自殺寸前、もしも私が刑事だったら?
ここはひとつ「国のおっかさん」でも出すか?!
いや、今の私だったら・・・
「ちょっと待った!」
「・・・・・」
君は、自分できちんとご飯を食べることができるだろう。
ようやくの思いでスプーンですくえ、大きく口をあけ待ち構えていたのに、
残念ながら口に入らず床の上に落ちてしまうなんてことがあるかい?
器用にお箸をも使いこなせるだろう。
君は、自分で用を足せるよな。
事前に尿意を察知し、たとえ我慢せざるを得ない状況があっても、
一駅、二駅は持ちこたえることができるだろう。
電車の中でも黙って座っていられるだろう。
寒いと思えば服を着、暑いと思えば脱げる。
調整、できるんだ。
君は、朝起きて母親の姿が見えないだけで泣くことはあるかい?
たとえお母さんがおトイレに行ったとしても、
しばらくすると戻ってくることくらいわかっているだろう。
予測、できるんだよ。
見えなくても、いることが、あることが、わかるんだよ。
今のこの状況が今後も続くとは限らない。
永遠に不変なんてものがあるだろうか・・・
ずっと変わらないことの方が難しい世の中だ。
だから、そう思い込むのも決め付けるのも、まだ早いんじゃないかな。
自分の足で立ち、歩き、言葉を獲得し、時間の感覚がある。
「ちょっと待っていてね」この意味がわかるだろう。
これは、すごいことなんだよ。
私の息子はまだわからない。
君にもう一度言うよ。
「ちょっと待った!」
私は今、町ゆく人を見て思うんだ。
あなたも、あなたも、あなたも、
生活習慣を身につけ、社会のルールに則って行動している。
みんな、すごいねって思うんだ。
何より、言葉で自分の思いを伝えることができる。
ここまで無事に生きてきて、そんなにできることがたくさん増えたのに・・・
もったいない。
生きている価値がないなんてほんととんだ誤解だよ。
これだけ言ってもまだ・・・
じゃあ、最後にひとつ、私が君の国のおっかさんだとしたら、
君が、生きている。
それだけで、他に何もいらないんだけど。
壮年期の方の自殺が増えているらしい。
孫を抱けるのは、子育てをしたご褒美かもしれないねと
主人が話していた。
ほんとそう思う。
その一歩、踏み切る前に孫が生まれるまでちょっと待ってはもらえないだろうか?
切に願います。
※コメントに返信した後に。
そういえば・・・昔もいのちについて書いたことがあるような。
2005年2月、第17話「消えない匂い」。
私、こんなこと言ってる・・・懐かしく読み返しました。
ついでに、第18話「善哉」も第185話に関連しているでしょうか。
どうでしょうか?
その時から 「自分は50歳までしか生きられないだろう」と言っていました。
が…しかし、60歳を迎えて「思っていたより長生き出来て、私はいつ死んでもいいわ」と言っていました。
が…しかし、70歳を迎えて初孫を抱いてからは「孫が20歳になるまで一緒にいたいので、頑張って90歳までは生きてたい」と言っております。
孫の力ってすごい!!
自殺する方に私も一言。
今の自分になるまで、どれだけの人がどれだけ時間を費やし、どれだけの動植物が君に食べられ君に生まれ変ったのだろう。自殺することで、一瞬にして全てが無駄になってしまうのに…。
逆説的ですが。
「自殺することが勝利である」と考えている人もいますね。こういう方の自殺はなかなか防げません。
うつ病で自殺される方もいますね。病気による希死念慮は、根性論・人情論ではどうにもならないのでお医者さんのところへ行かれた方がいいですね。
自殺未遂で留めるつもりが、成功してしまい「自殺」になってしまうことがありますね。とても残念なことです。
自殺にも色々ありますね。
私は、自殺をしようとしている人の周りにいる人に言いたい。
自殺しようとする「行為」を肯定することはできなくても、自殺しようとする「想い・気持ち」はどうか否定しないであげてもらいたいと思います。
どうか どうか・・・
久しぶりに覗いたら、話題が 動物園→自殺 と全く相反するものでしたので、思わずコメントしてしまいました。雨以来めっきり寒くなりました。どうか風邪など引かれませんよう・・・
この第185話を書いた時、どう人に受け入れられるのか
とても心配でした。
母になり、我が子を抱きながら「いのち」の重さを感じています。
ほんと(笑)無駄にする動植物の数々・・・
たくさんの犠牲を払い、人が育っていくこと。
走る車に向かって歩いていく・・・好奇心のみ、危険を顧みない行動。
誰かが目を離さず、その手を握りしめていたからこそ、
これまで生きてこれたのだと。
やがて、いのちをはぐくみ見守る身となり、
どうしてもちょっと待って欲しくなって書きました。
私が子供を授かった時、嬉しかったのが、
主人の両親の生きる希望になる! ことでした。
いのちは希望だと思うから。
誰しも母の身から生まれる身、
母の思いを今少し伝えたかったのです。
バッタ様の賛同と共感を得れたこと、
勇気を出して、訴えてみてよかったなと嬉しく思います。
ありがとう。
孫の成長を見るために、もっともっと生きたい
お父様、お母様にはどんどん欲張って欲しいと思っています。
とても心配でした。
自殺という言葉を書くこと自体、その重さにはばかれましたし。
確かに色々な思想をお持ちの方がいて、
うつ病の方へかける言葉の難しさを間接的にも経験したことがある身ですが、
刑事でもなければ、精神科医でもカウンセラーでもない私です。
書きながら、俺の何がわかるっていうだ?
何を甘いことを言っているんだ?という声をききながら、
万人でなくとも一人でも私の声が届く闇の中にいる方がいたなら、
その方に届くのならと書きました。
その方に響く言葉でかけないのが残念ですが。
人は100%、確実にいずれ死にます。
「どうせ」ではなく、「だから」と希望を持っていただきたいと。
気持ちに訴えかけることが、さらに誰かを苦しめることに
なったとしても、ちょっと待って欲しいと
何もかけない無関心より、何か一言かける関心を選びました。
誰も傷つけないブログをかけないことを承知で、
一人に届く言葉があれば・・・
ここはそんなブログになっているでしょうか?
ほんと寒さ厳しくなってまいりました。
気持ちがあたたかくなるお話がかければと
いつも願っているのですが・・・。