★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

もしも携帯電話があったなら

2014年07月20日 21時54分52秒 | 徒然(つれづれ)
 1970年代半ば、私が大学生だった頃、友達や女の子への通信手段は公衆電話だった。
 その頃はまだ赤い公衆電話で、電話ボックスではなく、店先に設置されているのが普通だった。
 京都で学生生活を送っていた私は、郷里の九州へ金送れの電話をする時には、貯金箱に貯めていた十円玉をわし掴みにポケットへ入れて、下宿の近所の雑貨屋へ向かったものだ。
 
 一旦外へ出ると、友達に連絡を取る手段はほとんどないに等しかった。
 用事がある時は、大学の食堂や近所のパチンコ屋、喫茶店、最終的には下宿まで探し回ったものだ。

 それでも生活はほとんど支障なく回っていた。
 携帯電話が普及した現在では考えられない事だ。
 金送れの電話も、友達との待ち合わせの連絡も瞬時にできる。インターネットでいろんな情報の収集も可能で、音楽も聴ける、写真や動画も撮れる、メールやSNSもできる。
 
 当時、携帯があったなら、まさに万能の利器だったかもしれない。仮定法過去にしたのは、それによる利便性は認めるが、弊害も考えられるからだ。
 確かに時間の節約は可能だろう。しかし節約できた時間はネットサーフィンやゲーム、LINEの無意味なやり取りなどで、浪費されていただろう。

 現在では、小学生までも携帯を持って、大人顔負けにゲームやLINEをやる時代だ。
 携帯がない生活は携帯中毒者は言うまでもなく、一般人でさえも考えられなくなってきている。
 
 友達が少なく、仕事でも携帯を使わないわたしは、かろうじて携帯のない生活は我慢できるかも知れないが、パソコンのない生活は考えられない。
 いずれにしても大切な時間を浪費しているのは間違いないが、かと言って、その時間の有効な使い道はなかなか考えつかない。

 おっと、携帯に着信だ。
コメント
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