ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

このごろのオペラ、音楽きらいになりそう!

2008年07月18日 | オペラ
 小澤征爾さんの指揮で<東京オペラの森>というイベントのひとつチャイコフスキー「エフゲニ・オネーギン」をさっきまでテレビ鑑賞していました。
もうどうこう言う元気もなくなりました。

演出家の趣味は言うべき言葉もありません。歌手もヒロインのタチアーナなんてモーツアルトではイイかもしれませんが、チャイコフスキーではただスースー隙間風の吹くような声、近頃こんな声流行っているのかしらん。それに妹のオリガ役のメゾ、乳母を歌うのをおすすめします。

もっと怒っています。完全なミスキャスト、というより、チャイコフスキー、または原作者のプーシュキンへの嫌がらせか!それは若き17歳の詩人、レンスキーです。
レンスキーは美少年で、肩まで豊かな金髪をのばし、と原作にはありますが、相撲の白露山を連想させる髪形?どうしてそのまま出演なさったのでしょうか。17歳の繊細な少年に見えますか?

あとはグレーミン公爵が頼りですが・・・こちらは初老のはずなのに、青年ではないか!
でも、せめてこれくらいはフィナーレだし、許されるだろう。でないと席を蹴って帰る、といっても自宅でテレビ鑑賞、タダなのに文句ばっかり、いや待て!レンスキーの声、許せないぞ!声まで若さがない!ベターッと歌っている、オネーギンはというと、声が寝ている!・・・小澤さんは昨年、赤いペンキを塗りたくった狂ったような「タンホイザー」の指揮をしていました。彼のオペラ感覚はおかしいですよ。

それにこのオペラもベターッと指揮していて、音楽がロシア的ではない!
もういい!レンスキーのアリア「青春の日は遠く過ぎ去り」か!とっくに過ぎ去っているぞー!
今のオペラファンは可愛そう!

このオペラ最高の演奏は、DVDで聴けます。2001年ボリショイオペラライヴです。
何もかも違います。さあ、さっさと寝ようっと。
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麗しのアントニエッタ・ステッラ

2008年07月16日 | オペラ
 テレビで「アンドレア・シェニエ」をはじめ、イタリアオペラ来日公演の演目すべてを観て《人生が変わった》ような感動をしました。
日本のオペラ歌手たちと全く違う!なんて素晴らしい声、そして優雅さ。
 気に入ったプリマはテバルディでなく、ガブリエッラ・トゥッチやシミオナート、アンナ・ディ・スタジオでした。
テバルディは「スゴイ!」のひとこと、でも親しみは感じませんでした。

そして10年前、若かったはずのトゥッチが70歳近くでリサイタルを開き、久しぶりにクリーミーヴォイスの美声の「おもかげ」を聴きました。
楽屋で、トゥッチに「あなたの公演をほとんど聴いています。」と言うと喜んで「どれを?」ときくので「ジルダ、ネッダ、それから・・・」ああ、あのアイーダ、と言うはずだったのに、私の口はとんでもないことを!「アモナズロ」と動いてしまったのです。

ああ、とんでもないことを!真面目に言っていたので笑うどころか、呆然とつったっていました。
トゥッチは太い作り声で「ノン、私はまだアモナズロを歌っておりません」とおおいに真面目に答えてくれました。

私は真っ赤だったと思います。もう恥ずかしくて・・・。
でもトゥッチは喜んで手を差し伸べ、礼を述べられました。
今から考えても恥ずかしいことでした。

レナータ・スコットのタフさには驚きました。これもリサイタルの後、楽屋に行ったのですが当時60歳を過ぎたスコットの声は健在で、際立った音楽性とテクニックに息をのむおもいでした。
「60を過ぎてやったことは、バレエを習ったこと、ステージマナーの為にも。
そしてドイツ語を習得したことね。」とドイツ語でしゃべるプリマ。びっくりしました。
圧倒されました。

ふたりとも気さくなプリマで、親しみやすい雰囲気でした。
こんな時、アントニエッタ・ステッラを思い出します。 大阪フェスティバルホールのロビーにロングドレスにミンクのショール、絵から抜け出たような美女が若い女性のファンに囲まれていました。
当時の正装は振袖、20代の娘さんたちは、口々に英語を駆使してステッラに質問していました。でもステッラはほとんど声を出さず、うなづくだけ。その眼の優しいこと。
「現役のプリマだ、声を大切にしている」と思って感心していた私は中学生、ひとりで大阪に来たのです。「ジャマをしてはいけない」と思うほど、ステッラは声を大切にしているのがわかりました。
「ああ、レオノーラだな」と、美しいステッラにみとれていました。

でも、ある日、指揮者の岩城宏之さんの本を見てびっくり、あの優雅なステッラが初来日の時、指揮のグイとテンポに関して意見が合わず、ついにスコアを叩きつけ、退場するという場面があり、グイの助手をしていた岩城さんやその場にいたスタッフは震えあがったそうです。「これがスカラのプリマというものか」って。

今の歌手だったら「はい、マエストロ、ありがとうございます。そのように歌います」って主従関係みたいに言うだろう、またそれが納得できないテンポであっても、自分から歩み寄ろうとすることでしょう。

ステッラの若き日、テバルディやカラスと競い合った全盛期、一歩も譲ることのなかった「ヴェルディ正選手」の地位を認めた指揮者セラフィンがカラスをさしおいて「トラヴィアタ」「トロヴァトーレ」のレコーディングをしたこと、またミラノスカラのオケによるスカラ版の「ドン・カルロ」「仮面舞踏会」などのヒロインはステッラであったこと、リリコ・スピントでありながら、カラスのテクニック以上のフイオリトゥーラがソットヴォーチェで自由自在だったことなどは、とてもテバルディには望めないこと、
演技力についても音楽と密接に関わり合い、天性の才であったこと。ただ、彼女には国際的大スキャンダルに欠けていたこと・・・でもカラスに飽きたファンはかつてのステッラの魅力が「時空を超えて」思い出され、ますます「ステッラ思慕」への感を強くしていくことなど・・・。この流れは国際的なものらしいです。

