今年はEM(有用微生物群)のチカラを利用して
畑をやるべく準備中であることはすでに書いた通りです(これ)。
EM1号と糖蜜をまぜてEM活性液をつくり
(詳しくはこちらへ)、
あとは発酵してくれるのを待つばかり。
液が入れてあるペットボトルが2~3日して膨らんできたら
蓋をあけてガス抜きをする、ということになっているのに、
膨らんでくる様子がありません。
このところ暖かくなったかと思いきや、
やっぱりまだ冬か~と、また寒くなってがっかり。
もう5~6日経っているのに、まだ完成が見えません。
冬は7~10日でできると書いてあるのに、
活発に発酵している様子もなく
液の色自体がなかなか変わらないのです。
暖かいところに置くのがいいのですが、
そんなところはありません。ですのよ。
せいぜい料理をしている時に周辺に置いておくぐらいで。
ない知恵絞って考えました。
寝るときに布団に入れてあげよう!
あーーー、苦し紛れですね。
気長に待ちましょう。しかし、今年は完全に出遅れですね。
ところで、大船に行ってEM仕入れてきてから、
連続でEMづいていました。びっくりするほど。
ボラバスに行った帰り、いつものように気仙沼の
プラザホテルで温泉に入ってくるのですが、
その前にボラバス常連の方に近くにできたという
復興商店街に案内してもらいました。
テレビでも紹介されていた、30軒ほどのプレハブの商店街です。
どんなところか単なる興味で行ったら、行ったらですよ、
そこにEMショップがあったのですよ。お~!
思わず、EMのリンゴとかシャンプーとかせっけんとか
よく使っています、という話をして、
でも大船の店に行ったばかりだったから買うものもなく。
それでもお店の方は、来てくれるだけで嬉しい、
とおっしゃって、サンプルをいろいろくださいました。
そのすぐ後に分かったことですが、
そこの店の人が中心となって、気仙沼EM大作戦?を実施し、
津波で押し寄せた魚などによる悪臭を一掃?することができたそうです。
大船でもらってきたEM事例集の冊子に載っていました。
そして、日曜日の早朝帰ってきて、その日の午後出かけたのは、
EMの開発者である比嘉照夫氏の講演会。
すごい。EMづいているこの数日。
講演会では杉本一朗氏も講演して、目からウロコ!の話がたくさん。
詳しくは、また。
畑をやるべく準備中であることはすでに書いた通りです(これ)。
EM1号と糖蜜をまぜてEM活性液をつくり
(詳しくはこちらへ)、
あとは発酵してくれるのを待つばかり。
液が入れてあるペットボトルが2~3日して膨らんできたら
蓋をあけてガス抜きをする、ということになっているのに、
膨らんでくる様子がありません。
このところ暖かくなったかと思いきや、
やっぱりまだ冬か~と、また寒くなってがっかり。
もう5~6日経っているのに、まだ完成が見えません。
冬は7~10日でできると書いてあるのに、
活発に発酵している様子もなく
液の色自体がなかなか変わらないのです。
暖かいところに置くのがいいのですが、
そんなところはありません。ですのよ。
せいぜい料理をしている時に周辺に置いておくぐらいで。
ない知恵絞って考えました。
寝るときに布団に入れてあげよう!
あーーー、苦し紛れですね。
気長に待ちましょう。しかし、今年は完全に出遅れですね。
ところで、大船に行ってEM仕入れてきてから、
連続でEMづいていました。びっくりするほど。
ボラバスに行った帰り、いつものように気仙沼の
プラザホテルで温泉に入ってくるのですが、
その前にボラバス常連の方に近くにできたという
復興商店街に案内してもらいました。
テレビでも紹介されていた、30軒ほどのプレハブの商店街です。
どんなところか単なる興味で行ったら、行ったらですよ、
そこにEMショップがあったのですよ。お~!
