大平美和子 聞き書き:菅聖子
『世田谷・大平農園 けやきが見守る四〇〇年の暮らし』(旬報社)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/a9/e413e840b3f6107e72a6c9c1220f0a4e.jpg)
前回(こちら)ご紹介した通り、
ロバーツコーヒーでスモークサーモンサンドのおいしいランチをいただき、
ゆったりまったり気分で読んだのがこの本です。
無農薬栽培で野菜を育てている大平農園の存在は、かなり前から知っていました。
雑誌やテレビで紹介されることもあって、ずっと気になる存在でしたが、
同じ世田谷区とあっても遠い場所で、結局は気になっていただけ。
それが、ある時、ふと思い出したんです。
きっかけは、合唱団の練習場所。月に1回ぐらいは等々力に遠征しています。
ある時、ふと、大平農園は等々力のほうだったはずだと思って地図を見てみたら、その通りでした。
ネットで場所など調べているうちに、この本が今年出版されたばかりだということも分かって、
早速、図書館で借りて一気読み。
文字が大きくて、聞き書きということもあってかとても読みやすいので、すぐに読めます。
大平美和子さんは、1933(昭和8)年生まれ。江戸時代から400年続く大平農園の
11代目にして最後の当主です。大平家は過去5代続いて女性ばかりが生まれて、
婿養子を迎えてきました。大平さんは一人っ子で、ご主人と結婚したあと
娘が生まれたのですが、若くして亡くなったそうで、
跡を継ぐ人がおらず、美和子さんが最後の当主となります。
本の前半では大平家が先祖代々行ってきた年中行事を紹介。
餅つきをしたり、大量のたくあんを漬け込んだり、注連縄を作ったり、
古き良き時代の様子が伝わってきます。
「戦前戦中の大平家」「戦後の食糧増産時代」では、
世田谷の農家や大平家の農業の様子がよく伝わってきます。
特に美和子さんのお父さんがさまざまな工夫を重ねた人で、
トンネル栽培から始まって、
日本で初めてビニールハウスを建てることにつながります。
ただ、農薬の企業の人などとも付き合いがあり、
ビニールハウスの中で農薬を使用している中で
原因不明の体調不良が起こります。
お父さんが60代で亡くなったあと、
美和子さんのご主人は30代の時、もう一切農薬を使わないと決めました。
そこから無農薬有機栽培への転換、挑戦が始まります。昭和40年代のこと。
ちょうど有吉佐和子の『複合汚染』が新聞に連載され、農薬への問題意識が高まり、
大平農園がテレビで紹介され、多くの人から問い合わせが来たそうです。
その中で「若葉会」という会を作って、会員制の組織にしました。
人数は減っても、現在も会は続いています。
という、非常に興味深い内容ですが、
まずは大平農園を見に行ってみようと思っています。
近所の農家の無人販売所のように気軽に買えるといいのですが、
本によると、火曜日と金曜日に会員が取りに来る仕組みのようです。
素性のいい野菜が何とか手に入るといいのですが。
『世田谷・大平農園 けやきが見守る四〇〇年の暮らし』(旬報社)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/a9/e413e840b3f6107e72a6c9c1220f0a4e.jpg)
前回(こちら)ご紹介した通り、
ロバーツコーヒーでスモークサーモンサンドのおいしいランチをいただき、
ゆったりまったり気分で読んだのがこの本です。
無農薬栽培で野菜を育てている大平農園の存在は、かなり前から知っていました。
雑誌やテレビで紹介されることもあって、ずっと気になる存在でしたが、
同じ世田谷区とあっても遠い場所で、結局は気になっていただけ。
それが、ある時、ふと思い出したんです。
きっかけは、合唱団の練習場所。月に1回ぐらいは等々力に遠征しています。
ある時、ふと、大平農園は等々力のほうだったはずだと思って地図を見てみたら、その通りでした。
ネットで場所など調べているうちに、この本が今年出版されたばかりだということも分かって、
早速、図書館で借りて一気読み。
文字が大きくて、聞き書きということもあってかとても読みやすいので、すぐに読めます。
大平美和子さんは、1933(昭和8)年生まれ。江戸時代から400年続く大平農園の
11代目にして最後の当主です。大平家は過去5代続いて女性ばかりが生まれて、
婿養子を迎えてきました。大平さんは一人っ子で、ご主人と結婚したあと
娘が生まれたのですが、若くして亡くなったそうで、
跡を継ぐ人がおらず、美和子さんが最後の当主となります。
本の前半では大平家が先祖代々行ってきた年中行事を紹介。
餅つきをしたり、大量のたくあんを漬け込んだり、注連縄を作ったり、
古き良き時代の様子が伝わってきます。
「戦前戦中の大平家」「戦後の食糧増産時代」では、
世田谷の農家や大平家の農業の様子がよく伝わってきます。
特に美和子さんのお父さんがさまざまな工夫を重ねた人で、
トンネル栽培から始まって、
日本で初めてビニールハウスを建てることにつながります。
ただ、農薬の企業の人などとも付き合いがあり、
ビニールハウスの中で農薬を使用している中で
原因不明の体調不良が起こります。
お父さんが60代で亡くなったあと、
美和子さんのご主人は30代の時、もう一切農薬を使わないと決めました。
そこから無農薬有機栽培への転換、挑戦が始まります。昭和40年代のこと。
ちょうど有吉佐和子の『複合汚染』が新聞に連載され、農薬への問題意識が高まり、
大平農園がテレビで紹介され、多くの人から問い合わせが来たそうです。
その中で「若葉会」という会を作って、会員制の組織にしました。
人数は減っても、現在も会は続いています。
という、非常に興味深い内容ですが、
まずは大平農園を見に行ってみようと思っています。
近所の農家の無人販売所のように気軽に買えるといいのですが、
本によると、火曜日と金曜日に会員が取りに来る仕組みのようです。
素性のいい野菜が何とか手に入るといいのですが。