下川の実家は市内でも有数の窯元で、当時ではまだ珍しかった機械化によるオートメーション窯で大量生産を行なっていた。
「そいで東京の何ちゅう大学や?」
「それはまだ決めとらん。決めとらんけど取りあえず東京の大学たい。兄貴も言うとったけど、東京へ行かんと何も始まらんとぞ」
下川の兄は東京のN大学の三年生で、今は夏休みで実家に帰省していた。
「兄貴が言うにはな、こがん田舎でくすぶっとったら、何のために生まれてきたのかわからんて。男に生まれたからには、絶対に若いうちに東京を経験せんばいかん。何ちゅうても花の都、大東京ぞ」
テレビや雑誌から吸収した情報で、僕が頭の中でコラージュした東京は、この田舎町からは、現実と非現実ほどの距離があるように思われた。
僕たちの高校は男女共学の普通高校だったけれど、卒業生のうち大学へ進学する者は全体の四割ぐらいだった。そしてそのほとんどが九州内の大学や短大で、東京の大学へ進学する者は毎年十人にも満たなかった。
下川の兄はそのうちの一人だった。ゆくゆくは家業を継ぐことを条件に、下川の兄は東京の大学でのモラトリアム生活を満喫していた。兄が帰省するたびに、下川は東京がいかに刺激的な街か、さんざん聞かされていた。そればかりか高校入学前の春休みには、一週間ほど東京の兄の下宿に滞在して、ジャズ喫茶やアングラ劇やフーテン族や学生運動などを目のあたりにしてきたのだ。
「東京は文化の発信地たい。俺は東京の大学へ行って、音楽や演劇の勉強ばして、文化ばプロデュースすると」
「音楽や演劇の勉強やったら、何も大学なんか行かんでもよかろうが」
僕は当然の指摘をした。
「ばか、そがんこと親が許すか。親には大学に行く言うて、金ば出してもらわんといかんやろが。どうね、おまえも東京の大学へ行かんか? 俺が面倒みてやるけん」
何を面倒みてくれるのか、その時は聞き忘れたけれど、東京の大学という言葉は、僕の東京のコラージュにおぼろげな輪郭を与え、田舎町との距離が少し近づいたように思われた。
「そいで東京の何ちゅう大学や?」
「それはまだ決めとらん。決めとらんけど取りあえず東京の大学たい。兄貴も言うとったけど、東京へ行かんと何も始まらんとぞ」
下川の兄は東京のN大学の三年生で、今は夏休みで実家に帰省していた。
「兄貴が言うにはな、こがん田舎でくすぶっとったら、何のために生まれてきたのかわからんて。男に生まれたからには、絶対に若いうちに東京を経験せんばいかん。何ちゅうても花の都、大東京ぞ」
テレビや雑誌から吸収した情報で、僕が頭の中でコラージュした東京は、この田舎町からは、現実と非現実ほどの距離があるように思われた。
僕たちの高校は男女共学の普通高校だったけれど、卒業生のうち大学へ進学する者は全体の四割ぐらいだった。そしてそのほとんどが九州内の大学や短大で、東京の大学へ進学する者は毎年十人にも満たなかった。
下川の兄はそのうちの一人だった。ゆくゆくは家業を継ぐことを条件に、下川の兄は東京の大学でのモラトリアム生活を満喫していた。兄が帰省するたびに、下川は東京がいかに刺激的な街か、さんざん聞かされていた。そればかりか高校入学前の春休みには、一週間ほど東京の兄の下宿に滞在して、ジャズ喫茶やアングラ劇やフーテン族や学生運動などを目のあたりにしてきたのだ。
「東京は文化の発信地たい。俺は東京の大学へ行って、音楽や演劇の勉強ばして、文化ばプロデュースすると」
「音楽や演劇の勉強やったら、何も大学なんか行かんでもよかろうが」
僕は当然の指摘をした。
「ばか、そがんこと親が許すか。親には大学に行く言うて、金ば出してもらわんといかんやろが。どうね、おまえも東京の大学へ行かんか? 俺が面倒みてやるけん」
何を面倒みてくれるのか、その時は聞き忘れたけれど、東京の大学という言葉は、僕の東京のコラージュにおぼろげな輪郭を与え、田舎町との距離が少し近づいたように思われた。