思わず、EMのリンゴとかシャンプーとかせっけんとか
よく使っています、という話をして、
でも大船の店に行ったばかりだったから買うものもなく。
それでもお店の方は、来てくれるだけで嬉しい、
とおっしゃって、サンプルをいろいろくださいました。
そのすぐ後に分かったことですが、
そこの店の人が中心となって、気仙沼EM大作戦?を実施し、
津波で押し寄せた魚などによる悪臭を一掃?することができたそうです。
大船でもらってきたEM事例集の冊子に載っていました。
そして、日曜日の早朝帰ってきて、その日の午後出かけたのは、
EMの開発者である比嘉照夫氏の講演会。
すごい。EMづいているこの数日。
講演会では杉本一朗氏も講演して、目からウロコ!の話がたくさん。
詳しくは、また。
連日、テレビで震災関係のことを見ると、
また、陸前高田で聞いてきたお話を思い出すと、
本当にみなさんものすごい体験をしたことが分かります。
でも、その苦しみはどれほど理解できるか。
大きな津波が押し寄せてきて、
自分の目の前で何人もの人が波にさらわれていく、
見ているだけで、どうすることもできない……
東北のたくさんの方々が体験したことと思います。
自分がもしそこにいたら、どんな思いをしたことか。
突然、目の前で人が消えていく……
実際のところ、体験してみないと分からないでしょう。
無常。諸行無常。すべてのことは移り変わる。
そんなことが頭では分かっていても、
実際に大災害の渦中にいたとしたら。
折りしも、M7程度の首都直下地震はいつきてもおかしくない、
大震災のあと、首都圏の地震は大震災前の3倍になった、
とか、そんなニュースが伝わってきます。
自然災害に限らず、苦しみ・悲しみに
うまく対応できるのは、「覚悟」ではないかと思っています。
老若男女、いざというときのために覚悟さえ決めておけば、
それなりに心の準備さえ常にしておけば。
そのためには、まず心を整えて、
体を整えて、身の回りも整えて、
なにが起ころうとゆったり構えていれば、
なんとかなる、そう信じています。
理想論かもしれないし、東北で起こったような、
人生がひっくりかえるような経験もないので、
きれいごとに聞こえるかもしれませんが。
少なくとも、具体的な話として、部屋の中に
家具がごちゃごちゃ置いてあったり、
その上に落ちそうな物が載っていたり、
それは避けたいです。
そうすれば、最低限、物の下敷きになる被害は避けられます。
一戸建てに住んでいるわけではないので、
あくまで、壁や建物が倒れてこないという前提ですが。
それに、人間、いつなにが起こるか分からない、
だからできる限り準備はおこたらないようにする、
そう思っていれば、当然、身の回りも
整えておく必要性を感じるはずです。
物を持たない(執着しない)シンプルライフを実践していれば、
特別なことをしなくても、
そういった時にぐっと「生きて」きますね。
物に対する喪失感もないし。
達観。そんな表現が合いますね。
しかし、しかしですね、実際のところ、
テーブルの周りはちょいとちらかっているので
(なぜか片付けても、また……)、
カウチサーファーが来る日を目指して片付けます~~~!
また、陸前高田で聞いてきたお話を思い出すと、
本当にみなさんものすごい体験をしたことが分かります。
でも、その苦しみはどれほど理解できるか。
大きな津波が押し寄せてきて、
自分の目の前で何人もの人が波にさらわれていく、
見ているだけで、どうすることもできない……
東北のたくさんの方々が体験したことと思います。
自分がもしそこにいたら、どんな思いをしたことか。
突然、目の前で人が消えていく……
実際のところ、体験してみないと分からないでしょう。
無常。諸行無常。すべてのことは移り変わる。
そんなことが頭では分かっていても、
実際に大災害の渦中にいたとしたら。
折りしも、M7程度の首都直下地震はいつきてもおかしくない、
大震災のあと、首都圏の地震は大震災前の3倍になった、
とか、そんなニュースが伝わってきます。
自然災害に限らず、苦しみ・悲しみに
うまく対応できるのは、「覚悟」ではないかと思っています。
老若男女、いざというときのために覚悟さえ決めておけば、
それなりに心の準備さえ常にしておけば。
そのためには、まず心を整えて、
体を整えて、身の回りも整えて、
なにが起ころうとゆったり構えていれば、
なんとかなる、そう信じています。
理想論かもしれないし、東北で起こったような、
人生がひっくりかえるような経験もないので、
きれいごとに聞こえるかもしれませんが。
少なくとも、具体的な話として、部屋の中に
家具がごちゃごちゃ置いてあったり、
その上に落ちそうな物が載っていたり、
それは避けたいです。
そうすれば、最低限、物の下敷きになる被害は避けられます。
一戸建てに住んでいるわけではないので、
あくまで、壁や建物が倒れてこないという前提ですが。
それに、人間、いつなにが起こるか分からない、
だからできる限り準備はおこたらないようにする、
そう思っていれば、当然、身の回りも
整えておく必要性を感じるはずです。
物を持たない(執着しない)シンプルライフを実践していれば、
特別なことをしなくても、
そういった時にぐっと「生きて」きますね。
物に対する喪失感もないし。
達観。そんな表現が合いますね。
しかし、しかしですね、実際のところ、
テーブルの周りはちょいとちらかっているので
(なぜか片付けても、また……)、
カウチサーファーが来る日を目指して片付けます~~~!
