都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

文京スポーツセンター

2011-10-11 | 文京区  

東京新旧写真比較(1991/2011) No.45 文京区大塚

教育の森公園・文京スポーツセンター
所在地:文京区大塚3-29
Photo 1991.8.8(マウスオフ
Photo 2011.10.3(マウスオン

 20年ぶりに写真を撮りに行ったら、様子が大きく変わっていて驚いた。

 樹木に隠れてスポーツセンターの建物がほとんど見えなくなり、撮影場所の位置どりが正確には分からなくなったため、撮影位置は微妙にずれている。

 東京教育大学が廃校になったのは1978年。その後、跡地は教育の森公園となって、文京スポーツセンターが1986年に建てられた。1991年の写真は、建物ができてから5年ほど経った時のものということになる。その後、20年で、こんなにも樹木が茂って様子が変わっているとは思いもしなかった。

 公園の面積は20年前と変わっていないが、これだけ枝葉が茂ればCO2の吸収量は倍増してるんじゃないかとさえ思う。以前に皇居東御苑の写真を比較した時にも感じたが、都市景観は建物の変化だけでなく植栽や樹木の変化でも大きく様子が変わる。どういう姿にしていきたいのか、30年ぐらいの期間を前提に考えなければいけないのだろうな。

文京区 > 教育の森公園
建築作品データベース by きてら建築文化1986
   > 文京スポーツセンター
Wikipedia > 東京教育大学
      大谷幸夫(文京スポーツセンターを設計した建築家)

都市徘徊blog > 平川門付近から

#東京新旧写真比較 文京区  #公園  #モニュメント  #体育館 

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小石川5丁目あたり

2011-10-10 | 文京区  
小石川5丁目の坂
所在地:文京区小石川5-25と26の間
Photo 2011.9.27

 小石川5丁目界隈では、春日通りが尾根道で、共同印刷通りが谷道になっている。従って住宅地は北東方向に向かって下る斜面になっている。

 春日通り付近では傾斜はさほどきつくないのだが、中盤から北側は傾斜がやや急になっている。竹早公園の脇には団平坂という坂があるが、実はその付近はあまり急傾斜ではない。むしろ、写真の無名の坂の方がずっと急で、小石川植物園の緑を望むものになっており印象的だ。

小石川5丁目の坂
所在地:文京区小石川5-27と28の間
Photo 2011.9.27

 少し西側の別の坂。急坂でしばしば見られるコンクリート舗装で、滑り止めの丸い輪っか模様が刻み込まれている。

小石川5丁目のL字型階段
所在地:文京区小石川5-29と30の間  Google Map
Photo 2011.9.27

 更に西側へ行くとL字型をした階段がある。区画整理を行った地区では、自動車交通が考えられて階段などはあまりないことが多いが、ここには2ヶ所、階段がある。昔の地図と比較すると周辺の道筋はあまり変更されていない。主に道幅を広げて交差点の見通しを良くし、傾斜を少し緩くしたりする作業が行われたようで、高低差がやや大きいこの場所では、上下をつなぐために階段が整備されたようだ。しっかり整備された階段なので、無茶な急勾配になっていたり、ステップの奥行きが乱れることなどはなく、比較的緩やかでゆったりと上れる階段になっている。

#階段・坂 文京区
コメント (2)
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日暮里富士見坂からの富士が・・・

2011-10-09 | 荒川区  
日暮里富士見坂からの眺望シミュレーション
荒川区資料により「富士見坂眺望研究会」が作成したものを転載。
(写真は2008年3月撮影)
(※予測ラインには若干の誤差がある模様。)

 まちあるき講座などでも何度か訪れている日暮里富士見坂。そこから見える富士山がビルでかなり隠されてしまうかもしれない。

-風景遺産- 日暮里富士見坂の眺望保全について

 新宿区大久保3丁目で計画されている超高層ビルの建設により、上掲のシミュレーション画像のように、オレンジの線で引いてある長方形の形にビルが見えてくる可能性がある。富士山の眺望は、2000年に本郷通り沿いにマンション(高さ38.43m、13階)が建設されたことで、山の左側稜線が見えなくなったが、今度は真ん中のあたり。山頂は辛うじて見え続けるようだが、雪で覆われた面がかなり隠されてしまうので、天気が良くて富士山が見えていても分かりにくくなってしまうだろう。



