ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

旧統一教会総裁の内部音声を入手「岸田を呼びつけ教育を…」/奥山篤信氏「衆愚政治の中で真の芸術が求めるもの」

2023年07月10日 | 政治
こんなニュースがある。必聴だ
旧統一教会総裁の内部音声を入手「岸田を呼びつけ教育を…」真意は?【7月5日(水)#報道1930】|TBS NEWS DIG



『旧統一教会総裁の内部音声を入手「岸田を呼びつけ教育を…」真意は?』
自民党議員の100人以上が関係していた。(これは自己申告である)
また亡くなった安倍元首相の関与について調査は行われていない。

韓鶴子総裁が日本幹部に指示したこと
韓国元幹部が証言・教団内部の異変と崩壊
霊感商法で逮捕後初めて語る教団の「組織性」
教団と政治の1年

自民党は中堅議員の調査をしても、大物議員については追及していない。
それはなぜか? なぜ自民党はこれをハッキリさせようとしないのか?


一部の自民党安倍派関係者はこれを隠そうとしているのか?


わが畏友であり、作家・評論家の奥山篤信氏のエッセイをご許可を得て転載しました。

肉食野獣の危険 体温を保つ危険 氷河など恐ろしい闇世の中の如何しようも無い恐怖がある。そんな恐怖の中に静かに祈りを捧げ、多くの神の存在を感じ取り、その静寂の中で大自然の優しさと恐ろしだを身をもって経験して、その中で特殊な文化で生き延びたこの種族への讃歌が込められたSさんの隣人愛を感じ、そして彼らの生活を人間の最高の社会だと羨望する気持ち、そして彼らの安寧を祈る博愛主義を作曲家の五感から描き出した品格ある音楽、たいしたものだ!
ボスのKさんのダイナミックな二曲 僕の大好きなエリックサティ・武満徹へのオマージュとパンフに書いた彼 僕に言わせると。今時の作曲家は話をすると例の<多様性やら寛容>などを特別配慮した、他人の顔色を見た、誰もが受け入れなければならない一律の偽善と区別と差別の混同などいわゆる風の風圧で言論や表現の自由を封じ込めるファッショが先進国を支配している中で、芸術こそが音を通じて人間の自由を最大限の価値観として一切の妥協もない音楽を創造する個性を求める僕が、実は通底するのではないかと思った次第。僕は音痴で音符も読めない単に音楽を耳から入れてそれが僕の心に響いたか泣かせたかだけで音楽を体感する邪道だろうが、僕はその道も許されるのではないかと思う。
嫌いな女性は嫌い 好きな女性は何から何まで好き 合わない人間とは一切付き合わない社交辞令だけがその防御だ そして好悪の情を真っ向から否定する勝手な倫理や社会規範や宗教に対して心でせせら嗤いしかできない暗黒時代 ジョージ・オーウエルの管理社会に突入しつつあるこの時代に音楽家こそ揚げ足取りが思想統一してもそれを音楽という非暴力にて断固自我を通す素晴らしい世界だと思うのだ。

僕は空気に流されるやら衆愚民主主義さらに受けを考える芸能界 孤高の芸術はその場で人気が出るようなものではなく歴史が評価するものである。

政治も芸術も今やその場で儲かるかどうかの卑しい人間の劣化した品性にあると思う。
綺麗事の差別撤廃(区別たる男風呂女風呂の議論の慌てぶり 便所もそうだ)全て誰もが反対できないものをスローガンに掲げる、これってあの共産革命や文化大革命まさにリンチなのだ。
言論リンチ 何が多様性だ???何が寛容性だ??真実に多様性などない 寛容性など女衒ではないか?
自分が信じる求める美学はただ一つ それを徹底的に追求する そんな作曲家が理想だ。 

演奏者はその作曲家の求めるものを想像し具現する あの素晴らしい映画<タール>でレオナール・バーンシュタイン(Leonard Bernstein)
の言葉がある。
演奏家は作曲がベートヴェン、シューベルト、ヴァ―グナーだとすると、その作品の作曲家の心になって演奏をしなければなんの意味もないという名言がある。いろんな反論もあるだろうが絶えず作曲者、演奏家 色々学びながら真実はどこにあるのか観客の顔色など、どーでもいいのだ。
受ける音楽に限ってろくなものはない。例えばプッチーニ まるで日本の歌謡曲 
受けを狙った迎合主義御涙頂戴 

でも本物の作曲家はヴェルディだ。だからヴェルディの音楽には飽きがこない。
僕もプッチーニで始まったクラシック歌謡曲初歩の時代を思い出す。

トスティのこの曲 ああ痺れるなんという素晴らしさだ
こういう本物の詩人 本物の作曲家 本物の歌手 これが演じる僕が人生でもっとも感動するこの素晴らしい曲 フランコ・コレッリを探したが見当たらないので、この現代の見事なイタリア歌手を届ける。
この歴史的文化を踏まえた芸術品の結晶だ。イタリア語が理解できようができまいが、本物の音楽は聴いて言わんとすることが心に響くのだ。これこそが作曲の真髄ではなかろうか!

