★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

ナショナル・テクニクス・ステレオ

2015年02月18日 20時51分39秒 | 徒然(つれづれ)
 1969年、私が中学三年の時に、学校から帰ると、家の前に電気屋の軽トラックが止まっていた。
 家に入ってみると、応接間にでっかいセパレートステレオをセッティング中だった。
 親父が何をトチ狂ったか、当時14、5万円もするナショナルのテクニクス・セパレート・ステレオを買ったのだ。田舎の家には何とも不釣り合いの、学校の音楽室にあるようなトンデモ代物だった。

 それまでのモノラルの蓄音機からオーディオセットへの大グレードアップだ。
 家にあったレコードといえば、世界の名曲全集とか、歌謡曲のドーナツ盤が数十枚程度、洋楽を聴き始めた私のEP盤が10枚程度だった。
 
 親父はたぶん応接間の調度品感覚だったようで、最初こそ世界の名曲を聴いていたが、すぐに飽きて、それ以降テクニクスは私の洋楽試聴とエレキギター練習専用になった。
 大口径のスピーカーから出力される爆音は、それこそ田舎の木造家屋を震わせる程の大迫力だった。
 
 高校時代は、小遣いで買ったり、友達から借りたロックのLPを聴きまくった。
 またレコードに合わせてエレキギターを大音量で弾きまくった。
 田舎の一軒屋だったので、外に音が洩れても苦情の心配もなかった。

 大学に入ると、九州の実家を出て、京都に下宿したので、テクニクスでレコードを聴いたり、エレキを弾いたりする事はなくなってしまった。
 大学生活は、音楽以外にも楽しいことが盛りだくさんで、たまに下宿のモジュラー・ステレオでレコードを聴いたり、エレキから持ち誓えたアコースティック・ギターでフォーク・ソングを弾いたりする程度になった。

 実家のテクニクスは親父の当初の思惑通りに応接の調度品となってしまった。

 
コメント
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