「自分はハーモニーのこととか全く知らないんで、そういう話がわからないんですよ。」
たまたま、あるアマチュアオーケストラの打ち上げで、そのような話をしたチェリストがいた。アマチュアとは思えない、すばらしいチェロを奏でる方の発言である。
ん?この話は、以前にも別の人から聞いたことがあるのを、即座に思い出した。
その時は、乞われて和声の解説まで引き受けた覚えがある。
確かに、古典派の曲は和声を理解した方が良いに決まっているのだが、音楽大学を出た人達は、みんな和声を理解しているだろうか? この点に関しては少々疑問があるのだが、音大出身者が、和声を理解していないから困っている場面に演奏の場で遭遇したことはない。多分、仮に理解していなくても適当にごまかしているのだろう。一流の演奏にはならないが、それを目指さなければ何とかなるからだ。
いやはや、皆さん真面目だなぁ、と思った瞬間、このお二方の共通点を見出した。
二人とも工学部卒業なのである。
工学部の先生が言っていた。「計算を間違うと、それこそ、どこぞの湯沸かし器のガス爆発、なんてことになる訳ですよ。計算を間違っては絶対にいけません。」
これが、工学部の発想を端的に物語っているだろう。
しかし世の中、工学部的発想で動いていない部分もあるはずだ。
おあつらえ向きに、反対隣にはお医者さんのチェリストが座っていた。伺ってみたら案の定・・・
「そんな・・・世の中、わからないことばかりじゃないですか。理屈がわからないとか何とか言っていたら何にもできませんよ。」
和声がわかろうがわかるまいが、とにかく弾くのである。このお二人が本番では仲良く隣同士で弾いていた。考えていることがこれだけ違うが、見ただけでは全くわからない。
同じ「理系」と世間では一くくりにしがちな人々でも、このように違う、ということを象徴する一言ずつであった。
工学部と医学部の比較。納得しました。
理学部は、専攻分野で分かれそうですね。
解っているものを使ってひとつひとつ作り上げて行く人たち。と、
解らないものを目の前に問題をひとつひとつ解明して行く人たち。の、
違いということでしょうか。
和声や楽式の理論を緻密に緻密に積み上げて行って、精緻な技術を丹念に丹念に訓練して非常に高いものを得たとして。その境地のそのまた彼方に、その音楽家が「人の心をとろけさせるような音楽」に辿り着くには、「訳の分からない音楽の神様だけが知っている領域」があるのかも、知れない。なんてことを、思いました。
コメントありがとうございます。
大昔、大学院生同士で話をした時、私が音楽学部の学生はかくかくしかじか(で変なやつが多いから困る)と言ったら、「それは理学部と大変似ていますね。」と返されたことがありました。これは理学部と付き合うと大変そうだ、とその時思ったせいか、それ以来、身近に理学部の人があまりいなくて、実際のところはわかりません。
しかし、音楽は大きく実演系と理論系に分かれ、実演系は声楽と器楽、器楽は鍵盤とオーケストラ系、オーケストラ系は管楽器、打楽器と弦楽器、弦楽器は低弦と高弦(ヴァイオリン)と分かれ、それぞれで特徴が違うことを考えると、理学部もそうかなぁ、と想像する次第です。
何かあったら教えて下さい。
その通りですね。
工学部卒の皆さんは、全く関係ない職業につかれているのですが、その「工学部魂」がしっかり根付いていることが見てとれますよね。
ちょっといい話だと思っています。
私、理学部出身です。
理学部では理論を組み立てる、理屈をこねることに対して結構鍛えられます。
そのせいか、私も頭で理論や大系というものが理解できていないと、
どうも気持ちが悪いですね。
でも、工学部ほど精密ではないのです(私の研究室がそうだったのかも…)。
なんせ、自然が研究対象であったため、
誤差だとか、異常値だとか、いろんな数値の”ブレ”が大きかったんですね。
細かいことを突き詰めすぎると、全体像が見えなくなってしまう。
その理学部気質のせいにするのも何ですが、
私は分からないことが出てきた場合、ネットで調べたり、本を読んだり、
とりあえず出来る範囲で理解しようと努めてみます。
で、それでも分からないと、あきらめてしまいます。
「こんなもんなんだろう。そういうものなんだろう。」
と思うことにしてます。
そのために演奏技術が上達しないんですが。
長文、失礼しました。
我が家は、工学部タイプの夫と医学部タイプの私という組み合わせです(学科は同じなんですけど…)。
違うからうまくいく部分と、違うから摩擦が生じる部分があります(^^;;
理学部出身歓迎いたします。
なるほど、理屈がわからないと気持ち悪い、このようなタイプの方も少なからず存在する、のでしょうね。その認識を持つことも大事だなと改めて思いました。
先日、聞いた話です。医学部ではまず解剖実習というのがあって、教科書通りの血管などというのは一つもない、という現実を思い知らされるのだそうです。その洗礼を最初に受け、そこからが医学部的発想は出発するようで・・・。
そうすると、工学部と医学部の間に理学部が存在する、ということですかね?
なかなか盛り上がる話題ですね。血液型よりおもしろいかも・・・。
違うから良いことと衝突すること、これは人間修養に大いにプラスしそうです。
理学部出身です。
私見では工学部は分かっている理屈で作り上げる。理学部は分かっている理屈をさらに解明する。つまり工学部は盛り上げ、理学部は掘り下げる。医学部はとにかくアウトプット重視。
私は医者と仕事することが多いのですが、当初は考え方の違いに戸惑いましたが、ある医者が「僕は患者が治るのであれば、極端な話、祈祷でもおまじないでも効くのであればやるよ」と言ったのを聞いて、納得した経験があります。
音楽への向き合い方にもその傾向が見える興味深いエピソードありがとうございました。
コメントありがとうございました。
なるほど、工学部、理学部、医学部の発想の違いがそこにあるようですね。
だから、理学部が中間的存在というよりは、理工と医の間が少し離れている感じでしょうか。
理学部関係者にとっても、興味のつきない話題であることがよくわかって、こちらもさらに興味をもった次第です。