もうすぐ震災から1年ということで、
テレビでも連日、震災関係の報道が続いています。
被災地からの中継もあります。
実際に週末、陸前高田に行ってきたばかりなので、
とても身近に感じます。
とくに今回は、陸前高田の中心だったところを歩いて回ったし、
地元の方から生々しいお話をいくつも聞いたので、
これまで以上に身近な存在となりました。
陸前高田や気仙沼が映ると、
あ、あそこあそこ!と、分かります。
実は、今回いろいろなお話を伺ったり、
歩いて回ったことで、反省したいことが出てきました。
(1)もっと早くボラバスに参加するべきでした。
(2)震災直後はのんびり、のんきに過ごしすぎていました。
私が初めてボラバスで陸前高田に行ったときには、
もうすでに中心地の瓦礫撤去は終わっていて、
ほぼ更地状態になっていました。
町のはずれにぺちゃんこの車が山になっていて、
瓦礫は商店街などでにぎわっていただろうところに
大きな山となっていて。
そのあとで参加し始めたので、
後処理をちょろちょろお手伝いしているという感じ。
春から夏にかけては、きっと大変な作業があったのでしょう。
なんだかちょっとだけ、心が痛いです。
いいとこ取り、とはいわないまでも、
ちょっとそんな感じがしないでもないのです。
それでも、夏は仕事が忙しいわけで、
決して無理はしない、それが重要だし、
とにかく秋から行っていることは行っている、
そんなところで納得させるしかないですね。
震災直後は、大変なことが起こったと思いながらも、
被災地の本当の大変さは、今思うと、
当時は「ひとごと」だったという気がします。
インドネシアへ行く予定だったのが、ツアーキャンセルとなって
1週間そのまま会社を休んで、のんびり、
近所のスーパーとか行って、物がなくなっていく!
その様子を観察したりして。のんきでしたね。
週末、陸前高田に行って、リアルなお話を伺って、
そんなことを思いました。
かといって、被災地へ行けばそれでいいというわけでもありません。
周りの人にやさしくする、心配りをする、
やさしくほほえんであげる、助けを必要としている人に手を貸す、
そんなことができれば十分です。
どんな小さなことでも構いません。
自然にそんなことができれば、みんながそんなふうになれば。
テレビでも連日、震災関係の報道が続いています。
被災地からの中継もあります。
実際に週末、陸前高田に行ってきたばかりなので、
とても身近に感じます。
とくに今回は、陸前高田の中心だったところを歩いて回ったし、
地元の方から生々しいお話をいくつも聞いたので、
これまで以上に身近な存在となりました。
陸前高田や気仙沼が映ると、
あ、あそこあそこ!と、分かります。
実は、今回いろいろなお話を伺ったり、
歩いて回ったことで、反省したいことが出てきました。
(1)もっと早くボラバスに参加するべきでした。
(2)震災直後はのんびり、のんきに過ごしすぎていました。
私が初めてボラバスで陸前高田に行ったときには、
もうすでに中心地の瓦礫撤去は終わっていて、
ほぼ更地状態になっていました。
町のはずれにぺちゃんこの車が山になっていて、
瓦礫は商店街などでにぎわっていただろうところに
大きな山となっていて。
そのあとで参加し始めたので、
後処理をちょろちょろお手伝いしているという感じ。
春から夏にかけては、きっと大変な作業があったのでしょう。
なんだかちょっとだけ、心が痛いです。
いいとこ取り、とはいわないまでも、
ちょっとそんな感じがしないでもないのです。
それでも、夏は仕事が忙しいわけで、
決して無理はしない、それが重要だし、
とにかく秋から行っていることは行っている、
そんなところで納得させるしかないですね。
震災直後は、大変なことが起こったと思いながらも、
被災地の本当の大変さは、今思うと、
当時は「ひとごと」だったという気がします。
インドネシアへ行く予定だったのが、ツアーキャンセルとなって
1週間そのまま会社を休んで、のんびり、
近所のスーパーとか行って、物がなくなっていく!
