都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

早稲田大学16号館

2013-03-22 | 新宿区  
早稲田大学16号館(教育学部)
所在地:新宿区西早稲田1-6   Google Map
建設年:1967(昭和42)年
構造 :SRC
階数 :10F・B1F
Photo 2013.1.9

 2年前の東日本大震災で、16号館は教室の間仕切り壁などに亀裂が入った。直後に応急措置が行われ、その後、耐震補強工事が行われた。

 時々にしか訪れない建物なのでどのあたりが変わったのかよく分かっていなかったのだが、たまたま以前に撮っていた写真と見比べてびっくり。□に斜材が入ったフレーム補強は以前は無かったものだった。写真では見にくいが側面にも同様の補強が入っている。

早稲田大学16号館 耐震補強前の様子
Photo 2011.5.26

 こうやってみると意外に以前の建物外観はすっきりしていて格好いい。柱は上階に行くにつれ細くされている。下層階ほど上の荷重が全部掛かってくるので太い柱にされていて、上層階はそれほど太い必要がないということで、昔のRC柱はしばしばわずかずつ細くなっている。これはまた、遠近感を強調してスラッとした感じを出すのにも役立っている。最近の建物もやっていないことはないと思うが、それをデザイン的に見せることはあまりないようだ。

 また、細かい話だが、以前は左から2スパン目の玄関上部に時計が付いていたが、ここに補強フレームが来てしまったため、時計は中央柱間に移され、遠くから見ると左右対称になったように見える。

 地震で倒壊してしまっては困るので、デザインの格好良さは二の次で、補強は仕方ないことだ。

 壁面全面に補強が入らなかったのは、これで十分だという判断からだろう。中央の柱間に補強が入っていないのは、建物中央は階段室やEV他のセンターコア部分になっていて、壁体が多いからだろうか。側面の方も中央あたりは下層階にしか補強が入っていない。その他の部分も補強は交互に市松模様状にされている。これは補強をした部分の隣は、周囲に補強があることによって変形が抑えられるという理屈らしい。

 知らない人が見ると、変なデザインに見えるかもしれない。また少しでもそういう事情を知っていると、最小限の補強で済ませたようにも見えて、ちょっと安っぽく感じられてしまうかもしれない。

 そのあたりは、将来の建て替えを見越した暫定的、緊急措置だからかもしれない。すぐに建て替える話があるわけではないが、耐震面のみならず機能面でもやや見劣りがする建物になってしまっているのは残念ながら事実だ。教室棟でたくさんの学生が出入りする10階建て建物であるにもかかわらず、この建物には小さなEVが2台しかない。建物の外側に足場を組んでEVを新設して欲しいとさえ思う。中央部の階段も狭く急で、授業の開始、終了時はキャパシティを遙かに超えた人が集中し、階段が渋滞してしまう。それこそ災害時の避難は不安だ。

 そう考えると、10年ほどの内になんとかしようと考えているから応急措置で済ましたのかなと思えてくる。まあ、とりあえず地震で崩れることはないはずなので、地震が起きても焦らずゆっくり階段を下りて退避すべしというところか。

#古い建物 新宿区  #早稲田大学  #大学 
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早稲田大学15号館 その2 外階段

2013-03-21 | 新宿区  

 さて、15号館(共通教室棟)の西南角には非常階段的な外階段があるのだが、これがなんだかとんでもない代物だった。

早稲田大学15号館の外階段
所在地:新宿区西早稲田1-6   Google Map
建設年:1966(昭和41)
構造 :RC
階数 :4F・B1F
Photo 2013.1.9

 直角三角形の平面をなす空間にこの階段はある。斜辺は内部の教室との間の壁面で、西側の短辺には小さな丸窓が格子状に並ぶ。南側は横長のスリット状。

 こんな階段があるなんて今まで全然知らなかった。とにかく階段のある空間が狭く、階段自体も狭い。短辺に4段、斜辺の壁沿いに10段がある三角形のスペースを2周して1フロアを上るもので、天井も異様に低い。実は手摺の高さも60cm程度で、吹き抜け部分に簡単に身を乗り出せるような高さしかない。もしかすると今では法律違反ではないかと思わせられる危なさ。

 上の三枚は、いずれも何枚かの写真を強引に繋げて超広角相当にしている。広く見えるかもしれないが、実際の空間はかなり狭く、28mm相当のレンズで普通に撮ると一部分しか写らず、どういう空間か分かりづらくなってしまう。

