久しぶりに 風の音 をきく。
朝、車で通勤、職場、家でも一日中窓をあけることもなく、
密閉空間の中で生きていることを知る。
訪ねたのは、京都の金地院。
当たり前のことだが、目に見えぬ風の存在を知るためには
木々が必要である。
木の香りが芳しい寺院にて
枝や葉の不規則な揺れを見ながら
我が日常に 自然を見つめる機会がないことを思い知らされる。
目前に拡がる 枯山水の庭園。
音のない静寂の世界に身をゆだねる。
時折、鳥の声だけがきこえる。
東照宮に続く小道に咲く紫陽花(あじさい)。
紫陽花に 小さなカタツムリ を見つけた。
(カタツムリを見たのは何年ぶりだろう・・・)
自然の中には生き物がいた。
その小さなうずまき模様 を しばし愛でる。
その間、ずっと水のせせらぎが心地よく響く石畳の小道。
風の音(ね)、木の音(ね)、水の音(ね)。
ここでは急がなくていい、追い立てられることもない。
たまには こうして 立ち止まるのもいい。
立ち止まるからこそ感じる 悠久の時。
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