山のようにたくさんあるピアノのコンクールでは、既に動画審査にして、今の局面を乗り切った話もきく。
そして、私が関係するヴァイオリンのコンクールも、ちらほらそうする旨の連絡が入りつつあるところだ。
コンクールAやコンクールBの時は「それも仕方ないかな」と思って、それ以上深くは考えなかった。
しかし、コンクールCから「相談」が来て、大反対を唱える結果となった。
それは、一にも二にもコンクールを台無しにするから、なのだが、我ながら20分熱弁をふるってしまったのはなぜか。
まず、動画ではそう細かいことまでわからない。生の音の情報量は比較にならないほど多い。それが機械により制限されてしまう。
みんなが同じ感じで制限されるならともかく、機械の性能で制限され方が変わるようでは、音楽のコンクールではなくなってしまう。
それに、録音技師のような親がついていたら、音を加工することもできる。これでは家族のコンクールになってしまう。
さらに動画は何度でも撮り直しができる。私のように一発勝負に弱い人間には大変ありがたいが、これだと大した修行にはならない。
大きな空間で遠くの人へ音楽を届かせるべくエネルギーを使う事、これが修行になるのだ。
何としてでも、従来型の方法でコンクールは行っていただきたい所以である。
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