 ただ、このコンクリート打ち放しの空間、クールというかドライでよろしい。使う人がほとんどいないため、埃だらけなのは難だが、この狭い三角形の空間に強引に階段を造っているのはスゴイ。

 中央部は三角形の小さな吹き抜け。今はこんな設計しないだろうなと思わせる空間だ。

早稲田大学15号館 階段室から16号館
Photo 2013.1.9

 丸窓から隣の建物を眺める。授業中である。

#古い建物 新宿区  #早稲田大学  #大学  #屋内階段 
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早稲田大学15号館 その1

2013-03-20 | 新宿区  
早稲田大学15号館(共通教室棟)
所在地:新宿区西早稲田1-6   Google Map
建設年:1966(昭和41)
構造 :RC
階数 :4F・B1F
Photo 2013.1.9

 南側は大々的に耐震補強がされたため、もとの立面が分からないほど。南側の14号館との間にあまり間隔がないので、壁面を正面から見ることも適わない。

 だが、屋上のディテールや北側の立面などを見ると、この建物が意外に手の込んだモダニズムデザインの建物であることに気付く。

早稲田大学15号館 屋上・パラペット部分
Photo 2009.6.18

 コンクリートでなんともいえない装飾が造られている。装飾しちゃったらモダニズムじゃないのかもしれないが、遊びたくなったのか? ただこの部分、全く目立たない。隣の16号館の上層階の教室からふと窓外に目をやると見えるという程度。ただ、授業中にこれが気になってしまう学生さんはいるかもしれない。穴が空いてる部分が目のようでもあり、「ちゃんと勉強しとるか?」と隣の校舎が見つめているようにも思える。それが気になるようだと結構病的だけど・・・。

早稲田大学15号館 北門付近から北東角部分
Photo 2013.1.9

 階段室の窓は縦長、その両側の壁面は凹ませてある。階段室東側は小さな丸窓が格子状にたくさん穿たれたもの。小さな窓台が窓外に付いているのも面白い。

早稲田大学15号館
Photo 2013.1.9

 内部はというと、北側には吹き抜けの自習エリア・談話エリアがある。これはこれでなかなかゆったりした空間で気持ちよい。

#古い建物 新宿区  #早稲田大学  #大学  #吹き抜け・アトリウム  #モダニズム 
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早稲田大学7号館

2013-03-19 | 新宿区  
早稲田大学7号館 北側の階段 4Fからの見下ろし
所在地:新宿区西早稲田1-6   Google Map
建設年:1951(昭和26)年、1957(昭和32)年に北側を増築
構造 :RC
階数 :5F・B1F
Photo 2013.1.9

 7号館は大隈侯銅像北側にあり、昔は理工学部の校舎だった建物。前面と側面は縦長の窓が並ぶファサードだが、背面(北側)は大きなガラスが格子状になっており、階段室と大教室のホワイエになっている。この建物、2F以上は大教室が建物の南北の間に横たわっており、廊下は前面と背面側がつながっていない。建物の北側から入らないと体験し得ない空間なので、最近までこの場所は知らなかった。理工学部で学んでいたので、本部キャンパス(早稲田キャンパス)にはまだ知らない空間がいろいろある。階段の踏み面の色がところどころ違うのは、傷んだリノタイルを貼り替えた時に違う色にしてしまったからだろう。

早稲田大学7号館 北側の階段 3F部分
Photo 2013.1.9

 階段としては、モダニズムの普通の階段。変に凝ったりもしていない。ただ、大きなガラス格子窓を背景にすると、途中の平場部分などは意外に軽快な感じ。最近は吹き抜けを下りるこういうRC階段はあまり造られない気がするが、構造上の問題か、下側からのノゾキの問題あたりからだろうか。それともRC階段は手間がかかるからとか、デザインの流行とかなんだろうか。

早稲田大学7号館 北側から
Photo 2012.12.11

 上写真は以前に掲載した、外側からの夜景写真。

早稲田大学6号館・7号館
#古い建物 新宿区  #早稲田大学  #大学  #夕景・夜景  #屋内階段  #モダニズム 
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早稲田大学6号館

2013-03-18 | 新宿区  
早稲田大学6号館
所在地:新宿区西早稲田1-6   Google Map
建設年:1936(昭和11)年・1954(昭和29)年に北側を増築
構造 :RC 階数 :4F・B1F
設計 :桐山均一
Photo 2013.1.9