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子供時代の夏

2008年07月14日 | 生活・介護
 本当に暑い日々、確かまだ「梅雨」ですよね。
でも年々暑くなるしクーラーなしには過せません。
昔は網戸にして、窓を開けて寝たものです。いい風が入ってきて気持ち良かった♪
そして道を歩く人の足音やおしゃべりの声、遠くの「省線」(今のJR)から夜行列車や貨物列車の汽笛も聞こえました。

夕方は打ち水をして、うちわを手に近所の人と涼んだのでした。
なつかしい子供時代、テレビなどなくて、近くの学校の校庭で「映画の夕べ」に集まり、社交の時間にもなっていました。

夕食の冷たい豆腐とトマトの美味しかったこと。
冷蔵庫もなかったけれど、冷たく思えました。
近所の家に遊びに行くと、「平凡」とか「明星」という映画スターの記事が満載の雑誌を見せて頂いたり・・・「母物」のマンガを見てジーンときたり・・・。

朝はラジオで「歌のおばさん」、母の歌声が美しくて、ラジオか母かわからなくなったり。

楽しくて幸せだった子供時代でした。
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カーラ・ブルーニ(サルコジ大統領夫人)に異議あり!

2008年07月13日 | 政治
 カッラ・ブルーニというのが彼女のイタリアでの名前、そして今はカーラ・ブルーニ、れっきとしたフランス大統領サルコジ夫人で、この前、サミットをドタキャン

この女性は一体何を考えているのか、自分のCDの為にサミットドタキャン、サルコジがフランス大統領と知って結婚した、ということはフランス大統領夫人として、国家に尽くさねばならないはず、それが嫌ならサルコジが大統領を辞めてから結婚すれば良かったので、ミーイングとはこのことか、と呆れかえりました。

それではそれほどの歌唱力か、じっくり聴いてみましょう、とテレビで偶然聴きました。
あれって「歌」だったの?
寝言かと思いましたよ。それに歌詞が原因で外国とトラブル、何がシンガーソングライターか!国際感覚もないとは!!
メロディーも何もあったもんじゃない、ふわふわと歌って、歌唱力なんてゼロに等しく、
作詞というのもありふれたケダルイシロモノであり、歌はハミングか歌詞か不明。
こんなゲテモノにお金を払う必要はありません。

それにトップモデルだった?あれくらいの顔やスタイルはイタリア女性には掃き捨てるほどいますよ。決して美人じゃない。美人もどき、でしょう。

はっきり言いましょう。サルコジもバカですね。彼女はサルコジゆえに有名になったのです。実力はない。常識もない!
あれでは外国に出すのも恥ずかしいでしょう。
サルコジはハッキリものを言う人とききますが、つまらない女性がお好きなようで。

日本のマスコミも恥ずかしいですね。サルコジ夫人が来ない、と大騒ぎして!     他の首脳夫人に対しても失礼です。
でも、サルコジって賢いのかバカなのか、両方なのか・・・

夫人ドタキャンを利用して、藤原紀香と「その疑い深い眼がスキ」というCMを作る、とか、一矢報いては? 勿論ジョークですよ。
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小泉元総理の「アンドレア・シェニエ」

2008年07月11日 | 政治
 書店で小泉元総理の著作(新書)をパラパラと拾い読みしていました。  弦楽器は大変くわしいようですが、立読みの為、じっくり読めていません。
ふとオペラのところを見ますと、彼が高校時代、当時世界最高とうたわれたデル・モナコとテバルディの共演によるジョルダーノ作曲「アンドレア・シェニエ」をテレビで観て、圧倒された、と書いていました。デル・モナコのドラマティックな声に夢中になられたようで、ここからオペラを聴くようになった、とありました。

でも、あのオペラをよく観ますと、テノールのシェニエが主役のようですが、真の主役はジェラールであるように思います。
何代も貴族に仕え、貴族は高慢で使用人には冷たく、情け容赦ない、やがてフランス革命の足音が迫り、彼はロベスピエールの片腕として革命を成功させる・・・でも、あれほど願った革命は暴政であり、血に飢えた大衆が狂ったように犠牲者を増やす・・・古代ローマにおけるコロッセオでの出来事のように。

やがて詩人シェニエが祖国を想う意見を堂々と述べるのに、革命裁判の場で、シェニエを弁護してしまう・・・労働者階級の出身であるジェラール、貴族の出身だが高邁な思想に燃える詩人シェニエ、「フランスは祖国の詩人を殺してはなりません。ここにあるのは憎悪です。」と民衆を説得するジェラール、小泉さんは高校生だった・・・この場をどうご覧になったのか、興味があります。

ここがこのオペラの醍醐味ではなかったのでしょうか。
今なおある大衆を巻き込んだ独裁政治、スターリンが、ヒトラーが、毛沢東が、「ロベスピエール」でした。「革命」に名を借りた暴政、荒れる大衆、こわい構図です。

小泉さんは、このオペラからオペラの素晴らしさを知った、といわれますが、それはデル・モナコの恐るべき声量であり、女丈夫テバルディの美声だけだったのでしょうか。
高校生の時はわからなくても、このライヴのDVDまで購入し観ていらっしゃる今、もっとお感じになることはなかったのでしょうか。
コメント (2)
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