その様子を観察したりして。のんきでしたね。
週末、陸前高田に行って、リアルなお話を伺って、
そんなことを思いました。
かといって、被災地へ行けばそれでいいというわけでもありません。
周りの人にやさしくする、心配りをする、
やさしくほほえんであげる、助けを必要としている人に手を貸す、
そんなことができれば十分です。
どんな小さなことでも構いません。
自然にそんなことができれば、みんながそんなふうになれば。
陸前高田の方々からリアルな体験談を聞いたわけですが
(そのうちのお一人が昨日テレビに出ていました!)、
参加者の中にもおばあさんが気仙沼で亡くなった、
という方がいました。
今回ちょうどバスでお隣になった方。
自己紹介タイムでそんなお話が出て、
あれっ、聞いたことあるお話。
そう、11月に南三陸町で参加していた人でした。
同じバスのそんなに遠くでないところに座っていました。
11月は自己紹介の時に話を聞いただけでしたが、
今回お隣だったので、詳しく伺うことができたのです。
気仙沼におばあさんとおじいさん、おじさん3人で住んでいて、
おばあさんが亡くなったそうです。
7~8年寝たきりだったらしく、
地震や津波、火事(気仙沼は火事がひどかったところです)
そのものには大丈夫だったものの、
停電になったため痰の吸引ができなくなり、
世話をしていたおじさんもできる限り手を尽くしたそうですが、
次の日に亡くなってしまったそうです。
おじいさんは、週2回デイサービスに行っていて、
震災のあった金曜日は行く日。
川沿いの老人福祉施設で震災にあい、
川を上ってきた津波が押し寄せる中、
肩まで水に浸かって一晩過ごしながら助かったそうです。
家自体はすこし高いところにあったので、
ギリギリ津波は大丈夫だったとのこと。
ただ、震災直後は連絡が取れず、
気が気でなかったそうです。
3~4日後になってやっと連絡が取れ、
現実を知ることになったわけです。
そんなお話もバスの中で聞くことができ、
本当に貴重な体験となりました。
<街はぴ、UP、またUP!>
(こんな気になる記事も。自分のメモ用です。いずれまた。)
(そのうちのお一人が昨日テレビに出ていました!)、
参加者の中にもおばあさんが気仙沼で亡くなった、
という方がいました。
今回ちょうどバスでお隣になった方。
自己紹介タイムでそんなお話が出て、
あれっ、聞いたことあるお話。
そう、11月に南三陸町で参加していた人でした。
同じバスのそんなに遠くでないところに座っていました。
11月は自己紹介の時に話を聞いただけでしたが、
今回お隣だったので、詳しく伺うことができたのです。
気仙沼におばあさんとおじいさん、おじさん3人で住んでいて、
おばあさんが亡くなったそうです。
7~8年寝たきりだったらしく、
地震や津波、火事(気仙沼は火事がひどかったところです)
そのものには大丈夫だったものの、
停電になったため痰の吸引ができなくなり、
世話をしていたおじさんもできる限り手を尽くしたそうですが、
次の日に亡くなってしまったそうです。
おじいさんは、週2回デイサービスに行っていて、
震災のあった金曜日は行く日。
川沿いの老人福祉施設で震災にあい、
川を上ってきた津波が押し寄せる中、
肩まで水に浸かって一晩過ごしながら助かったそうです。
家自体はすこし高いところにあったので、
ギリギリ津波は大丈夫だったとのこと。
ただ、震災直後は連絡が取れず、
気が気でなかったそうです。
3~4日後になってやっと連絡が取れ、
現実を知ることになったわけです。
そんなお話もバスの中で聞くことができ、
本当に貴重な体験となりました。
<街はぴ、UP、またUP!>
(こんな気になる記事も。自分のメモ用です。いずれまた。)
そうなんです、結局、活動しないまま。
陸前高田のボランティアセンターに着いて、
まずはそこに届いていた(普通なら、作業をしている場所に届く)
お弁当をバスの中でいただきました。
食べ終わったころ、ボラセンの係の方がバスに。
いつもなら、活動する際の注意点を中心に
お話をしてくださいます。
今回は、ご自身の体験談がほとんど。
米崎町で生まれ育った方。
米崎町といえば、初めてボラバスに参加したときに行った場所。
その後も、ひたすら草刈をした、あの場所です。
その方が震災後、地域の方々と瓦礫の片付けや
遺体捜索をしたというお話を伺いました。
直接体験したその方のお話は生々しく、
遺体捜索では、1日に最高7体もの遺体が
見つかったことがあったそうです。
それは、ある意味つらい経験ともなって、