 6号館は昔は理工学部校舎だったという南北に細長い建物。

 1Fには東側にある坪内博士記念演劇博物館のほうへつながる通り抜け通路があり、そこが建物の入口にもなっている。

 夕日が差し込む様子が、ちょっとヨーロッパかなにか風だったので一枚。

#古い建物 新宿区  #早稲田大学  #大学  #近代建築  #桐山均一 
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早稲田大学仮称D棟計画

2013-03-14 | 新宿区  

 早稲田キャンパスでは現在、新3号館が建設中だ。

早稲田大学7号館から仮称D棟工事現場。写真奥は1号館。
所在地:新宿区西早稲田1-6 Google Map
Photo 2013.1.9

 恐らく新3号館になるのだが、現在は仮称D棟として建設が行われている。

 以下の画像・図版は、新宿区景観まちづくり審議会の、第48回審議会に提出された資料から。議事録を見ると、大学が大きな建物を建てることに怒っている委員の方もいて、不謹慎かもしれないが面白い。。。G先生とか身内の計画というのもあって、あまり厳しい発言もできなかったのかな~とも思う。

新宿区 > 新宿区景観まちづくり審議会
 > 第48回新宿区景観まちづくり審議会
  > 早稲田大学早稲田キャンパス D棟(仮称)建設計画について(PDF)
  > 議事録

 上図は資料に建物名を加筆したもの。早稲田キャンパスの建物群は正門前に1号館、2列目に南から2、3、4号館で、演劇博物館が5号館。3列目は北から6、7、8号館、4列目はまた南から9、10、11、14、15、16号館という配置になっている。

 ここ10年ほど、建て替えが進められていて、最初に建て替えられた14号館は仮称A棟だった。次が8号館でこれが仮称B棟、最近できたのが11号館で仮称C棟と言われていた。それで、今回は3号館で仮称D棟である。

 なお、図中手前には大隈記念タワー(26号館)と、小野梓記念館(27号館)があるが、これは厳密には早稲田キャンパス外で、A~Dの建物更新とは別物だったため、α棟とβ棟として建設が進められた。

 数年前に私もちょっと関わっていた早大キャンパスの建物ボリュームや高さの方針では、1号館は保存することとし、2~4号館は基本的には低層のゾーン、6~8号館が並ぶゾーンは中程度の高さやボリュームを認めるゾーン。そして9~16号館ゾーンは最も大きなボリュームや高さを認めるゾーンというように考えられていた。早稲田キャンパスの敷地は正門前から大隈侯の銅像方向へ向かって坂を上っていく。敷地の高低を強調するように、高台側に背が高く大きな建物を置き、標高が低い正門側は高さを低くするという方針だったのだが、今回は中程度の高さやボリュームを認めるゾーンに比較的大きな建物が建つ計画になっている。そしてその結果、7号館などは三方を高層建物で囲まれる状態になりそうだ。

 景観審議会の議事録を見ると、大きな建物を建てるなら3列目の7号館の位置の方が良かったのだけれど、入居する学部の意向から、2列目だが大きな建物とすることに理事会方針でなってしまったとG先生は仰っておられる。都市計画や建築計画の専門家が良かれと思って作ったガイドラインが、自らの組織の手によって反故にされて形骸化してしまった感じなのはなんとも残念ではある。

 ただ、ボリュームの要請が大きいのは都心にキャンパスを構える大学としては致し方ないだろうなとも思う。じゃんじゃん学生を入れて、建物造って儲けようとしているという批判は、ちょっと言い過ぎな感じで、現在の都心の大学間競争の中では、昔の建物のままでなどというナイーヴな物言いは夢想的でしかないような気がする。

 さて、そのD棟、近代様式建築の旧3号館のイメージを再現して、その後方と上方に新建物を造るかたちになるようだ。屋根の上に乗っかるようなデザイン。良いのかなぁ・・・。

 正門付近からのパース。1号館の軒線と合わせて3号館はイメージ再現され、高層部分はやや下がった位置から壁面が立ち上がっており圧迫感を軽減しようとしている。ただやはり正門に近い分、かなり大きく見えてしまうのは事実かも。後方や側面の足下周りには多少ピロティ的な部分ができてオープンスペースは少し広がるかもしれない。

 議事録にはD棟が終わったら次の予定は白紙のようだとあるが、耐震的に厳しいものや老朽化している校舎は他にもある。資金の目処が立てば、D棟の後も後方の建物を中心に建て替えが徐々に進められるのではないかと個人的には思う。

