「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

役力士から早くも連勝消えた 群雄割拠?

2022-05-10 10:37:00 | 2012・1・1
大相撲5月場所は始まったばかりなのに、休刊日明けの朝刊を見ると2日目目にして関脇以上の役力士6人に2日続けて勝った力士はいない。初日にして横綱照ノ富士が土俵を割り、初日ただ一人白星スタートした大関御嶽海も2日目は黒星。3月場所優勝の関脇若隆景も土俵を履いた。
これに対して元気なのは幕内上位の琴ノ若で、貴景勝,正代両大関を連破している。序盤戦まだ予測はできないが,御嶽海を破っモロッコ勢若手の豊昇龍も台頭してきた。群雄割拠というにはまだ早急かもしれない。
独り横綱それも峠を越えた横綱である。群雄割拠その中から誰が脱け出るのか。

フレイル(陋劣度)深まる要介護老人のGW

2022-05-09 09:52:07 | 2012・1・1
毎週月曜日は91歳要介護3の老生の通園リハビリ通園日だが、体調が悪く休むことにした。7年前の左膝の人口関節置換手術の影響なのか、それに不要不急の外出禁止のコロナ禍のためか運動不足で痛みを感じることになった。2019年11月から通園リハビリを受けている。
仕方がないのかもしrないが、老生のフレイルの度合いはGWの前から深くンってきた。メスの入っていない右膝まで違和感と痛みを感じるようになってきた。それと関係があるのか、介護の生活のリズムまでくるってきた。困ったのは指の力や視力の衰えが出てきたことだ。
さらには今日は新聞休刊日、世の中を知りたくともやはり活字がないのを実感した。










































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戦時下の旧制中学校生徒制服 撃ちてしやまぬ

2022-05-08 09:17:51 | 2012・1・1
5月21日に予定されていた旧制中学校と高校(新制))の合同同窓会がコロナ禍のため10月15日まで再度延期されると通知があった。老生らの学年は昭和18年4月、旧制1年として入学したが、戦後23年卒業時は学生改革で希望者は翌24年新制高校3年生として卒業した。

写真の絵は10数年前老生がクラス会誌を出す際描いたもので、戦時中の中学3年時を想い出し描いたもの。戦闘帽方の学帽に校章、黒線二本入り。制服は国防色で軍服まがい、同色のゲートルを二本脚にまいている。20年GWの頃は何をしていか。4月15日の京浜空襲で、蒲田の動員先の工場が全焼、後片付けに追われていた。
母校近くの居住者は夜間空襲には動員され防空壕で待機された。それでも週に1回程度は授業があり、授業もないの肩掛けカバンの中には三省堂の”撃ちてしやまぬ”の口絵いりの英和辞書が入っていることもあった。
僕ら高校3年生第一回卒業生も卒寿を回った。時の流れの速さだ。





戦時下の旧制中学校生徒制服 撃ちてしやまぬ

2022-05-08 09:17:51 | 2012・1・1
5月21日に予定されていた旧制中学校と高校(新しているが制)との合同同窓か10月15日まで延期されるとの通知が来た。老生らの学年は昭和18年4月、中学校に入学しているが,戦後卒業時の23年には学制改革で1年延長して翌24年卒業してもよかった。
写真の絵は10数年ほど前、同期会誌に老生が描いたものだが、80年近く前の戦時中

錦秋の日本でコロナ禍明け収束祭を

2022-05-07 13:32:43 | 2012・1・1
数字で見る限り蔓延傾向んだったコロナ新規感染者数もGWの期間中は沈静化している。5月6日、感染の一応の目安ともいえる一日1000人を越えたのは東京の2681人を筆頭に神奈川2182人、北海道1668人、大阪1495人、沖縄1308人、福岡1183人、埼玉1025人の1都1道5県にすぎない。1000人台の常連の京都は463人、広島は645人、名古屋935人といずれも低い。

コロナ感染者数は予測できない。神のみぞ知るといった安倍内閣の閣僚がいたが果たしてそうだろうか。3回目のワクチン接種率も半分をこえている。世界j的にみても既に屋外でのマスク未着用を許可している。こうした状況の中で、世界から観光客を呼ぼういう声が出てきたという。日本の秋は錦おりなす紅葉が美しい。その頃にはコロナ禍も収束しているだろう。go to japan 早々と準備しよ
う.


「お婆さんみたい」などと呼べない 老妻の"老老”介護

2022-05-06 08:49:16 | 2012・1・1
愛読の産経新聞一面の読者の詩、投稿欄「朝の詩(うた)」(5月6日掲載)に「お婆さんの定義」という一詩が載っていた。91歳の女性が息子から最近、白髪皺の目立った姿について"お婆さんみたい”と言われたことに対する一詩である。彼女は自分の姿をみれば、だれもお婆さんみたいなどとは言わないという。

老妻この3月で90歳を迎えた。老生の介護疲れでこのところすっかり髪が白くなった。80歳後半までは月に1回ぐらい美容店で髪を染め、若い髪形にしていたが、老生の介護で忙しくなり、最近は自宅で染めることもあった。
馬齢ともに在宅介護度は高まってくる。老妻とて腰を痛めて通院した身である.腰をかばいながらの介護にとても”お婆さん見たい”など、もったいないことは言えない。













子供のいないこどもの日

2022-05-05 09:02:15 | 2012・1・1
5月5日こどもの日だが,ここ10数年わが家からは子供の笑い声が聞こえない。老夫婦だけの毎日だ。老生が受けている介護ベッド横の壁には、一児の親になった孫が幼児だった時,壁にかきキヅした跡が残ったままだ。
戦前昭和の時代こどもの日は男の子の菖蒲の節句だった。勝負にかけてのようだが、東京の五月の空には勇ましく鯉のぼりが流れ、家ごとに武者人形が飾られたものだ。内湯のある湯では菖蒲を入れて楽しんだ。
五月の節句の特別の食べ物は東京では柏餅と粽(ちまき)であった。柏餅の中身の餡は小豆のこしとつぶしと二種類それにピンクかかった味噌餡があった。戦後はあまり粽を食べなくなってきたようだが、どうだろう。残念ながら要介護では菖蒲湯も楽しめない。


曽孫の一歳の誕生日 祖父の生誕200年

2022-05-04 12:28:14 | 2012・1・1
今日は曽孫の一歳の誕生日だ。コロナ禍の下、お互いにお祝いの行き来はしなかったが、まさか90歳過ぎまで長寿して曽孫(女性)の顔を見られるとは思ってもいなかった。ことしは 老生の祖父の生誕200年でもある。江戸時代末期、幕府の代官手代をしていた当時撮ったものだ。
祖父が生まれたのは徳川末期の文政5年(1823年)以来、200年間は明治維新を挟んでわが国にとって最大の波乱の時期だったに違いない。このうち、老生は昭和6年―64年、平成30年令和を生きてきている。明治17年うまれの父親は昭和44年、84歳まで生存していた。

100歳時代の到来である。日本女性の平均寿命は世界一、90歳に近づいている。2021年生まれの曽孫が22世紀の世界を生きているのは確実だ。どんな世界か。
































































kyou

曽孫の一歳の誕生日

2022-05-04 11:28:34 | 2012・1・1
馬齢を重ねるといまだかってないうれしい体験をするものだ。初めての曽孫(娘)が誕生日を迎えた。91歳の老生夫婦にとっては初めてのことだ。めでたさに竹の園生の弥栄の印に父親(明治16年生まれ)の1歳誕生日の写真を紹介しよう。この時代の”大事のところ)をまるみせにした写真は珍しいのでは。