアフリーも問題だったのかもしれない。バスターミナルも含めて整備し直すのだそうだ。2009年の1月末にいちど閉店して、2011年の再開をめざすのだという。

時計塔

 静岡市民にとっては屋上の大時計も記憶に残るものだ。写真は閉店後、一週間ぐらい経った頃、帰省した折に、最後の姿を撮りに行った時のもの。建物には入れなくなっていたが、まだ解体は始まっておらず、意外に多くの人が写真を撮ったりしていた。一眼レフで撮っている老夫婦もいれば、携帯やコンパクトカメラで撮ってる大学生や高校生も。建物のデザインとしては、大した装飾があったわけではないが、大時計の姿は市民にとって忘れがたいものだったのだなぁと改めて思った。

 さてこの時計塔、側面の「Center」のロゴはたしか当初は無かった。このロゴは比較的後になってから使われ出したものだった記憶がある。いつ頃だったか忘れたが、改修工事がされたことがあった。

 また、改めて写真をよく見ると、時計その他のデザインが東面と西面では異なることが分かる。写真でも分かるが、実は「Center」の文字のある側面は少し曲がっていて、時計塔は直方体ではない。このため時計のある面も、西面はほぼ正方形だが、東面は縦長の長方形になっている。「新静岡センター」のロゴは、東面は2行、西面は1行で描かれているし、時計も西面の方が大きい。

 確かに見る方向によって時計の様子がなんだか違うような気は少しだけしていたが、まさかそんな違いがあるとは思いもせず、意識したことはなかった。今回、写真に撮ってみて、違いがはっきりしたので逆にビックリしたほどだ。

 そういえば、この時計塔は私が通っていた学校からも見えていた。昔は中心部で背の高い建物といえば、県庁と電電ビルの鉄塔、あとこのセンターぐらいだったので、学校のグラウンドからも目立ってよく見えたのだった。

 この項、しばらく続く。

Wikipedia > 新静岡センター

駿府は96カ町
   > Auf Wiedersehen(2009.1.31閉店時の様子)
   > 新静岡再開発

新静岡センター 234

静岡の建築
#失われた建物 静岡県  #商業系  #デパート・百貨店  #塔  #自動車  #モダニズム 

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Olympus IZM300 QUARTZDATE

2010-05-01 | 写真・カメラ

 Pentax ME-Fを、重いと言ってあまり使わなかった父が次に買ったのが、このOlympus ISM 300。


 プラスティック製のボディは確かに軽い。レンズ交換はできないが、ズームレンズがついていて、レンズ径が比較的大きいので、コンパクトカメラに比べれば、画質が良い。片手で持てる形もなかなか良い、そんなわけで購入したらしいのだが、このカメラにも問題点が一つあった。

 シャッターボタンを押すと、ある点を境にカクンと押し込まれるボタンだったため、シャッターを切った拍子に、手ブレが起きやすかったのだ。両手でホールドしている場合はまだ手ブレは少なかったが、片手だとほとんど全てのコマで手ブレが起きる。片手で持ちやすい形をしているがために、つい片手で持ったままシャッターを切ってしまいがちなのだが、そういうとき、あっ手ブレしちゃったかなぁ、と不安になることが多かった。でもって、またその不安がほとんど的中するから始末が悪い。後で後悔することがとても多いカメラだった。まあ写真を撮るときは両手でしっかりホールドすべしという鉄則を守らない方が悪いんですが・・・。

 それはともかく、我が家で購入したカメラの中で、初めての自動巻き上げカメラであり、初の露出、絞りが全自動のカメラだった。というわけで、これを境に何も考えずにシャッターを押すことが増えたのだった。


 パワーズームなので、テレとワイドのボタンでズーム操作をする。望遠側105mmにすると、レンズが象の鼻のように伸びる

 その後、実家では後から購入したコンパクトカメラを使うことが増え、Olympus IZM 300はタンスの奥にしまい込まれることになってしまった。だが、今でも電池があればちゃんと動く。今になって使う気にはあまりなれないけど・・・。

オリンパスの歩み: 35mm判カメラ
   > Olympus IZM300 QUARTZDATE(1988発売)
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