★ 国会は国家国民のことを考えた論議をしていない。「政局」だ。
NHK出身のアナウンサーだった議員さん、彼の声はかつて厳しく訓練されたはずの「抑制のきいた響き」はない。プロのアナウンサーだった強みは「聴き手を疲れさせず、よく響く抑制された声で話ができること」だろう。
国家国民にではなく、「所属政党に志願した先兵」だ。ただし純粋さは感じられず、ましてや選良の知性ある声とは言い難い。その後、その議員は「撤回」されたようだが。http://www.sankei.com/politics/news/180323/plt1803230044-n1.html
激しい表現というのは、音楽用語でいうと「常にフォルテッシモ」ではない。強弱幅広く、それでいて聴き手の心に入っていく、楽器で言えば弦楽器だ。ヴァイオリンでありチェロだ。一本の旋律で聴き手を誘導する。
(「応援団」のリーダーや「選手宣誓」のような声は短時間に決める声であり、長時間続けるものではない)
★ そして気になって仕方がないのだけれど、安倍支持者は何かというと「安倍おろし」「安倍叩き」といえば通じるかのようなレッテル貼りの独特の言葉を多用する。書店で売っている保守系の月刊誌の見出しもそうだ。何か反論しようとしても頑として受け付けない、そして有無を言わさない同調圧力を感じる。
しかしもはや書かねばならない。
安倍さんは過大評価されてきたということだ。日本崩壊になるようなこともたくさんしてきていて、保守の忠言にも耳を貸さない。昭恵夫人のことでも国会でそれを指摘されると「不愉快だ」と言う。
「不愉快」なのはこっちだ。かつて昭恵夫人はこんなことを言っている。
「私には首相夫人という立場がある。何かやろうとする時は利用していいよ、と伝えています」
また総理夫人が「居酒屋」を経営し、いろんな目立つところに顔を出し、自分がやりたいようにするのがどんな結果をもたらすか、そして自分で責任をとれるのか考えているのだろうか。曽野綾子さんも「居酒屋」経営には反対されていた。このままでは「裸の王様夫妻」と言われても仕方がない。夫人をコントロールできず、ついに自民党から「総理夫人の言動を当分の間、控えてはどうか」という意見まで出てくるのは見るに見かねてだろう。産経新聞の田北記者も書いている。遅すぎた・・・。
★ 中国が大量に土地を購入し来るべき「日本との決戦」に備えて着々と準備を進めているように思える。駅やデパートなどいたるところに表示されている簡体字の中文やハングル、日本はもうどこかの国の属国になってしまったような気がしてしまう。
そして「種子法廃止」法は、与党によって「モリカケ」でもめている時にコッソリと国会を通過させている。日本の食の安全を考えていない、日本はアメリカの言いなりになってどんなことも「ノー」とはいわないのだろうか。(この時、野党の一部は反対しているが安倍信者はそれにかまうことはなかった・・・)
これから先、日本はどうなっていくのだろうか。「政局一色」では困る。
怒声飛び交う衆院議員会館前 安倍政権支持派、反対派のデモ隊が一触即発 http://www.sankei.com/politics/news/180324/plt1803240013-n1.html
これでは内乱ではないか。政治は難しい。こうなるべくしてなったところもある。「三国志」の袁紹のような優柔不断は混乱を大きくしてしまう。もう遅い感じがする。決してすすんで強い支持があったのではない。他がダメなので「消去法」で支持された安倍政権、それをひっかきまわした面々、・・・海外に大量におカネをバラマキ、夫人の無知を指導できず、あげくのはてに「秘書」まで付け、国会に招致の要求があっても何を言いだすかわからない不安の方が大きく、また自民党内でも特亜寄りの政治家、若手の人気の小泉進次郎など口は達者だが忘れもしない「尖閣事件」の時、彼のサイトには訪問先の名物が美味しいとか、まるで無関心か知って素知らぬ顔しているのか、私はここで彼の正体を知った。国のことなどどうでもいいのだ。また河野外務大臣は岸田氏よりマシという程度で、肝心な時にどうなのか、疑問を感じる。
そして騒々しい「安倍のためなら何でもいざ鎌倉」忠臣のふりをしている議員たちだ。騒げばいいのではない。「賢明さ」が求められているのだ。その議員たちには肝心の「賢明さ」がない。野蛮だ。
ブログのティールーム
ムスルグスキーの未完の大作オペラ「ホヴァンシチナ」から~女占い師マルファのアリア、国の行方を占ないます。それを聴いていた野心家のガリーツイン公はおののく。(ロシアの歴史の一コマです)
この役に声がピッタリな名歌手エレナ・オブラスツオーヴァの名唱でどうぞ。
Elena Obraztsova - Khovanshchina - Marfa's Aria
オブラスツオーヴァの来日公演、もうずっと昔のことだ。指揮は森正、オーケストラは日本側が受け持った。これはNHKが録画したものだが、今はロシア側に権利が移ってしまっているようだ。日本語対訳も消えている。
「ソ連(当時)のマリア・カラス」と絶賛されたプリマドンナで、主に西側で歌い、後にドイツに移住しその地で亡くなった。