この日の丸、どなたか書いてあることがわかる方、ご連絡願います。
OBON 2015さまのフェイスブックから転載~アルコさまがお知らせ下さいました。
2月14日.
「日の丸」(2013-0214):捜索中
米国人が両親の遺品整理中に見つけられた日の丸。シカゴの日本人大学教授を経由しOBON 2015に託される。日の丸のサイズは、32.5x24cmと小さく綿製でカタカナのような文字のみが記入されている。中央の円を切り抜いて赤い丸が丁寧に手縫いで取り付けられている。
特記事項は、表と裏の両方に同じ文字が記入されている事。日本人が書いた文字とは思えませんが、この日の丸を入手した誰かが意図的に同じ文字を日の丸の両面に記載された模様。
この日の丸を見つけられた米国人は、日本(遺族)の方に意味のあるものであれば返還したいと希望されています。
OBON 2015は、善意のある米国人のお気持ちにお答えできればと願っております。
誰か、この日の丸に記載された文字、意味を解読できる方はいらっしゃいますか?
日の丸」(2013-0214):詳細 B
こちらは日の丸の裏側に書かれた文字の拡大画面です。
表と裏の両方に同じ文字が書き込まれているようです。
何か意味があるのでしょうか?
文字、意味の解読できる方はOBON 2015までお知らせ下さい。
こちらは表です。
「タクロバン レイテ」と読めます。
フィリピン レイテ島のタクロバンのことでは
ないでしょうか?
レイテ戦でタクロバンの防衛に当たっていたのは
陸軍第十六師団(京都・滋賀・奈良・三重にて編成)になります。
(参考)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%86%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#.E9.A3.9B.E8.A1.8C.E5.A0.B4.E5.A5.AA.E9.82.84.E4.BD.9C.E6.88.A6
日章旗を見るに持ち主の情報が殆どありませんが
日本に戻ってくれることを願います。
飛行場奪還作戦 - レイテ島の戦い - Wikipedia
日本側は増援作戦を続けていた。12月までに合計5万名に及ぶ兵力をレイテ島に運んだが、その大半が輸送途中に敵襲を受け、海没する船舶が相次いだ。例えば第1師団の次に送られた第26師団主力は11月9日に無事オルモックに入港したものの、上陸用の大発動艇の不足からほぼ兵員のみの上陸となり、さらに後続の補給物資船団は到着前に次々と沈められた。それでも空襲を警戒して夜間に海岸近くを航行していたので、船が撃沈されても兵隊が泳ぎ着く例は多かったが、軍需品、糧食はその8割までもが海中に沈められた。おまけにかろうじてオルモックへの揚陸に成功した物資も、自動車の不足と劣悪な道路状況などから前線への輸送が滞りがちだった....
OBON 2015 、貴重な情報を有難うございました。「タクロバン レイテ」と言われてみれば確かにそのように読めますね。どの様な状況で、どの様な思いで誰が書き込まれたのか想像は膨らみますが、ご指摘の通り非常に限られた情報ではありますが、私達も持ち主が見つかることを願っております。この日の丸は現在OBON2015がお預かりしておりますので日本へは必ず返還致します。
☆ もし、このことで何か情報がありましたら、フェイスブックのOBON2015さま、またはこのブログのコメントにお知らせください。
アルコさまにお伝えいたします。(私はフェイスブック加入していませんので)
辛い気持ちです。たまらない辛さです。
どうかこの日の丸のことがわかり、アメリカから日本に返ってきたことも含めて、よいお知らせをお伺いしたいものです。
アルコさまのご友人がこのお世話をされています。
アルコさま、ありがとうございます。
Bella Cantabile