#新しい建物 新宿区  #街並み 新宿区  #早稲田大学  #大学 
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日比谷三井ビル

2013-03-13 | 千代田区 
日比谷三井ビル
所在地:千代田区有楽町1-1
建設年:1960(昭和35)
構造 :SRC
階数 :9F、B5F
2011年解体
Photo 2010.9.15

 モダンな大規模オフィスビル。

 こういう建物ってむずかしい。様式建築的な装飾が全くないので、建築にさほど関心のない人にどう説明したものか困る。ネガティブに言えば、なんの変哲もない、退屈なビルだ。無機質で冷たい印象とか、機能優先とかいうことになる。

 でもそれらの言葉を全てひっくり返しに言うと、良い方にも言える。一見、地味だが、派手に装飾されておらず、街並みに調和した、洗練されたモダンデザイン。冗長でなくクールで合理的な建物。

 建物を見るとき、多くの人は目立つ装飾などに目が行きがちで、この手の渋いデザインにはあまり目を向けない。かくいう私も、この建物のディテールなどは結局撮らなかった。建築設計をやっている人なら、ディテールの収まりとか、素材とか、細かいプロポーションなども見てるのかもしれないけれど、そのへんはやはり玄人目線なので、ややついて行けない。

Photo 2009.1.18

 建設当時はかなり大きなオフィスビルとして印象的だったのかもしれないが、その後、超高層オフィスビルがどんどん建つようになると、この手のビルはよくある大型オフィスビルの一つになってしまい、やや目立たない存在になっていく。道を挟んだ北側に建っていた三信ビルは華麗に飾られたアーケード商店街を持った昭和初期の近代様式建築で保存運動も起こった。日比谷三井ビルはそれより規模も大きかったが、戦後の高度経済成長期に建てられたものでもあり、凡庸なモダニズムオフィスと思われたか、特に反対運動もなく粛々と解体されていった。

 戦前の街並み写真や絵葉書を見ると、都心のビル街は様式建築だらけだったことがわかる。現在は新古典主義建築などの様式建築は、数の上では完全に少数派で、希少価値を持つものになっているが、戦前はそうでもなかった。現在の多数派であるモダニズム建築はまだ現れ始めたばかりで、ごくごく少数派。一方、商店街などはちゃんとした様式建築ではなく、看板建築や擬洋風建築が建ち並び、出桁町屋などの和風建築も多かった。

Photo 2010.9.15

 一口に様式建築と言っても、名建築家が設計した素晴らしい様式建築もあれば、諸事情でいまいちなB級様式建築もあった。様式建築だらけの街並みの中にもAクラス建築とBクラス建築があり、下手するとCクラスもあっただろう。装飾が多く華やかに見える当時の街並みも、Aクラスの名建築だけでできていたわけではない。だが素人目にはあまり細かいことは分からない。装飾があるかないか、多いか少ないか、きれいかどうか、せいぜいその程度のものだ。

 さて、モダニズム建築になると、そのAクラスとBクラスの差が更によく分からなくなってくる。分かりやすい装飾が全くないので、装飾の有無や多寡、装飾の美醜で判断しがちな素人には、どれも皆同じに見えてしまう。突き放した言い方だが、建築デザイン教育をほとんど受けていない日本人は、建築デザインの細かい差異にはほとんど関心がない。更に言えば、極めて残念だが、そこで扱っている商品や食べ物にしか「情報価値」を見出していない人が多い。

Photo 2010.9.15

 そのような状況なので、初期モダニズム建築として相当の価値があると建築系の学会では言われていた東京中央郵便局も、某有名作家が「汚いただのオフィスで残す価値もない」などと書くことになる。有名作家といえども建築デザインに関する教養は全くないようだ。実際、メンテナンスが悪かったから最後は汚いオフィスだったけど、そうなってしまったのは、モダニズムデザインに対する無理解からだ。そこにモダニズム建築の悲劇があるかもしれない。

 つまり、モダニズムが分かりやすい装飾を中心とした芸術でないため、使い勝手や機能の視点でばかり評価され、古くなるとすぐに解体されてしまう。モダニズム建築はその出自から多分にそうなってしまう可能性を孕んでいるのかもしれない。

 話はそれるが、現代アートは難解だ。ピカソは初期はきっちりデッサンしていたが、途中からどんどん妙な絵柄になって行く。ピカソなど既に評価された人の絵画は、そういうものなのかと思うほかないが、正直言って未だになぜ素晴らしいのか分からないものもある。それでも現代アートは既に価値を持っているし、中学生でもピカソぐらいは知っている。

