「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

マスク着用やはり 最低基準が必要

2022-05-20 09:10:30 | 2012・1・1
政府のコロナ対策専門家会議で有志の見解として屋外でのマスクの着用は不要だとの見解が出た。なぜ,有志の見解なのか。素人の老生が見てもまだいとせない幼児が広々とした屋外で大きなマスクをしている姿は首をかしげたくなるが。やはり、専門家の中には幼児期の長期にわたる着用は成長に影響があるとみる人もあるようだ。確かに乳母車の乳飲み子マスク姿は痛ましい。

全国的なコロナ新規感染は昨日も37642人と拡大こそしていないが、収束への道は遠い。要介護老人は他人への迷惑をかけたくならず自宅で蟄居しているが、来週から特有老人施設にまた4泊5日でお世話になり、その事前手続したが、今回は初めてPCR検査を行うという。PCRといえば流行初期に云々されていた印象なのだが。3回目のワクチン接種が50パーセントで足踏みしている。日本人としての国民性だ。ある程度お国の強い声がかからないとダメなのか。マスクも最低基準が必要だ。









10年前もバラが咲いていた

2022-05-19 10:25:58 | 2012・1・1
保存写真をチェックしてみたら10年前の2012年5月19日撮影した隣りのバラが出てきた。手入れが大変のようだ。10年前は隣りの住人は現職、専門の植木屋さんんが手入れに入っていたが、今は定年退職されてそれでも忙しそうだ。

季節感のない在宅介護者の日常

2022-05-18 13:01:42 | 2012・1・1
昨日の夕刻に1回の往診医の診察を受けた。足腰の劣化を配慮してケアマネージャーが手配してれた。若い男性の医師と看護師が二人、車を運転して来宅、手際よくITカルテに従って診断、 投薬のでしてくれる。有り難いのは医師と前後してケアマネくも来宅、治療と介護のコラボができることだ。
有難いことだけだが、在宅介護者にとっては外部との接触が薄くなり,移り行く四季が身体で感じ取れなくなってきたことだ。わずかな接触は老妻が母の日に娘から贈られてきた蕾だった鉢植えのカーネーションが花開く模様の観察だ。
東京は間もなく梅雨に入り、やがて夏がやってくる。生きている限りは直に季節感に触れたいものだ。












新規感染1日1000人切った関西首都圏

2022-05-17 10:29:55 | 2012・1・1
全国的に毎週月曜日はコロナの新しい感染者が多いが、昨日5月16日も21784人と低かった。中でも老生が特筆したいのは関西首都圏が大阪944人、兵庫626人、京都420人と1000人を割り込んだことだ。東京は2377人、神奈川も1640人と依然として1000人を越えたが、埼玉952人、千葉602人とこれまた低かった。
首都圏のほか1000人を越えたのは愛知1005人、福岡1200人と北海道2021人。沖縄1090人。


アスパラカスの贈り物 半世紀前の想い出

2022-05-16 10:16:00 | 2012・1・1
昨日、札幌の友人夫妻からアスパラカスが宅急便で贈られてきた。夫妻は半世紀前の1972年、僕ら夫婦が札幌に在住、創設まもない民放に勤務していた時、お互いに新人社員として入社してきた。僕らはその二人の仲を取り持った関係にある。1972年は公私ともに僕らにとって忘れられない。札幌で冬季五輪が開催された年であり沖縄が本土に復帰した年であり、日中関係が正常に回復した年でもある。
朝取りだろうか新鮮なアスパラを頂戴ながら、老生は若くして一生に一回和服姿で仲人をした結婚式を思いだし,それからそれへと当時のことが追想されてきた。若き友人夫婦は新婚旅行に沖縄の先島へ出かけている。沖縄が本土復帰した直後であったのだ。あれから50年、二人にはもう何人かお孫さんがいる。おじいさん、おばあさんである.。

父の生誕134年 往時の古写真

2022-05-15 11:52:21 | 2012・1・1
亡父は昭和44年84歳で亡くなっているが、生きていれば今年134歳である。書庫の整理をしていたら、遺品のアルバムの中から、父が生まれて間もなく誰かに抱かれて”ちんちん”丸出しの写真があった。老生の祖父は明治維新まで幕府の代官手代しており、文久2年(1863年)  サムライ姿で撮った写真もあるか、まだ写真そのものが珍しかったのであろう少ない.。
祖父や父の明治時代の珍しいのだが、この”ちんちん写真はだれがとったのだろうか。当時個人がカメラをい持っていたとは思えい.町のスタジオヘ 行き撮ってもらったのか。.
祖父は維新後明治政府に奉職したが、住居は手代時代から引き続き下谷竹町に住んでいた。当時下谷には幕府の役人、とくに絵師が大勢住んでいたらしく写真に関心を持つ人が多かったようだ。ちなみに「下谷と写真師」で索引すると当時の下谷と写真との関係が分り面白い。

