前回の記事は3時に起きて、耐久レースに行ったものだから、眠くてどうしよう
なくて中断してしまいました。失礼しました。
前回のつづき。 金谷ホテルの従業員の「食べられるよ」と「高級だよ」から、
「高い菜っ葉」→「高菜」→「たかな」となったと推測する。
明治43年生まれの父が、子供のころから食べていて、「たかな」と呼んでいた。
と言っていた。
当地ではどのように食べているかと言うと、胡麻和え、おひたし、味噌汁の具、
てんぷら、と完全な和食だ。生では一切食べていない。
てんぷらはあまり好きではない。と言うよりかなり難しい。すぐにビショビショに
なってしまうのだ。
と言う訳で、アメリカ大使→ウインチェスター92→鹿猟→金谷ホテル→大谷川
に繁殖→従業員の情報→日光地区で「たかな」と名付けられ山菜として定着。
という過程を推測した。
次回は2輪耐久レースの、簡易燃料残量計の発明を公表します。かなり精密で
すよ。お楽しみに。