仲間の方たちもその後、そういった光景が忘れられず、
大変な思いをされているそうです。
パチンコに行って遊んでいるのではないか、
といったような報道があったそうですが、
それは現実逃避でもあるのです、ともおっしゃっていました。
決してそれを良しとしているわけではない、とも。
その後、地元の方の案内で、
中心地だったところもバスから降りて
案内していただきました。
これまで、バスの中から見てはいましたが、
実際に歩いて回ったのは初めてです。
市役所の屋上に逃げて助かったという方のお話も聞き、
そこでは140人の方がそこで助かり、
でも、市役所の職員は108人も亡くなったこと、
市役所の前にある市民会館は少し市役所より低かったため、
そちらに逃げた方はほとんど亡くなったこと、
などなど、心が締め付けられるようなお話ばかりでした。
図書館、消防署や体育館も近くにあり、
体育館は中まで入ってみましたが、中はまだそのままの状態で、
体育館の真ん中にひっくり返った車が残っていたのが
とても印象に残りました。
奇跡の一本松の近くまでも行きました。
もうダメとは言われながら、
かろうじてまだ立っている状態です。
見上げてみると、思ったよりずっと高い松でした。
結局、午後の作業がなかったため時間に余裕ができ、
歩いて見て回ることができたので、
それはそれでとても貴重な体験となりました。
その後は恒例、気仙沼のプラザホテルでの温泉。
前に行ったときよりも日が長くなったためか、
時間もいつもより早かったためか、
外がまだ明るいうちに温泉に入ったら、
海が見え、景色も存分に楽しむことができて感激。
作業はできなかったけれど、最後の温泉は「ご褒美」です。
買い物もいつもより多めにして、その部分で貢献してきました。
陸前高田のボランティアセンターに着いて、
まずはそこに届いていた(普通なら、作業をしている場所に届く)
お弁当をバスの中でいただきました。
食べ終わったころ、ボラセンの係の方がバスに。
いつもなら、活動する際の注意点を中心に
お話をしてくださいます。
今回は、ご自身の体験談がほとんど。
米崎町で生まれ育った方。
米崎町といえば、初めてボラバスに参加したときに行った場所。
その後も、ひたすら草刈をした、あの場所です。
その方が震災後、地域の方々と瓦礫の片付けや
遺体捜索をしたというお話を伺いました。
直接体験したその方のお話は生々しく、
遺体捜索では、1日に最高7体もの遺体が
見つかったことがあったそうです。
それは、ある意味つらい経験ともなって、
仲間の方たちもその後、そういった光景が忘れられず、
大変な思いをされているそうです。
パチンコに行って遊んでいるのではないか、
といったような報道があったそうですが、
それは現実逃避でもあるのです、ともおっしゃっていました。
決してそれを良しとしているわけではない、とも。
その後、地元の方の案内で、
中心地だったところもバスから降りて
案内していただきました。
これまで、バスの中から見てはいましたが、
実際に歩いて回ったのは初めてです。
市役所の屋上に逃げて助かったという方のお話も聞き、
そこでは140人の方がそこで助かり、
でも、市役所の職員は108人も亡くなったこと、
市役所の前にある市民会館は少し市役所より低かったため、
そちらに逃げた方はほとんど亡くなったこと、
などなど、心が締め付けられるようなお話ばかりでした。
図書館、消防署や体育館も近くにあり、
体育館は中まで入ってみましたが、中はまだそのままの状態で、
体育館の真ん中にひっくり返った車が残っていたのが
とても印象に残りました。
奇跡の一本松の近くまでも行きました。
もうダメとは言われながら、
かろうじてまだ立っている状態です。
見上げてみると、思ったよりずっと高い松でした。
結局、午後の作業がなかったため時間に余裕ができ、
歩いて見て回ることができたので、
それはそれでとても貴重な体験となりました。
その後は恒例、気仙沼のプラザホテルでの温泉。
前に行ったときよりも日が長くなったためか、
時間もいつもより早かったためか、
外がまだ明るいうちに温泉に入ったら、
海が見え、景色も存分に楽しむことができて感激。
作業はできなかったけれど、最後の温泉は「ご褒美」です。
買い物もいつもより多めにして、その部分で貢献してきました。
お~い。気仙沼から突然こんにちは。です。
ボラバスに参加して、帰り道に
気仙沼のプラザホテルで温泉に入ったところです。
で、ホテルのロビーでパソコン発見!