37歳ベテラン力士玉鷲の活躍

2022-05-14 10:30:17 | 2012・1・1
大相撲五月場所は13日、六日目、中盤戦に入り、土俵も落ち着くかと期待していたが、昨日も一人横綱、照ノ富士と3大関のうちの二人、正代と貴景勝に土がつき波乱の土俵となった。初日以来の横綱大関のトータルの勝負を調べたら11勝9敗やっと勝ち越している状態である。とくに大関は連日誰かが負けている。こんな下剋上情勢の中で西幕内3枚目の37歳のベテラン力士、玉鷲がまた気を吐いている。
玉鷲はわずか3秒の相撲で照ノ富士を土俵に押し出したが、平幕力士が同一横綱に連続3場所勝ったのは57年ぶりの記録だという。それより双葉山時代からの相撲ファンの老生が称賛したいのは玉鷲が今場所記録した連続出場1426という現役力士としての最高記録だ。
1年初夏2場所だった戦前と違い、年6場所の今は出場回数も多く、ケガや病気になれば番付も急降下する。大関からケガで序二段まで番付を落とした照ノ富士のような例もあるが、関取としての現状維持で連続出場は相撲界に取って宝物だ。記録を目指して幕内優賞にも再度挑戦してもらいたい。

マスク考 国の基準は必要か

2022-05-13 11:24:31 | 2012・1・1
GW明け後コロナ感染は一部の期待とは裏腹に微増傾向にある。その中で開かれた東京のモニターリング会議で小池百合子知事は”マスクの着用基準は国が設けるべきだという一考を示した。このことから老生は2020年3月、アべのマスクの頃の「マスク政策」矛盾、有言不実行について小ブログで書いたのを想いだした。当時の安倍総理はマスクの無料配付を提案しながら、その審議の国会ではマスク無着用だった。
日本人が冬の流感時にマスクを着用するようになったのは明治維新後だと思うが,老生が子供だった戦前昭和にはあまり白色のマスクをした記憶がない。2000年代JICAの仕事で開発途上国の技術研修員と接触する機会が多かったが、不思議と日本人の白マスク姿に質問を受けた。旧民主党時代で幹事長だった小沢一郎氏の白い大きなマスク姿でのテレビ画面での露出度も多かった。
世界各地からの伝わるテレビ画面をみると,コロナ禍と直接関係のないウクライナ住民もほとんどマスクヲしている。天候、地政的にも異なり、菌質によっても違う。コロナ禍に対して基準が設定できるのだろうか。


東京空襲を体験した作家がもう一人逝去 早乙女勝元さん この世代

2022-05-12 12:13:21 | 2012・1・1
東京大空襲(昭和20年3月10日)を体験した作家の早乙女勝元さんが亡くなられた。昨年の半藤一利さんに次いで東京大空襲を体験した作家の死は二人目である。早乙女さんは昭和7年3月生まれで90歳、空襲時小学校高等科2年、一方の半藤さんは学年1年上だが、旧制中学校3年であった。老生は半藤さんと同学年で東京では20年1月から軍需工場へ動員されている。1学年違いだが、動員された半藤さんと早乙女さんとでは戦争体験が違うのではないか。

早乙女さんから1学年下からはいわゆる学童世代だが早乙女さんの学年は地域によって異なるが激しい空襲下学校で防空要員として待機していたようだ。1学年の差で,空襲体験も異なっている。

戦争が終わって今年で77年、実際に体験した人は何パーセントいるか。まして従軍世代は。改めて体験者の記録を大切にしたい。語り部の養成なども必要なのではないか。



「恍惚の人」から半世紀 痴呆介護

2022-05-11 12:59:10 | 2012・1・1
今朝は朝なのか夜なのかわからない状況で目を覚ました。介護の老妻に聞くと午前10時を回っているという。早寝早起きが生活のリズムだったのだが、すっかり変わった.。.80歳代前半までは早朝6時半からの地域のラジオ体操会に老妻と一緒に参加、それから新聞に目を通し、時にはそのまま小ブログを書いた。昔の友人に久しぶりに会うと”お前の生活なら「認知症」にはならない、といわれたものだ。

「認知症」とはいつ頃からいわれるようになったのか。戦前昭和の時代は特定の医学界でアルツファイマーという学術用語が使われたが、一般には年寄ボケ,痴呆症と言われたりした。僕ら世代は「恍惚の人」と呼ぶことがあるが,もの忘れが多くなった。ネットで調べて見たら、1972年、作家の有吉佐和子の作品名からで、それが映画化されテレビでドラマされてからで半世紀前だ。

今ではあまり、「恍惚の人」呼ばわりはしない。恍惚状態で車を運転されては困る。要介護3では他人の手がなくては車などとても運転できない。認知症にもランク制度を設けて、一定の認知症には免許を与えるべきではない。