ハチャトゥリアンが亡くなったのは、私が高校生の時。体育館の中から窓越しに見える校舎を見ながら「亡くなったかぁ」と思った。
晩年は時々来日していたのだ。直前に日本フィルかどこかの客演がキャンセルされた話を聞いたばかりだった。
見たかったなぁ、とか言いながら、まだハチャトゥリアンの曲は数曲しか知らなかったのだから、まぁ田舎の高校生の考えることだ。
されど高校生である。中学生の時は、ショスタコーヴィチが亡くなった。こちらに至っては《祝典序曲》1曲しか知らなかったけど、「亡くなったかぁ」とラジカセを見ながら思った。
されど中学生である。小学生の時ストラヴィンスキーが亡くなった。組曲《火の鳥》しか知らなかったけど「死んだかぁ」とレコードを見ながら思った。
なぜいちいち感じるかと言えば、このお三方は音楽室の年表に載っていたからだ。それを見る度に「この人達はまだ生きている」と思ったのだ。そして、それがなぜか嬉しかった。
という訳で、ストラヴィンスキーは昔に死んで、ハチャトゥリアンは最近死んで、とどうしても思ってしまうのだが、よく考えたら、たかだか10年以内の出来事だ。音楽史上は、同時代の人間として扱われるのだろうな。
そしてその同時代を自分も生きるとはこういう感覚を持つということだろう、と勝手に思っている。
さて、映画は正直「つまらなかった!」
寺原伸夫著の伝記を読んだことがある。大分印象が違うのは、ある程度当然としても、この映画の人物描写、あまりに底が浅いと思った。
《ガヤネー》を改作させられて《幸福》になったのは、それほど簡単な話ではなかったと思うし、肝心の《剣の舞》誕生秘話が大して面白くなかった。
これに関しては、ソ連時代ハチャトゥリアンが自分を演じた映画があって、その昔そこだけNHKで流れたが、そちらの方がずっと面白かった。
これと同等以上でなくては、作った意味ないでしょ、と言いたい。
ロシア映画、頑張って!
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