 1990年頃まではまだビルも多くなく、富士山はよく見えていた(下記リンク)。

富士見坂眺望研究会風景遺産

 しかしその後、徐々に周辺にビルが建ち、富士山はビルの谷間に見える状況になっていった。

Photo 1992.12.25
Photo 1994.1.30

 最初のシミュレーション画像に建物の概要を加筆させて貰ったのが以下。

富士見坂から見えている建物の概要

 一般に、背の高い建物は大通り沿いや広い敷地のある場所に建つ。一番近い広幅員の通りは不忍通りで、距離にして400m弱。谷を通る道だがやはり近くの道なので、ここにマンションなどが建てば右側のビルのようになり、確実に見えなくなってしまう。ただ現在のところ中高層建物が建つ予定はないようだ。

 今まで、富士山の眺望に影響を与えたものとしては、本郷通り沿いのマンションが多かった。富士見坂から本郷通りまでは1.3km程度あるが、本郷通りは尾根道なので、やはり影響が出やすい。

 この他、1.9kmほど先にある白山通りにも15F程度のマンションが数棟建っているが、白山神社周辺の白山通りが谷道であるため、影響はさほど出ていない。また、東洋大学のキャンパスは少し高い位置にあり、図書館など背の高い建物も建っているが、方向がやや南寄りであるため富士山を直接隠す状況にはならなかった。

 さて今回、問題になるビルの所在地は大久保3丁目。富士見坂からは6km以上離れている。今まで影響が出た建物よりも3倍以上遠いので、最初は大して影響が無いのではないかと思っていたが、建物の方も本郷通り沿いのマンションの3倍以上高いため、やはり影響が出てしまいそうだ。

超高層ビルとパソコンの歴史
  > 東京都・建設中超高層ビルデータベース
    > 大久保三丁目西地区開発計画(A-1業務棟、A-1住宅棟)

 江戸期から「富士見坂」と呼ばれている富士見坂の中で、現在も富士山が見えるのは日暮里の富士見坂だけだという。ビルが建ち並んだりしたため、江戸期からある他の富士見坂からは既に富士山は見えない。明治期以降に富士見坂と名付けられたものの中には、今でも富士山が見えるものはあるのだが・・・。

 浮世絵などにも見られるように、江戸の人々にとって「富士見」は日常生活のそばにある一つの癒しのようなもので、生活に根ざした文化でもあった。そう考えると江戸以来残り続けてきた富士見坂からの富士の眺望は、文化遺産だといえなくもない。

 日暮里富士見坂があるのは荒川区内。坂の下は台東区で、そのすぐ向こうは文京区。だからこの周辺では、この富士見坂の認知度も比較的高いし、地域の人々は富士見坂からの眺望を守りたいと考えている。しかし今回の建物は新宿区内。開発を進めた業者も、影響がこんな場所で生ずることになろうとは恐らく考えていなかったのではないかと思う。

 東京都は、国会議事堂、迎賓館、聖徳記念絵画館、東京駅の眺望について、規制を掛けている。

東京都 > 眺望の保全に関する景観誘導指針の策定について
     > 眺望の保全基準のイメージ
     > 眺望地点及び誘導区域

 しかし現時点ではその対象は国家的な記念建築物に限られており、地域的なものは対象になっていない。富士見坂の場合、建築物ではなく自然の山が対象なので、保護制度としては別扱いなのかもしれない。また、記念建築物と違って正面があるわけでもなく、日暮里富士見坂でなくても富士山は見えたりするため、現時点で全都民的な共通認識になっていないと判断しているのだろうか。眺望による規制をすることは、土地所有者が開発をする権利を制限することにもなる。大半の人が保護に対して同意するような状況でないと規制もしにくいというのが実情のようで、景観法は制定されたが自治体はまだかなり慎重なようだ。

 条例や規制云々の話はともかく、今回の一件は既に進行中で近々にビルの建設も始まるらしい。そのような状況下ではあるが、開発業者も含めて多くの人が納得できる妙案はないものだろうか。


 日暮里富士見坂からの眺望について

富士見坂眺望研究会
日暮里富士見坂を守る会(富士見坂通信)