お~~~。
前にも来ているのに、気がつかなかったのです。
こっそり置いてあるから。
さてさて、ボラバス。
過去記事はカテゴリーの「東日本大震災」をご参照。
行きに東北道が雪の影響で通行止めのところがあったらしく、
目的地である陸前高田への到着が大幅に遅れることになりました。
夜行バスで、午後11時30分(実際は午後11時50分)
帝国ホテル前出発、でも、寝ている途中で、
ふと気がつくと、バスが止まっています。
また、ふと起きても、やっぱり止まっています。
反対車線はスイスイ走っているのに。
また寝入ってしまったので、どんな状況だったか、
細かいところは知りませんが、そういうことらしく。
途中、やっと走り始めたところでサービスエリアへ。
案内で、そこがどこか聞いたところ、福島の真ん中あたり。
一関(ここで高速を下りると思っていました。前はそうだったので)まで
まだ2時間半ぐらいかかりますよ、との答え。
ひぇ~、だって、もう朝ですけど。
いつもなら、陸前高田周辺に到着して、コンビニか川の駅で
時間調整でもしているころ。
とにかく、ひたすら北に向かって走ります。
途中、一関まで行かずに高速を下りて、
南三陸町~気仙沼~陸前高田へ。
なんと、現地到着はお昼となってしまいました。
着いたら、バスの中でお弁当が配られ、
まずはランチタイム。
と、ボランティアセンターの方がバスの中で
お話(体験談)をしてくださって、
では気をつけてお帰りください、と。
ん!?
そうなんですよ、今日は足元がぬかるんでいるため、
午前中で活動は終了したんですって!!
あららーーーーー。そんなことってーーー。
あったんです。
活動しないまま、帰途に。
あ、いえ、いろいろ見学できましたが、
それは次回のお話。
ボラバスに参加して、帰り道に
気仙沼のプラザホテルで温泉に入ったところです。
で、ホテルのロビーでパソコン発見!
お~~~。
前にも来ているのに、気がつかなかったのです。
こっそり置いてあるから。
さてさて、ボラバス。
過去記事はカテゴリーの「東日本大震災」をご参照。
行きに東北道が雪の影響で通行止めのところがあったらしく、
目的地である陸前高田への到着が大幅に遅れることになりました。
夜行バスで、午後11時30分(実際は午後11時50分)
帝国ホテル前出発、でも、寝ている途中で、
ふと気がつくと、バスが止まっています。
また、ふと起きても、やっぱり止まっています。
反対車線はスイスイ走っているのに。
また寝入ってしまったので、どんな状況だったか、
細かいところは知りませんが、そういうことらしく。
途中、やっと走り始めたところでサービスエリアへ。
案内で、そこがどこか聞いたところ、福島の真ん中あたり。
一関(ここで高速を下りると思っていました。前はそうだったので)まで
まだ2時間半ぐらいかかりますよ、との答え。
ひぇ~、だって、もう朝ですけど。
いつもなら、陸前高田周辺に到着して、コンビニか川の駅で
時間調整でもしているころ。
とにかく、ひたすら北に向かって走ります。
途中、一関まで行かずに高速を下りて、
南三陸町~気仙沼~陸前高田へ。
なんと、現地到着はお昼となってしまいました。
着いたら、バスの中でお弁当が配られ、
まずはランチタイム。
と、ボランティアセンターの方がバスの中で
お話(体験談)をしてくださって、
では気をつけてお帰りください、と。
ん!?
そうなんですよ、今日は足元がぬかるんでいるため、
午前中で活動は終了したんですって!!
あららーーーーー。そんなことってーーー。
あったんです。
活動しないまま、帰途に。
あ、いえ、いろいろ見学できましたが、
それは次回のお話。
昨日は大船まで行ってきました。
3月から利用できる区民農園(復活!)で
今回はEM(有用微生物群)のチカラを利用して
野菜づくりをしようと考えています。
その準備として、EMジャパンの店まで、
そう、大船までわざわざ行ってきました。
ちょうど野菜もあったので、
ブロッコリーなども買い、
EMの入門セットを購入。
EMりんごまであったのには感激でしたね。
EM活性液を早速、夜遅くになって
ごそごそつくりました。
だって、それを発酵させるのに
冬季は10~14日かかるんですって。
あ~、もっと早くやるべきでした。
それを畑にまいて、1カ月ぐらいしてから
種まきをすることになっているから。
ちょっとすでに出遅れました。
ま、そこはテキトーですからね。
なんとかなるでしょっ。
あ、今週末、今夜ボラバス行ってきます。
また、陸前高田。久しぶり!
