CB250エクスポート

CBのファーストデリバリー車の詳細を紹介します。

CB250エクスポート 市道の部分に説明を追加する

2011-02-28 17:52:19 | 歴史


今朝の記事の中の「市道」が、説明不足なので補足する。
写真のような道は、もしかしたら昭和30年当時は、まだ市道には
なっていなかったかも知れない、と言うことを補足する。
今は集落を通る道は、道幅が少し広げられ、舗装されて市道に昇
格したのだろう。だから「市道になる前の道」ということにする。

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CB250エクスポート アイスキャンデー屋さんの自転車が走った道の詳細

2011-02-28 09:19:55 | 歴史


この自転車のポテンシャルは、オフロードバイクに匹敵するものがある。
そして、ライダーのレベルもマウンテンバイクチャンピオンを完全にしのいでいる。
箱の自重は12~3キロ有る。さらに氷とキャンデーで12~3キロで合計25キロ
を超えている。
昭和30年1955年当時は、国道でもまだ未舗装路が多かった。
舞台は国道ではなく、県道と市道(市道が存在したかは不明)が主だ。
どちらの道もバス通りは、道路管理者がいて、穴ぼこや出っ張りを、ならしていたが
それでもテニスボールぐらいの石は、いっぱい有った。
市道の管理は地域の住人にまかされていた。市は4~5トンのボンネットトラックを
ドライバー付きで貸し出し、住人が河原でジャリを積み込んで、道の穴ぼこを補修
した。そのためにジャリの選別が面倒なので、グレープフルーツぐらいの石がごろ
ごろしていた。この石で4輪のオイルパンやデフを割った人がかなりいた。
バス通りの道以外の主役は、トラックではなくて馬車だった。道幅は市のトラックが
やっと通れる幅があるが、両側から草が張り出してきて、馬のひづめと馬車のタイ
ヤとの間に、2本の草の線が続いていた。

この写真に、草の線を1本足して、グレープフルーツから、みかん大の石を
一面にばら撒けば、当時の道がほぼ完成するはずだ。
キャンデー屋さんが鳴らす鐘の音は、規則正しく鳴り響いていたのを覚えている。
ということは、ジャリの浮いた道を、片手で運転していたことになる。
箱の重みで荷台が振れて、もろにハンドルを揺らすのに片手で耐え、ペダルをこぐ。
しかも、下駄でだよ。まいったでしょ。

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