ぽてと倶楽部

じゃがいも伝来の地 『長崎』
雲仙普賢岳の裾野に広がるじゃがいも畑。
ここ愛野町は北海道に次ぐ「ポテト王国」です。

長崎原爆の日

2008-08-09 | よもやま話
今日、長崎は63回目の「原爆の日」を迎えた。
叔父の1周忌の法要で、お寺で読経の前に原爆投下時刻の午前11時2分を迎え、
参列者全員が市役所のサイレンと同時に黙とうをささげた。

義理の父の親兄弟は63年前のこの日に原爆で全員亡くなられ、
終戦で復員してきた義父は一人だけ残されてしまったそうです。
その義父も12年前に70歳で亡くなられましたが、原爆のことはあまり話されませんでした。

私の父は当時、予科練の訓練中で奈良にいて、当日長崎出身者は全員集められ、
長崎には新型の爆弾が落とされ、甚大な被害が出ているらしいと帰省許可が出たそうです。

母は当時中学生ぐらいで、身内で唯一原爆の目撃者です。
当日は燃料にするための松脂の採取に雲仙山麓へクラス単位で行っていたそうです。
原爆投下の時はピカッと稲光りのような閃光が走ったかと思うと、
その後ドドーンという轟音が長崎市内の方から聞こえてきたそうです。
そうしているうちにもくもくと空高くキノコ雲が湧き上がり、
数分後にはそのキノコ雲は風に流され空を覆ってしまい曇り空に変わったそうです。

市内の惨状を直接見てはいないが、この話は孫達にも話して聞かせているようだ。
二度と悲劇を繰り返さないためにも。
戦争を始めたのも人間。原爆を落としたのも人間なのである。

それにしても米海軍の原子力潜水艦「ヒューストン」が放射能垂れ流しての佐世保寄港は
長崎県民を馬鹿にしている。



写真:爆心地から南東約800mの地点にあり、山王神社は跡形もなく崩れたが、
   鳥居だけは片方の足を残し、今もなおその柱だけで立っている。
   原爆の恐ろしさを伝える貴重な資料である。


日記@BlogRanking
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「にこまる」栽培研修会

2008-08-06 | 米づくり(にこまる)
昨日の東京に次いで今日は甲子園の高校野球も中止になるほどの雨(ゲリラ豪雨)が・・。
甲子園の近くに従兄弟がいるが、久しぶりに雷鳴が腹に響いたそうである。
長崎地方は早々と梅雨も明けてから、雨らしき雨は降っておらず、猛暑の毎日です。

2、3日前からクシャミ、鼻水、ただでさえ暑いのに体中が熱っぽい。
エアコンをガンガン付けっぱなしで寝たのが悪かったらしい。

午後は水稲「にこまる」特別栽培の研修会で水田での実地研修。正直言って辛かった。
追肥(穂肥)の時期と量の見分け方を改良普及センターから指導があったが、
幼穂(ようすい)が5センチ以上になった時が GOODタイミングとか。
今はまだ1ミリにも満たないようで、この分ではお盆過ぎが適期らしい。
その前に今週末が第一回目の一斉防除の予定です。

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親父退院しました。

2008-08-05 | よもやま話
去る6月24日に右大腿骨頸部骨折で入院、翌25日に手術を受けた親父が退院しました。

認知症もあり、術後の1ヶ月間の連日の昼夜の付き添いはさすがに疲れましたが、
看護士さんの手厚い看護も仕事とはいえ本当に頭が下がりました。

今後は静養とリハビリを受けるために老健施設に入所することにしました。
病院とは違って食事も食堂で取り、明るく、家庭に近い環境での生活が可能で、
万が一の時はドクター、看護士も常駐しており安心です。

入所後すぐ転倒して再骨折で病院に逆戻りという事例も多いらしく要注意だそうです。
本人は全く無関心のようですが。
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