都市徘徊blog > 日暮里富士見坂(2006.1.29)
Site Y.M. 建築・都市徘徊
  > 日暮里富士見坂からの眺望
  > 東京の斜面地空間-都心部山の手の地形-

荒川区の坂 > 日暮里富士見坂
#階段・坂 荒川区  #街並み 荒川区 
#ヴィスタ  #眺望  #高層ビル  #夕景・夜景 
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御殿坂・小石川植物園・播磨坂

2011-10-08 | 文京区  
御殿坂
所在地:文京区白山2丁目と3丁目の間   Google Map
Photo 2011.9.27

 小石川植物園の東側を北向きに上るやや長い坂。小石川植物園の樹木が鬱蒼と繁り、万年塀が続く坂道になっている。

 現在の小石川植物園の場所には当初、白山神社があったそうで、その後、後の5代将軍徳川綱吉の御殿になったという。白山神社があった場所にできた御殿というわけで、屋敷は白山御殿と呼ばれ、屋敷の脇の坂は御殿坂となったのだそうだ。界隈の旧町名は白山御殿町。白山御殿は綱吉が将軍になった後、廃止されて幕府の薬草園となり、更に小石川養生所となり、明治以後は小石川植物園になった。

小石川植物園  Photo 2011.9.27

 御殿坂のすぐ脇が小石川植物園の入口。久しぶりに園内を見学しようと思ったら、台風15号の影響で樹木が倒れたりしたらしく臨時閉園になっていた。再開は10月6日とのこと。ついてない・・・。

播磨坂
所在地:文京区小石川4丁目と5丁目の間   Google Map
Photo 2011.9.27

 播磨坂界隈は戦後の戦災復興土地区画整理事業によって宅地が整理された場所。もともとの道筋も多少生かしながら、吹上坂を共同印刷通りから春日通りまで貫通させ、播磨坂を新設し、竹早小学校と竹早公園を組み合わせて確保し、湯立坂に沿って伸びる窪町東公園も確保した。

 区画整理を利用して播磨坂は環状3号線の一部となるべく広幅員で建設されたが、他の場所ではそのような手法による用地確保がされなかったため、結局、環状3号線はあまりできていない。港区と新宿区内で徐々に建設が進んでいる外苑東通りも環状3号線の一部を成しているそうだが、これが播磨坂につながる見込は立っていない。江戸川橋あたりから小日向の丘の住宅地を横切って播磨坂につながる道なんて、現時点ではちょっと想像できない。

 結果的に、素晴らしい桜並木がある緑地帯を持つゆったりした坂道がここでは確保され、地域住民にとって大切な財産ともなっている。

東京23区の坂道
   文京区の坂(7)~ 西片・白山方面御殿坂(文京区)
   文京区の坂(8)~ 小石川・春日方面(播磨坂)
坂学会のページ全国・坂のプロフィール
   東京23区の坂(文京区)御殿坂播磨坂
#階段・坂 文京区  #公園  #海・川・池 
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白山界隈

2011-10-06 | 文京区  
白山の紙工場
所在地:白山2-12  Google Map
Photo 2011.9.27

 白山・小石川界隈には印刷関連業種が多い。紙問屋、製本業など、中小の工場が今もかなり多く集積している。神田川沿いの早稲田界隈もそうだが、川の近くには印刷関連が多い。白山、小石川の場合も、千川(小石川・礫川)が流れていたそばに工場が集積している。その昔、小石川付近の農家で、和紙の原材料である楮(こうぞ)が栽培されていたことや、印刷に水を使うことなどと関わりがあるらしい。また、書籍を扱う神田や本郷の出版社などと比較的近いことともどうやら関係があるようだ。

 近年は大きな印刷工場が主流になっているようだが、木造2階の工場にうずたかく紙が積まれていたり、製本機械がカッチャンカッチャンと音を立てていたり、フォークリフトが路駐している様子は、この界隈特有の景色だ。フォークリフトなどはたいがい、工場などの敷地内で動いているものだが、早稲田やこの界隈では工場から工場へ、はたまた倉庫から工場へと、街中をあちこち走り回っている。

