老子って「弱者」の立場から説いているのですって!
それじゃ読まなきゃ。
『曲則全』・・・曲なれば即ち全し。屈しているから大きく伸びることができる、の意。
『敢えて天下の先たらず』・・・正しくは「一にいわく、慈。二にいわく、倹。
三にいわく、敢えて天下の先たらず」これも素敵な教えだ、人を慈しんで控えめにし、人の先頭にたったりして目立ったことをしない、無理のない余裕のある生き方。
ニュースでも、社会が悪い・教育が悪い、・家庭が悪い、と何かと他者のせいにすることが目立ちます。
また、将来は無限の可能性があるなどと、無責任な「応援」も多いですね。
『足るを知れば辱められず、とどまるを知ればあやうからず』・・・よくある「私が、私が」を諌めているのでしょうか。
若い時にこそ、このような「古典」を学ぶべき、と思います。
秋葉原での通り魔事件、あまりにも悲惨で憤りを感じますが、こんな時、「おえらいかたがた」は[このように挫折させていく社会に問題がある。政治が悪い〕なんて<分析>して下さるけれど、被害者はたまったものじゃない。
今、プロレタリア文学の「蟹工船」(小林多喜二著)がベストセラーであるとききます。
若い人たちが厳しい仕事に耐えながら生活苦に悩み、ワーキングプアの苦しみと重なるものがある、といわれています。
日本が少しづつ変わっていく・・・金銭に置き換え、人の苦しみを同情どころか「もっと働け!もっと自立せよ。財源がないんだ!」とギスギスした世の中になっていきそう。
「老子」は弱者の味方か・・・そしてなぜか「シモン・ボッカネグラ」の旋律が浮かんできます。
アドルノとフィエスコの祈りの二重唱、そしてシモンとフィエスコの気高くも傷ついた心を癒す二重唱・・・。音楽と古典、これぞ貴重な心の糧なのでしょう。
それじゃ読まなきゃ。
『曲則全』・・・曲なれば即ち全し。屈しているから大きく伸びることができる、の意。
『敢えて天下の先たらず』・・・正しくは「一にいわく、慈。二にいわく、倹。
三にいわく、敢えて天下の先たらず」これも素敵な教えだ、人を慈しんで控えめにし、人の先頭にたったりして目立ったことをしない、無理のない余裕のある生き方。
ニュースでも、社会が悪い・教育が悪い、・家庭が悪い、と何かと他者のせいにすることが目立ちます。
また、将来は無限の可能性があるなどと、無責任な「応援」も多いですね。
『足るを知れば辱められず、とどまるを知ればあやうからず』・・・よくある「私が、私が」を諌めているのでしょうか。
若い時にこそ、このような「古典」を学ぶべき、と思います。
秋葉原での通り魔事件、あまりにも悲惨で憤りを感じますが、こんな時、「おえらいかたがた」は[このように挫折させていく社会に問題がある。政治が悪い〕なんて<分析>して下さるけれど、被害者はたまったものじゃない。
今、プロレタリア文学の「蟹工船」(小林多喜二著)がベストセラーであるとききます。
若い人たちが厳しい仕事に耐えながら生活苦に悩み、ワーキングプアの苦しみと重なるものがある、といわれています。
日本が少しづつ変わっていく・・・金銭に置き換え、人の苦しみを同情どころか「もっと働け!もっと自立せよ。財源がないんだ!」とギスギスした世の中になっていきそう。
「老子」は弱者の味方か・・・そしてなぜか「シモン・ボッカネグラ」の旋律が浮かんできます。
アドルノとフィエスコの祈りの二重唱、そしてシモンとフィエスコの気高くも傷ついた心を癒す二重唱・・・。音楽と古典、これぞ貴重な心の糧なのでしょう。