ダヌンティオ作詞 トスティ作曲のこの曲
L'alba sepàra dalla luce l'ombra,
E la mia voluttà dal mio desire.
O dolce stelle,è l'ora di morire.
Un più divino amor dal ciel vi sgombra.
Pupille ardenti,O voi senza ritorno
Stelle tristi,spegnetevi incorrotte!
Morir debbo. Veder non voglio il giorno,
Per amor del mio sogno e della notte.
Chiudimi,O Notte,nel tuo sen materno,
Mentre la terra pallida s'irrora.
Ma che dal sangue mio nasca l'aurora
E dal sogno mio breve il sole eterno!

夜明けは 光から暗闇を分かち
私の欲求から 逸楽を分ける
おお 愛しい星よ 滅び行く時だ
さらに神聖な愛が空からお前たちを取り除く
燃えさかる瞳よ おお二度と戻らぬお前たちよ
悲しき星たちよ 清らかなまま姿を消してくれ
私も死のう 昼など見たくないのだ
私の夢と、そして闇への愛ゆえに
私を包んでくれ、おお夜よ、お前の母なる胸に
蒼ざめた大地が露に濡れている間に
さもなくば 私の血から暁が生まれ
私の短い夢から永遠の太陽が生まれてほしい

Tosti: L'alba sepàra dalla luce l'ombra (Transcr. Chris Hazell) 
イタリアの大型新人テノール歌手トッマーソによる歌唱




奥山篤信氏プロフィール
1948年神戸生まれ。1970年京都大学工学部建築学科卒、1972年東京大学経済学部卒。
1972~2000年まで米国三菱商事ニューヨーク本社6年を含み三菱商事に勤務。2014年上智大学大学院神学系研究科修了(神学修士号)、2014年秋より一学期(約1年)パリ・カトリック大学(ISTA)に留学。退職後平河総合戦略研究所代表理事、平河サロン主宰、映画評論家として活躍、著作多数。
英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語・スペイン語をはじめ、8か国語に堪能。


奥山篤信さま、ありがとうございます。
ブログ主
が感動のあまり、ダンヌンツイオの詩のたまらなく美しいところの文字に赤いカラーを付けました。

「悲しき星たちよ」「私の血から暁が生まれ・・・」ここまで書けるには詩人ダンヌンツイオが思い余って命をかけて祖国イタリアへの愛を自分自身が戦闘機に乗りこみ、領土奪還を実現しようとして、未回収土地であるフィウーメ市を占拠、しかしイタリアはダンヌンツイオの行動を認めず、絶望したダンヌンツイオはこの詩を書き、友人の作曲家トスティはそれに作曲、当時世界最高のテノール歌手であるカルーゾが歌った。・・・何度聴いてもこれは「芸術の勝利」だ。

日本にはまともな政党はない。国の為に考えるどころか、悪びれもせずに国を売る、日本国民が拉致されている国に、外国勢力の恐ろしい宗教団体を選挙の為に協力・利用し、日本国民の「信者」が騙されて献金した大金を渡したというレッキとした売国行動については深く追求せず、「他の宗教も同じだ」とうそぶく。
他の宗教がこのようなことをしているならば、遠慮なく摘発すべきだが、正義よりも岸三代政権擁護の白々しい恥ずべき世襲政治をはじめ、それをありがたがる支持者や提灯政治評論家などがシラバックレ、彼らは「何が罪か」がわからなくなっているのだ。そして「死者を鞭打つのか」と居直る。伍子胥もビックリだ。

 さっそく奥山篤信氏から解説を頂きました。

◎友人ベッラさんのブログ 僕が書いた「ある若手作曲家の仲間たちとそれを具現する演奏会」について生の感想その他について、ある意味で芸術論めいた僕の最近の衆愚世相を嘆くものを転載されそれを展開されています。
「多様性や寛容性」の偽善が蔓延り芸術さえその危機に面しています。それはまさに表現の自由をも、まさに人間として生きる最大の価値<徹底的自由主義>まで否定する、衆愚リンチ社会・管理社会を恐怖するのです。

 

ブログのティールーム
イタリア料理 住田 - ワイン - 鈴鹿市のおすすめイタリアン
歴史的な録音、ヴェルディ「仮面舞踏会」から、
エットレ・バスティアニーニが歌う<お前こそ心を汚す者>
国を思うことより享楽にふけったスウェ―デン国王グスタフ三世に忠告し、誠心誠意護ってきた忠実な側近のレナートはこともあろうに国王が自分の美しい妻に言い寄る・・・レナートはここではじめて国王に反旗を翻す。
この事件は歴史的事実です。このオペラを上演しようとしたヴェルディに「スウェーデン国王ではなく、アメリカのボストンの知事として上演せよ」という驚くべき横やりが入った。

Ettore Bastianini "Alzati!...Eri tu..." - Un ballo in maschera - La Scala 1957



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