芸術家は品格があるのか、立派なのか、と考えると「並」だと思うのです。
李白などは「並」以下のような気がします。
見境もなく大酒に浸り、皇帝の前でも酔っ払い、側近の怒りをかって追放され、奥さんは何人も替えている・・・どんな家庭事情があったのかわかりませんが・・・それに比べ杜甫は何度も科挙の試験を受けるがすべて落ち、李白や孔明を尊敬し、奥さんを大切にする・・・そして「国破れて山河あり」とはじまる気高い詩を書き、貧しい人々の酷い運命に怒りと涙で訴える名作の数々。
でも私は奔放な李白の詩に強くひかれます。
ただ李白は権力におもねる人間ではなかったこと(まあ、勤まらないってこともありますが)、運命に翻弄されながらも、色彩豊かな景色や自分の矜持を大胆に書いています。
蘇軾もそんなところがあります。
音楽でいえば、そこまでのスケールの人はよくわかりません。
なぜかと言うと、演奏家は健康を壊すほどの深酒や奔放な生活など、職業上できないと思います。
ピアニストは手を大切にし、常に鍵盤に向かって技巧の向上・維持に努めなければなりませんし、ヴァイオリニストは高価な楽器を必ず自分で持ち、その楽器の環境も留意しなければなりません。
オペラ歌手などは「冷たいドリンクはたくさん飲まない、アルコールやタバコは声に良くない、刺激のある食べ物もダメ」などいいだしたらきりがありません。
共通するのは「美しいもの、気高いもの」に敏感なことでしょうか。
敏感というのと、本人がそれを目指しながらも実際はどうか、ということでしょう。
それを「品格、品格」と叫ぶのは「腐れ儒者」ということでしょうか。
崇高な芸術を目指しながら、わが身を削って表現に励む、そして心身のバランスを現実的にとりながら・・・でしょうか。
李白などは「並」以下のような気がします。
見境もなく大酒に浸り、皇帝の前でも酔っ払い、側近の怒りをかって追放され、奥さんは何人も替えている・・・どんな家庭事情があったのかわかりませんが・・・それに比べ杜甫は何度も科挙の試験を受けるがすべて落ち、李白や孔明を尊敬し、奥さんを大切にする・・・そして「国破れて山河あり」とはじまる気高い詩を書き、貧しい人々の酷い運命に怒りと涙で訴える名作の数々。
でも私は奔放な李白の詩に強くひかれます。
ただ李白は権力におもねる人間ではなかったこと(まあ、勤まらないってこともありますが)、運命に翻弄されながらも、色彩豊かな景色や自分の矜持を大胆に書いています。
蘇軾もそんなところがあります。
音楽でいえば、そこまでのスケールの人はよくわかりません。
なぜかと言うと、演奏家は健康を壊すほどの深酒や奔放な生活など、職業上できないと思います。
ピアニストは手を大切にし、常に鍵盤に向かって技巧の向上・維持に努めなければなりませんし、ヴァイオリニストは高価な楽器を必ず自分で持ち、その楽器の環境も留意しなければなりません。
オペラ歌手などは「冷たいドリンクはたくさん飲まない、アルコールやタバコは声に良くない、刺激のある食べ物もダメ」などいいだしたらきりがありません。
共通するのは「美しいもの、気高いもの」に敏感なことでしょうか。
敏感というのと、本人がそれを目指しながらも実際はどうか、ということでしょう。
それを「品格、品格」と叫ぶのは「腐れ儒者」ということでしょうか。
崇高な芸術を目指しながら、わが身を削って表現に励む、そして心身のバランスを現実的にとりながら・・・でしょうか。