音楽の世界の「品格」って、その芸術家の品格というのでなく、その芸術を鑑賞した人が崇高なものを感じる時、と思います。
「時」と書いたのは「いつも」ではないこと。
たとえばあのカップッチッリだって、ガラ・コンサートで最初に「オテッロ」の<イアーゴの信条>を歌いましたが、声は素晴らしいのになぜか・・・違うのですね。
続いて「アンドレア・シェニエ」のジェラールのアリア<祖国の敵>を歌った時、言葉につくせない喜びと感動を受けました。
声の高潮とともに心も痺れて、拍手を一瞬忘れてしまうほどでした。
そのコンサートは他の有名歌手も出ましたが、今はあのカップッチッリの堂々たる歌だけが耳に残っています。
カラスが来日、そしてあんなに憧れたディーヴァの姿が現れた時、まるでリンクへ向かう女子プロレスのような大股で乱暴に歩き、「確かに乱暴だけれど、彼女は<カラス>だもの、そのうち魅了してくれる、彼女はディーヴァだから」と期待していました。
声が衰えていても「それ以上のものを与えてくれるに違いない」と、まるで信仰のように考えていました。・・・でも彼女は「ぬけがら」でした。プライドだけがハナにつきました。それでも彼女の全盛期の録音を耳にプラスさせて聴きました。
その後、私の「信仰」は続き、パリではカラスの住んでいたマンションまで行きました。せめてもの思い出に、とマロニエの葉を手帳にはさみました。
でも、彼女の全盛期の録画を見た時、あの「歩き方」は同じでした。
あれは彼女そのものだった、そして歌も「一人称単数」で、いつもいつも「わたしが」でした。急速にカラスへの憧れはさめていったのです。
彼女は人間としての「愛らしさ」がない、やがて大切にしていたマロニエの葉を捨てました。
名舞台人は、まず「愛らしさ」がなければ、と思ったのです。
ホールを圧倒するニルソンやコッソットでも、どれほど「愛らしい」でしょうか。
それは媚びるのでなく、こぼれるように自然に出てくるものでした。
スカラのロンドン公演でカラスが「夢遊病の女」の最終回をキャンセルして、あのオナシスと船で遊んでいた事件、あれは朝青龍どころではありません。「私はラストの回まで歌うとは知らなかった」と言ったそうですが、まるで他人事ではありませんか。そんなことは通用しませんし、彼女のキャンセルで代役に選ばれた当時19歳のレナータ・スコットのあまりにも素晴らしい(私はそのライヴを聴いて驚きました。まるでストラディバリのレガートではありませんか。)完璧な歌にロンドンの聴衆は狂喜したというのです。
有名で、さらにマスコミが騒いでいる、ということを真に受けて、とても恥ずかしく思いました。
ヴェルディではステッラが声質・声量、演技力も含めてはるかに上です。
カラスの声は周囲と溶合わないのです。
カラスをカルーソやシャリアピンのような大歌手以上だと、のたまう批評家もいましたがそう思うのは勝手です。その人は確かにそう思ったのでしょう。
ただ、カラスがカラスとして不朽の名を残したのは「ノルマ」でしょう。
そして「メデア」、これは私もそう思いますが、好きではありません。
スリーテノールのパヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスは、その前の世代のコレッリ、ベルゴンツイ、クラウスの三人の歌の気品に遠く及びません。カレーラスは重い役を歌いすぎましたし、ドミンゴは声は贅肉でいっぱい、パヴァロッティは天性の美声ですが、ピアニッシモが裏声、さらにどんな役でも「楽しすぎる」かな?イタリア民謡はディ・ステファノと双璧を成すのですが、ディ・ステファノの巧みな言葉の表現はカレーラスに受け継がれたように思います。
芸術家、オペラ歌手の品格というには「そのとき」ではなくて、ずっと後年わかるのだと思うのです。
「時」と書いたのは「いつも」ではないこと。
たとえばあのカップッチッリだって、ガラ・コンサートで最初に「オテッロ」の<イアーゴの信条>を歌いましたが、声は素晴らしいのになぜか・・・違うのですね。
続いて「アンドレア・シェニエ」のジェラールのアリア<祖国の敵>を歌った時、言葉につくせない喜びと感動を受けました。
声の高潮とともに心も痺れて、拍手を一瞬忘れてしまうほどでした。
そのコンサートは他の有名歌手も出ましたが、今はあのカップッチッリの堂々たる歌だけが耳に残っています。
カラスが来日、そしてあんなに憧れたディーヴァの姿が現れた時、まるでリンクへ向かう女子プロレスのような大股で乱暴に歩き、「確かに乱暴だけれど、彼女は<カラス>だもの、そのうち魅了してくれる、彼女はディーヴァだから」と期待していました。
声が衰えていても「それ以上のものを与えてくれるに違いない」と、まるで信仰のように考えていました。・・・でも彼女は「ぬけがら」でした。プライドだけがハナにつきました。それでも彼女の全盛期の録音を耳にプラスさせて聴きました。
その後、私の「信仰」は続き、パリではカラスの住んでいたマンションまで行きました。せめてもの思い出に、とマロニエの葉を手帳にはさみました。
でも、彼女の全盛期の録画を見た時、あの「歩き方」は同じでした。
あれは彼女そのものだった、そして歌も「一人称単数」で、いつもいつも「わたしが」でした。急速にカラスへの憧れはさめていったのです。
彼女は人間としての「愛らしさ」がない、やがて大切にしていたマロニエの葉を捨てました。
名舞台人は、まず「愛らしさ」がなければ、と思ったのです。
ホールを圧倒するニルソンやコッソットでも、どれほど「愛らしい」でしょうか。
それは媚びるのでなく、こぼれるように自然に出てくるものでした。
スカラのロンドン公演でカラスが「夢遊病の女」の最終回をキャンセルして、あのオナシスと船で遊んでいた事件、あれは朝青龍どころではありません。「私はラストの回まで歌うとは知らなかった」と言ったそうですが、まるで他人事ではありませんか。そんなことは通用しませんし、彼女のキャンセルで代役に選ばれた当時19歳のレナータ・スコットのあまりにも素晴らしい(私はそのライヴを聴いて驚きました。まるでストラディバリのレガートではありませんか。)完璧な歌にロンドンの聴衆は狂喜したというのです。
有名で、さらにマスコミが騒いでいる、ということを真に受けて、とても恥ずかしく思いました。
ヴェルディではステッラが声質・声量、演技力も含めてはるかに上です。
カラスの声は周囲と溶合わないのです。
カラスをカルーソやシャリアピンのような大歌手以上だと、のたまう批評家もいましたがそう思うのは勝手です。その人は確かにそう思ったのでしょう。
ただ、カラスがカラスとして不朽の名を残したのは「ノルマ」でしょう。
そして「メデア」、これは私もそう思いますが、好きではありません。
スリーテノールのパヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスは、その前の世代のコレッリ、ベルゴンツイ、クラウスの三人の歌の気品に遠く及びません。カレーラスは重い役を歌いすぎましたし、ドミンゴは声は贅肉でいっぱい、パヴァロッティは天性の美声ですが、ピアニッシモが裏声、さらにどんな役でも「楽しすぎる」かな?イタリア民謡はディ・ステファノと双璧を成すのですが、ディ・ステファノの巧みな言葉の表現はカレーラスに受け継がれたように思います。
芸術家、オペラ歌手の品格というには「そのとき」ではなくて、ずっと後年わかるのだと思うのです。