中国公船、機関砲搭載か=沖縄・尖閣沖で初確認
時事通信 12月22日(火)16時28分配信
第11管区海上保安本部(那覇市)は22日、尖閣諸島沖の日本の接続水域で、機関砲とみられる武器を搭載した中国海警局の「海警」が航行したと発表した。
尖閣付近で海警の航行は常態化しているが、外観上、武器の搭載が確認されたのは初めて。
武装が確認されたのは「海警31239」。同保安本部によると、前後に2門ずつ、計4門の機関砲を搭載しているとみられる。
最終更新:12月22日(火)18時38分
★ 何があってもおかしくない時期に来てるように思う。
中国と北朝鮮もあやしい。
鍛冶俊樹の軍事ジャーナル
第218号(12月19日)
*モランボン楽団
北朝鮮の美女集団「モランボン楽団」が中国での公演を直前になって突然中止し、帰国してしまった。10日に「金正恩第一書記が「水素爆弾を保有した」と発言した」旨、報ぜられ、これに対して中国が不快感を表明したため、公演中止となったと言うのが、マスコミの解説である。
水素爆弾は核爆弾の中では最大の破壊力を有するから、もし北朝鮮がそれを保有したら、国際的に大問題となる筈であり、中国が不快感を表明するぐらいで済む話ではない。つまり国際社会は中国を含めて金正恩の発言を全く信用していないのだ。
これで、もし本当に金正恩が怒って楽団を引き上げたとすれば、ウソがばれて逆切れしているオオカミ少年ということになる。芸能ネタとしては面白いが、国際情勢の分析としては甘すぎるだろう。
そもそも北朝鮮がモランボン楽団を中国に送ったのは、関係改善のためだ。この国が関係改善を企むときは、相手がどの国であれ目的は常に一つしかない。経済支援である。要するに金が欲しいのだ。金正恩は美女たちを中国に送り、金を要求して断られたので引き上げたのだ。
中国は貿易統計上、北朝鮮に原油を輸出していないことになっているが、実際には供給しており、しかも無償である。つまり中朝関係が最悪といわれる時期にあっても、中国は北朝鮮を支援しており、それは今も続いている。
10月10日の北朝鮮の軍事パレードに中国高官が参列し、中朝関係は俄かに改善の兆しが見えた。関係改善であるから、北朝鮮は中国に支援の上乗せを要求したであろうし、中国もそれを承知の上で関係改善に乗り出した筈である。
その流れでモランボン中国公演が決まった訳だ。ならば中国がここに来て追加支援を拒否した理由は、当初の予想を上回る法外な金額を要求されたとしか考えようがない。では何故、北朝鮮はこの時期に法外な要求を中国にしたのか?
*
北朝鮮は5月に、潜水艦から発射する弾道ミサイルいわゆるSLBMの実験に成功したと写真付きで発表した。この写真は合成で、従って実験は失敗だったことになるが、北朝鮮がSLBMの開発をしている事実が明らかになった。
11月28日に韓国メディアが「同日、北がSLBMの実験を行ったが失敗した」と報じた。これを受けて12月8日に、米国は北朝鮮に対する金融制裁を発表した。10日の水爆発言は、これに対する反発であろう。
だが同時期に米国のニュースサイトが「人工衛星の写真の解析の結果、11月28日の実験失敗で潜水艦に深刻な被害があったことが明らかになった」旨、報道した。早い話が潜水艦ごと爆発したのだ。
おそらく金正恩は開発を継続するため、潜水艦1隻を購入できる代金を中国に要求したのだろう。日本円にして1000億円ぐらいであろうか。あるいは中国が開発している最新鋭の潜水艦を現物支給するように求めたのかも知れない。
いずれにしても中国が断った事だけは、はっきりしている。美女の公演だけでは高過ぎると判断したのであろう。(以上)
★ チャイナのことで何か突然起きるのではないか・・・ちょっと疲れていて本日はここまで。
★ ヴェルディ最高峰のオペラのひとつである「アッティラ」、これはローマ崩壊の悲劇の顛末。
フン族の覇王アッティラは欧州のほとんどを制圧。
暗愚なローマ皇帝が何と「最後のローマ人」と称賛された将軍エツィオ(アエティウス)に嫉妬、
ローマは内部から崩壊する歴史的事実である。
以下、ヴェルディのオペラ「アッティラ」のリブレット(脚本)から。
【ローマの将軍エツィオはフン族覇王アッティラと対面】
私が剣を手にし軍を指揮している限り
偉大なローマは揺らぐことはないだろう。
あなたはそのことをシャロンの戦いで思い知ったではないか。
あなたが今までのように蛮族を率いるなら
私も今までのようにローマの戦士を指揮するまでだ。・・・(以上、意訳です)
★「シャロンの戦い」とは・・・カタラウヌムの戦い(カタラウヌムのたたかい、フランス語読みでシャロンの戦いとも、英: Battle of Chalons)は、ゲルマン民族の大移動の時代に、フン族と西欧諸民族連合軍の間で行われた会戦である。両軍合せ約5万名が参戦し、うち1万名が戦死するという大激戦となった。(WIKIより)
ローマ帝国末期の様子・・・「皇帝は左腕で右腕を切り落とされました」
『ローマの盾』として活躍した国士を排除した皇帝に、側近が進言した言葉である。
国家防衛を失ったローマは侵略され続け、その後はローマ法王ピオ一世がローマの財宝をすべて敵に与えてなだめた、とある。
★ 話は現代に戻って・・・「次世代の党」がどうなろうとも、国士の名誉は永遠である。
今回は壊滅状態の党の中に、小人たちがあれこれつまらぬ扇動じみたことをしたまでだ。
真の国士はそのようなことに心を惑わされない。なぜなら護るべき大切な「日本」があるからである。
このことについてはまた述べようと思う。
G. Verdi ATTILA "Tregua �・ cogl'Unni...Dagl'immortali vertici"
youtube2分からの歌詞和訳(バリトン独唱は巨匠カップッチッリ)
不滅の頂上の 栄光の美しさより いつの日か
祖先の霊よ ああ現れたまえ ほんの一瞬であっても!
そこを越えて勝利の鷲が 世界中を飛び回ったのだ...ああ!
下劣と化したローマを
誰が今や見分けることができようか?