「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

    インドネシア独立記念日(2) 心と心のおつきあい

2009-08-17 14:26:59 | Weblog
インドネシア独立式典に参加する旧日本軍従軍世代は年々減り、今年は僅か5人に
減ってしまった。むりもない。平均年齢は85歳を越えている。64年前、独立当時、この
人たちは祖国を離れて、自分たちの国の独立のために一緒に戦ってくれたという同士
愛なのかもしれない。インドネシア人の戦争を知らない若い世代の5人への対応には本
当に頭がさがる。今年も式典後の会食では、一番先に従軍世代を代表して山下信一
昭和女子大名誉教授(89)がナシクニン(お祝いご飯)の光栄に浴した。(写真 右)
教授は昭和17年スラバヤ上陸作戦に従事、21年復員までインドネシア各地でお世話
になったそうだ。

日本とインドネシアとの友好の言葉は福田赳夫元首相が唱えた"心と心のつきあい”で
あったはずだ。残念なことに、この独立式典に最近は外務省からも赳夫元首相の息子さ
んの康雄元総理が会長をしている日本インドネシア協会から一人も顔を出さなくなった。
式典が朝早いというのは欠席の理由にはならない。日本人の心はどこへ行ってしまった
のだろうか。

       インドネシア独立記念日(1) 二人の日本人

2009-08-17 05:24:21 | Weblog
今年も朝早く家を出て午前8時から始まるインドネシア独立式典に出席した。式典は
東京五反田の大使公邸の庭で64年前の1945年8月17日、ジャカルタのスカルノ(初
代大統領)邸前庭の独立宣言当日の模様を再現した形で行われる。ここ数年、僕も
招かれ参加しているが、いつも僕は、この国の独立にかかわった日本人の先人に対
して思いをはせることにしている。

僕の知人(物故)の中に、インドネシア独立時、ジャカルタにいて、それぞれの立場から
独立に直接間接に関係した方が二人いる。一人は、独立宣言文書が起草された前田
精海軍武官府の嘱託だった西嶋重忠氏(のちに北スマトラ石油常務)と陸軍第16軍軍
政監部政務班長だった斉藤鎮男氏(のちに在インドネシア大使)のお二人である。

西嶋氏の著書「証言インドネシア独立革命」(昭和50年 新人物往来社)によると、独立
宣言の起草が終了したのは17日午前2時すぎだった。宣言文は前田中将の暗黙の了
解を得ていたが、軍政主担当の陸軍の了解が得られていなかった。海軍の独走の批判
を恐れて、陸軍側の窓口であった斉藤政務班長に連絡をとったところ、斉藤氏は"君らの
やり方は天皇に不忠であり国賊だ”と拒絶されたという。斉藤氏、陸軍側にすればポツダ
ム宣言を受諾した直後であり、連合軍に無断で独立を許認するわけにはいかなかった。

結局、陸軍側の同意のないまま、それから数時間後の午前10時(本来の現地時間は午前
8時だが、日本の軍政下では日本時間を使用していた)スカルノ邸前にインドネシア国旗
が掲揚され、国歌が歌われ、独立宣言がスカルノによって読みあげられた。この式典には
一人の日本人の参加者もいない。独立前後の当時の模様については斉藤鎮男氏の著書
「私の軍政記」(財日本インドネシア協会 昭和52年)に詳しい。