今の会社に勤めて32年目になる。
月日の経つのは早いものだ。
その間いろんな部署を異動して、それぞれの部署で、飲み仲間ができたが、最終的には中途入社同期の連中が一番長く続いている。
部署が変わると、必然的にその部署御用達の飲み屋というのが存在し、行きつけの飲み屋もそのたびに変わってくる。
会社が飲み屋街に近く、飲むのには苦労しないほど飲み屋の数も多かった。
若い頃は大人数でワイワイやって、少なからず羽目を外したものだが、歳をとるにつれ少人数になり、酩酊することもなくなった。
それに伴い、行きつけの店が定まり、5年とか10年単位で通うようになった。
最初に行きつけになった居酒屋は、初老のママがひとりでやっていた店で、ハリハリ鍋が名物だった。ママが亡くなるまで7年ほど通っていた。
次に通ったのが、ここも初老の夫婦がやっていた居酒屋で、同じ九州出身ということで、店をたたむまで7、8年ほど通った。
オンボロのギターを持ち込み、興がのればフォークソングを大合唱していた。
その後は今も行きつけの、アラフィフのママがひとりでやっているワインバーに、10年ほど通っている。ここではウクレレライブも演った。
どの店にも共通するのは、暇な日が多く、客層が良いことだ。
もちろん満席になることもあったが、2、3人ほどだと、なんとかもぐり込めた。
常連客とは会話が弾み、ひとりで入店しても居心地の悪さを感じたことはない。
会社や仕事とは関係なく、なんの利害関係もなく、自分のペースで気楽に飲めるということは、酒飲みにとって至福の時間だ。
今はワインバーを拠点として、そこで知り合った連中の紹介で、近くの居酒屋やバーなどをはしごするのが、楽しい日課みたいになっている。
月日の経つのは早いものだ。
その間いろんな部署を異動して、それぞれの部署で、飲み仲間ができたが、最終的には中途入社同期の連中が一番長く続いている。
部署が変わると、必然的にその部署御用達の飲み屋というのが存在し、行きつけの飲み屋もそのたびに変わってくる。
会社が飲み屋街に近く、飲むのには苦労しないほど飲み屋の数も多かった。
若い頃は大人数でワイワイやって、少なからず羽目を外したものだが、歳をとるにつれ少人数になり、酩酊することもなくなった。
それに伴い、行きつけの店が定まり、5年とか10年単位で通うようになった。
最初に行きつけになった居酒屋は、初老のママがひとりでやっていた店で、ハリハリ鍋が名物だった。ママが亡くなるまで7年ほど通っていた。
次に通ったのが、ここも初老の夫婦がやっていた居酒屋で、同じ九州出身ということで、店をたたむまで7、8年ほど通った。
オンボロのギターを持ち込み、興がのればフォークソングを大合唱していた。
その後は今も行きつけの、アラフィフのママがひとりでやっているワインバーに、10年ほど通っている。ここではウクレレライブも演った。
どの店にも共通するのは、暇な日が多く、客層が良いことだ。
もちろん満席になることもあったが、2、3人ほどだと、なんとかもぐり込めた。
常連客とは会話が弾み、ひとりで入店しても居心地の悪さを感じたことはない。
会社や仕事とは関係なく、なんの利害関係もなく、自分のペースで気楽に飲めるということは、酒飲みにとって至福の時間だ。
今はワインバーを拠点として、そこで知り合った連中の紹介で、近くの居酒屋やバーなどをはしごするのが、楽しい日課みたいになっている。