Photo 2010.9.15

 ピカソとモダニズム建築を並べて言うのはやや強弁かもしれないが、モダニズム建築も、難解だが建築芸術系分野では既に相応の価値があるものと考えられている。だから他の芸術分野の芸術家同様、多くの一般の人に建築家、例えばコルビジェやミース、丹下氏などを若い内から知って欲しい。建築文化に対する理解がもう少しあれば、モダニズム建築に対する接し方や扱いも変わるのではないかと思われてならない。

Photo 2011.9.7
日比谷三井ビル/有楽町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #オフィス  #モダニズム 
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紅葉坂

2013-03-12 | 荒川区  
紅葉橋北詰の階段
所在地:荒川区東日暮里5-52
段数 :48段(下から16、16、16段)で跨線橋部分に至る
Photo 2012.12.19

 紅葉橋も昭和初期(1928年頃)に架けられた跨線橋で、橋上の途中に日暮里駅の改札が設けられている。昔の紅葉坂の位置に架けられ、紅葉坂上部に繋がるため、この名が付いた。橋長約90m。

紅葉坂
所在地:台東区谷中7-14と15の間
段数 :18段
Photo 2012.12.19

 現在、紅葉坂と呼ばれるのは、橋を渡ってから左へ、天王寺わきへ至る階段坂の部分のみ。

#階段・坂 荒川区  #橋  #鉄道
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芋坂の階段

2013-03-11 | 荒川区  
芋坂の階段
所在地:荒川区東日暮里5-55
段数 :35段(下17段、上18段)で跨線橋部分に至る
Photo 2012.12.19

 御隠殿坂同様、芋坂は江戸期からあった坂。江戸期の坂は橋の少し西側を通っていたらしい。

 御隠殿坂橋と同様、鉄道が建設された後は踏切になっていたが、1928年頃に芋坂跨線橋が架けられたという。

 芋坂跨線橋と御隠殿坂橋は橋の様子が似ていて、どちらがどちらか分からなくなるが、御隠殿坂橋はRC、芋坂跨線橋は鉄橋で、構造が異なるようだ。

#階段・坂 荒川区  #橋  #鉄道 
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書籍「新宿学」

2013-03-10 | 本    

 長らく時間が掛かっていた書籍がようやく刊行に。



紀伊國屋書店BookWeb > 新宿学
Amazon.co.jp > 新宿学
 戸沼幸市 編著、青柳幸人・高橋和雄・松本泰生 著

 新宿を多方面から調べて学問してみましょうという本で、私の師匠である戸沼幸市早大名誉教授が編著で、住宅都市整備公団の元専務理事で早大元客員教授の青柳幸人氏、新宿区元助役の高橋和雄氏と、不肖、私が分担執筆。

 現在、新宿の紀伊國屋書店や、西口のブックファーストなどでは、新宿関連本フェアも行われているとか。よろしければ、書店などで御覧頂き、ご購入頂ければ幸いです。よろしくお願い致します。

 今の出版業界のご時世もあり、かたい本を出してくれる出版社がなかなか無く、当初は難航しておりました。新宿を創業の地とする紀伊國屋書店さんが発行を引き受けて頂き、ようやく具体的に作業を始めることになったのが、2011年の秋。

 ただ、その後も執筆、図版作成に時間が結構掛かり、執筆開始から1年半近く掛かってようやく発行にこぎ着けた次第。

 2004年から早稲田大学のオープンカレッジ講座で「新宿学」という市民向け講座を足かけ9年に渡って行っており、そこでの講義や資料を再度整理してまとめたものでもあるので、それを考えると「新宿学」として始めてから10年近く掛かってようやく本になったともいえます。

 

 新宿という都市に関する本としては、古くは、

Amazon.co.jp > 「新宿の今昔」 芳賀善次郎 著 紀伊國屋書店 1970年

があります。また近年では、私の先輩である佐藤洋一氏による

Amazon.co.jp > 「あの日の新宿-昭和25年から30年代の思い出と出会う」
 (地図物語):佐藤洋一・ぶよう堂編集部 2008年

もあります。この他、新宿区や新宿区立歴史博物館からも多くの資料や書籍が出されています。それらの本と併せて御覧頂き、都市というものを様々な観点から眺め考えるきっかけになればと考えています。

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