3月から利用できる区民農園(復活!)で
今回はEM(有用微生物群)のチカラを利用して
野菜づくりをしようと考えています。
その準備として、EMジャパンの店まで、
そう、大船までわざわざ行ってきました。
ちょうど野菜もあったので、
ブロッコリーなども買い、
EMの入門セットを購入。
EMりんごまであったのには感激でしたね。
EM活性液を早速、夜遅くになって
ごそごそつくりました。
だって、それを発酵させるのに
冬季は10~14日かかるんですって。
あ~、もっと早くやるべきでした。
それを畑にまいて、1カ月ぐらいしてから
種まきをすることになっているから。
ちょっとすでに出遅れました。
ま、そこはテキトーですからね。
なんとかなるでしょっ。
あ、今週末、今夜ボラバス行ってきます。
また、陸前高田。久しぶり!
今日から3月。
昨日の雪景色から打って変わって、
突然春がやって来た感じ。
そう、春にはカウチサーフィンです。
基本的に夏と冬はやらない(受け入れをしない)ことにしています。
夏は仕事が忙しいから。エアコンもないから。
夏に日本へ来る人はヨーロッパの人が多く、
湿気の多い日本で、エアコンなしの部屋ではかわいそうです。
冬は暖房を使わないから。寒くて観光気分でもないから。
プロフィールには、ほかの月でも
交渉可とは書いてあります。
なので、リクエストは来ます。
実際、このところ立て続けに来ています。
中旬に来るドイツ人は決定。
その直前のスケジュールで、これまたドイツ人が
リクエストを出してきました。
これはまだ保留。相手の返事待ちといったところです。
ドイツ人づいているわ~と思っていたら、
今度はフランス人からリクエスト。
プロフィールは見てくれているので、
ダメもとで、といった感じで様子をうかがってきます。
今度のリクエストは、もろ平日。
平日だと、朝早くに家を一緒に出て、
帰りも私の帰り時間に合わせてどこかで待ち合わせ。
なにかと不便なことが多くなります。
いずれの場合も、こちらの状況(条件)を伝え、
それで良ければ泊まってもいいですよ~
というパターンにしています。
ただし、平日ばかりだと、せっかくご近所を
のんびり案内したいのにそれができなくて、
それはそれでちょっと複雑な思いです。
まあ、フランス人も状況を説明したうえでの返事待ち。
春って楽しいですね。
昨日の雪景色から打って変わって、
突然春がやって来た感じ。
そう、春にはカウチサーフィンです。
基本的に夏と冬はやらない(受け入れをしない)ことにしています。
夏は仕事が忙しいから。エアコンもないから。
夏に日本へ来る人はヨーロッパの人が多く、
湿気の多い日本で、エアコンなしの部屋ではかわいそうです。
冬は暖房を使わないから。寒くて観光気分でもないから。
プロフィールには、ほかの月でも
交渉可とは書いてあります。
なので、リクエストは来ます。
実際、このところ立て続けに来ています。
中旬に来るドイツ人は決定。
その直前のスケジュールで、これまたドイツ人が
リクエストを出してきました。
これはまだ保留。相手の返事待ちといったところです。
ドイツ人づいているわ~と思っていたら、
今度はフランス人からリクエスト。
プロフィールは見てくれているので、
ダメもとで、といった感じで様子をうかがってきます。
今度のリクエストは、もろ平日。
平日だと、朝早くに家を一緒に出て、
帰りも私の帰り時間に合わせてどこかで待ち合わせ。
なにかと不便なことが多くなります。
いずれの場合も、こちらの状況(条件)を伝え、
それで良ければ泊まってもいいですよ~
というパターンにしています。
ただし、平日ばかりだと、せっかくご近所を
のんびり案内したいのにそれができなくて、
それはそれでちょっと複雑な思いです。
まあ、フランス人も状況を説明したうえでの返事待ち。
春って楽しいですね。