ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

ゲーテの詩による歌曲「すみれ」(モーツァルト作曲)

2015年02月28日 | 政治

★ 下記のyoutubeは20世紀中葉、ドイツのオペラ歌手、エリーザベト・グリュンマーの歌。
  (グリュンマーは日本のソプラノ鮫島有美子さんがドイツで学んだ恩師)




歌詞和訳

すみれがひっそりと咲いていた
小さくてとても可愛いすみれだった
そこへ羊飼いの少女がやってきた

軽やかに歩いて歌を歌いながら
「ああ、私がこの世の中で最も美しい花だったら、ほんの少しでもあの娘に
つまれて、ほんの瞬間でもいいから」

ああ、なのに娘はすみれを見ることもなく哀れなすみれを踏んでしまった。
すみれは息絶えたがそれでも喜んだ。
あの娘に踏まれて死ぬんだから・・・

かわいそうなすみれ、それは可愛いすみれだった。(適当な和訳ですが・・・ベッラより)

★ ゲーテは若い時に、純情可憐な娘を恋し、そして一方的に捨てた。
  その罪のおもいは、生涯ゲーテの悔いになった。
  シューベルトの作曲した「糸を紡ぐグレッチェン」の詩も同じである。
  ゲーテの代表作のひとつ「ファウスト」に登場するあわれな少女、グレッチェンは気が狂って死ぬが、
  それは生涯にわたっても償われぬゲーテの悔いであった。

  このかわいそうなすみれは、その少女、
  羊飼いの娘はゲーテ、

  大天才はずっと若き日の罪を背負って作品を書いてきた。

★ ゲーテさん、もうわかっているよ、神様は許されているよ、なぜならあの少女がゲーテさんを聖母マリアに許しを求めていたから。
  なんて考えても心が痛む。でもこれを芸術に昇華したゲーテ、ハ二トラにしてやられるどこかの政治家とは大違い。




★ グリュンマーのお弟子さん、鮫島有美子さんが歌う『あざみの歌』~この歌は素敵。あざみは踏まれるとその音で敵の来襲を知らせる。これもあわれな花ですが、その中にも気高さを感じてしまう。

あざみの歌


山には山の 愁(うれ)いあり 海には海の 悲しみや
ましてこころの 花ぞのに 咲しあざみの 花ならば

高嶺(たかね)の百合の それよりも 秘めたる夢を ひとすじに
くれない燃ゆる その姿 あざみに深き わが想い

いとしき花よ 汝(な)はあざみ こころの花よ 汝はあざみ
さだめの径(みち)は はてなくも 香れよせめて わが胸に





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2 コメント

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菫、あれこれ (さらりん)
2015-03-01 12:23:14
ベッラさま こんにちは。

『草木萌動(そうもくめばえいずる)』

三月の始まりは生憎の雨となりましたが、
待ちわびたように躍動する草木の息吹を促す恵みと思えば、
冷たい雨にも優しさを感じるような気がします。

以前マティスの歌う『すみれ』をお送り頂きました。
匂い菫を思わせる歌に感動したことを思い出しました。

グリュンマーの『すみれ』
この歌もまた素晴らしいですね。
伸びやかで透き通るような歌声、
まるで菫の小さな花びらを揺らしながら、
アルプスの高原に吹き渡る爽やかな風のようです。

菫も薊も小さく楚々としながらも凛としたものを感じますね。


「すみれ」繋がりで今朝、新聞にあった記事をご紹介します。<読売新聞 「日曜の朝に」>より

84歳になる女性が1941年、小学上級生のときに、
満州開拓青年義勇団の青年に届ける慰問袋に入れる手紙を書きました。
慰問袋なので返事は期待していなかったのですが、
2か月ほどして学校の先生から返事が来たよと封書を手渡されました。
便箋には「とてもうれしかった。帰ったらお会いしたいですね。」と丁寧な字で記され、
一輪のスミレの押し花が同封されてありました。
多感な少女時代であった女性は、
その手紙に感激し涙しクラスメイトももらい泣きしたそうです。
スミレの咲く季節になるとこのことを思い出し、
この手紙をくれた人は無事に日本に帰ってこられたのかしらと思うとありました。

スミレの学名は「マンジュリカ」、
「満州」という意味もあるそうです。
そして花言葉は「小さな恋」と紹介され記事が結んでありました。


追記です。
3月7日NHK BSプレミアムで「京都御所」の特集が放送されるようです。
ご参考までに。
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エディット・マティスのこの曲の歌が消えていました。 (さらりんさまへ)
2015-03-01 22:16:08
もしかしたら、また出てくることでしょう。
可憐なモーツアルト歌いですもの。

グリュンマーはワーグナーも得意とするソプラノで
マティスよりも声は強く、そして幅が広いように感じます。

私は二期会の研究生の時に、「すみれ」「夕べの想い」
やバッハのカンタータを歌いました。
なつかしい思い出です。
22歳当時、この歌のけなげさに心打たれて、
歌う時には語りのような気持ちで、客観的に
歌わないと感情移入してしまってはいけないと
自分にいいきかせました。
距離を持って歌うことでこの曲の美しさや悲しさが
にじむ、モーツアルトとゲーテの時代を超えた合作の
前に、ただ音楽に忠実に、と思ったのでした。

すみれは「マンジュリカ」だったのですか。
このことばはホロストフスキーの「満州」を歌った
日露戦争時のロシア民謡で、国は違っても
それぞれの国が兵士の犠牲に涙して思いを
めぐらす、そこには国を超えた美しいさが感じ取れ
そこで「マンシューリ」と聴こえるロシア語がずっと
耳についていました。

すみれもアザミも「世界で最も美しいバラやユリではない」けれど、切なくいとおしい花です。
そして「すみれ」は、ゲーテの生涯の悔いは芸術に
昇華し、「あざみ」は美しい日本語でハッとするような
つつましやかな強さで祈る姿を感じます。

すみれの押し花のお話、目の前でその情景が
浮かぶようです。素朴で心打つお話、感じやすい
少女の心、そのクラスメートもそうですが、素直な
美しい心、感動してしまいます。

京都御所の特集、予約録画をしておきます。

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