共同印刷
所在地:小石川4-14  Google Map
Photo 2011.9.27

 播磨坂下にある共同印刷は1898年(明治31)に銀座から小石川に本社を移したそうで、以来100年以上ここに本社、工場がある。写真奥へ向かう道は小石川(千川)が流れていた場所で、ここも千川通り。だが、千川通りというと江古田や練馬の方の千川通りの方が一般的で、こちらはむしろ共同印刷通りと呼ばれている。

共同印刷株式会社 > 会社案内 > 沿革
#古い建物 文京区  #工場 
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白山の狭いアプローチ階段

2011-10-05 | 文京区  
白山の狭いアプローチ階段
所在地:文京区白山2-5・20  Google Map
Photo 2011.9.27

 「東京の階段」の中では詳細な場所を示さなかった階段。久しぶりに訪れてみたら、大谷石の段々の表面がコンクリート舗装されて、白く輝いていた。新たに手摺も付けられて、ハラハラ感は減じたようだが、それでも細い階段には変わりがない。

 数軒の住宅がある場所へのアプローチ階段なので、通り抜けは基本的にできない。訪れた時は郵便配達の人が上っていったが、私は下から眺めるだけに留めた。

 ちなみに、ひとつ南側の道の奥にある、もう一つのL字型の階段の方は特に変化がないようだった。

東京の階段 DB
  白山の狭いアプローチ階段
  白山のL字型アプローチ階段
#階段・坂 文京区
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白山通り沿いの階段

2011-10-04 | 文京区  
白山通り沿いの階段(3つの内の中央のもの)
所在地:文京区白山4-33  Google Map
段数 :13段
備考 :右のビル側の階段は14段、左の通行できない階段は19段
Photo 2011.9.27

 白山通りから西南方向に上る階段。白山・小石川界隈では、白山通りと千川通り(共同印刷通り)が谷道で、小石川植物園のあたりは高台になっている。従って白山通りの西側は、西南もしくは西方向に上る斜面になっており、この階段の他にも、蓮華寺や厳浄院の参道など西方向に上る階段がいくつかある。

 左側のものは私有地へのアプローチらしく、門扉が閉まっていて通行できない。中央の階段は狭いが、一応、上部の路地へ通り抜けができる。一方、右側の階段は右方の小林ビルに沿ってその敷地内を上るもの。上部では中央の階段の先とつながっているので、利用できないことはない。しかしなぜか両者の間には壁が造られている。

#階段・坂 文京区
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白山神社の参道階段

2011-10-03 | 文京区  

 お参りをしたら南へ抜ける。

白山神社南参道(男坂?)
所在地:文京区白山5-31  Google Map
段数 :44段
Photo 2011.9.27

 神社の境内南側は駐車場化していていまいちだが、直線的に上る参道は整備されていて立派。

白山神社女坂?
段数 :41段
Photo 2011.9.27

 南側の参道の少し東側には、住宅地内を通り抜ける階段がある。いくつかの平場を経てカーブしながら下りる姿はいわゆる女坂的なもので魅力的。だが、この階段には女坂の名は無い。

 以前の写真(下記)と比較すると、舗装がし直されて手摺が設置されたりと、少々の変化はあったようだ。

東京の階段 DB白山神社参道 女坂?
#階段・坂 文京区  #神社
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白山神社東参道

2011-10-02 | 文京区  

 某講座の下見で白山あたりへ。白山駅付近の階段を見てから白山神社へ向かう。

東京の階段 DB
   地下鉄白山駅  地下鉄白山駅西側 Jazz喫茶前

 白山神社の社殿は南面しており、南側の参道を上ると正面からになるが、駅からだと東側から入るのが便利。東側の参道には立派な鳥居もある。鳥居の先には9段の石段。

白山神社東参道
所在地:文京区白山5-31  Google Map
段数 :9段
建設年:1790(寛政2)
Photo 2011.9.27

 階段上(右側)に標石があり、寛政2年(1790年)に整備されたことが記されている。階段の整備年を江戸時代に遡って知ることができる例は都心ではあまり多くない。一方、上部の両側に立つ石柱には明治43年(1910年)に奉納されたことが記されている。と書きつつ、鳥居の建立年は見てくるのを忘れてしまった・・・。

#階段・坂 文京区  #神社
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