★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

生まれた時が悪いのか。それとも俺が悪いのか。

2014年07月18日 19時32分53秒 | 徒然(つれづれ)
♪ 生まれた~時が~悪いのか~それとも~俺が~悪いのか~
 オリジナルのブルーベル・シンガーズ盤より、「非情のライセンス」の主題歌としての天知茂盤のほうが有名な昭和の佳曲。
 この曲が流行った当時から、普通の人間なら当然のように、時代が悪いのではなく、自分に至らない点があるのだと言い聞かせて生きてきたものだ。

 それが180度変わったのが、あの2011年3月11日だ。
 天災は仕方がない。運が悪かったのだ。

 問題は原発だ。

 原子力の権威でさえも今後の見通しに関しては意見は二分している。
 特に悲観派の意見はSNSを通じて拡散し、曲解され、尾ひれ背びれがついて、徒に人心を不安に陥れている。
 政府を筆頭とする原発擁護派は火消しに躍起だが、汚染数値の過小評価や隠蔽体制、裏付けの定かではない安全性の強調など、説得性に欠けている。

 どちらが正しいのか、我々の何十倍も勉強してきたその筋の権威でさえもわからないのに、我々素人にわかるはずもない。チェルノブイリやスリーマイルの事故の影響も何年もたった後に表われ、今もなお続いているのは歴史が証明している。福島原発事故当初、チェルノブイリ以上と言われていたのが、政府の情報統制なのか、今やそんな話も出ない。
 毎日排出される汚染水が清水に戻ることは決してないだろう。

 確実にコントロールできないものを作ったのも、それを推進したのも国であり時代だ。
 東北東日本大震災クラスの地震が来れば、福島原発と同じレベルの放射能汚染が避けられないだろうことは、素人にもなんとなくわかる。
 汚染は現在生きている全人類が死に絶えた後も永遠に続く。

 時代が悪かった。
 救いは自分はもう還暦。生きるとしても、長くてあと20年。その期間で汚染状況が激変する可能性はないだろう。また体内被曝の蓄積による体調の悪化があったとしても、運が悪かったとあきらめもつく。

 今日を生きるしかない。
コメント
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