こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

三重県通過! 1.

2008-04-06 06:06:01 | 

 先月、同じ場所を通過中私は 異様なものを目にして沈黙の後大笑いしてしまい

ました。その時はカメラを構えるまもなく通り過ぎましたが気になって気になって

その後、帰路では夜になっていたので写真を撮ることも忘れていました。

 今回は この場所を心待ちにしていましたが車が連なりシャッターが上手く下り

ず、何の写真かわかりません。左端の 床屋さんの椅子に座った子供の人形と、

本当ならその左に立つ 得体の知れない人物、というか人形を撮影したかったのだ

ピエロのような、一瞬で通り過ぎるのではっきり見たわけではないけど釘付けにす

る これも一種の宣伝?看板?   子供はパーマのカーラーを巻いている様にも

見えます。ちゃんと 理髪店のエプロンも着けています。国道脇に現れたなんとも

奇抜なモノでした。雨の日も風の日もこの少年はここに座らされて、じっと国道を

見ているのですね・・・胸が痛みます。


 たぶん、この滝は「清滝」と言う名ではないかと思います。地図には滝の名が

書いてないので・・。国道から見えますが那智の滝のようには大きくありません。

わき見運転してしまいそうですが・・。熊野市の手前だと思います。地図というの

は、
 このルートマップ。前回 紀宝町の道の駅でもらった熊野古道と伊勢路の簡単地

図、メーンはハイキングコースですが史跡とそれぞれの区間距離とたくさんある峠

の高低差の目安を書いています。平安期に始まった熊野詣の道は、京から紀伊半島

を西回りする紀路(大辺路・中辺路)、伊勢から東回りする伊勢路(東熊野道)、

吉野から半島中央部を南下する大峯道など、幾筋かのルートが開かれたが、代表的

なのが紀伊路と伊勢路である・・・と裏表紙に書かれています。なになに、紀伊路

は、京の法皇や上皇らが平安から鎌倉期にかけて盛んに詣でた御幸ルートで、道筋

には熊野権現の末社として九十九王子社が祀られていた・・・やがて戦乱の世を迎

えると、御幸は衰退しはじめ、かわって東国の武士や庶民の間で、伊勢参りを済ま

せてから西国三十三所を巡る巡礼の旅が流行する・・・とあります。


 尾鷲市の馬越峠の道の駅でみつけた『種まき権兵衛の里』というイラストは

国道沿いにあちこち見られる。国道脇の山壁にもその話がレリーフのようにして

並んでいる。いっそのことあらすじを走る車からも読めるように書いていてくれれ

ば、大助かりなんだけど。♪ゴンベが種まきゃ、カラスがほじくる・・・みたいな

話かしら??なんと、どうやら実在したような人物です。それも武士出身の。

種まき権兵衛  昔の話だから写真はないけど

でも「クレヨンしんちゃん」風の眉毛だな。眉毛だけでなく 目の書き方、口の

開き具合、どうみてもしんちゃんだ!
コメント (3)
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