先週休耕田を草刈り機で刈りました。前回、刈ったのはまだポカリも喉に心地よく感じ
られた初秋でしたか、冬にむかって雑草も伸びる勢いが落ちるので、このぶんなら来春
までは刈らずにすみそうな気がします。そんな私が気になってしかたなかったのが、
他人に貸しているたんぼ。これまで幾度もこのブログに書いてきた私が勝手に≪わけわ
からん人々≫と呼ぶ、人達のたんぼ。もうたいがいにして貸すのをやめたらいいと思う
んだけど、おばあちゃん(おじいちゃんはもう興味ないみたいなので、私に反対す
るのはおばあちゃんだけ)が 「草が茂ってくる」「刈るのはしんどい」とか赤の他人
を擁護するような言い方をするのが私的にはすごく 腹が立つのだけど。たしかに
茂ったたんぼの草を年に何度も刈るのはしんどい。荒れ地にすればいいけど、まだ
周辺には民家もあり人も生活をしているから、雑草を生やし放題にして、秋になって
種を飛ばし放題にするのはとても申し訳ないと思う。でももう持ち主も他界し、手つか
ずで何年も生えては枯れ、春にまた生えて・・を繰り返している田畑や 歳をとり体が
不自由で子供たちも帰省しても刈らないとかいう家はたくさんある。私も今はなんとか
刈ることができても、いつまで続くかはわからない。その時はそのときで、いまはとに
かく見知らぬ人に貸しているということが、とても怖いのだ。返してくれないかもしれ
ないし、素性が判らない多くの人々が乗りこんできそうな気がする。変な宗教や、尼崎
の事件みたいな連中だったら・・・怖いやん。人助けで貸すという時代ではないと思う
一年ごとの契約書を交わしてはいるけど、それも不安になってくるのだ、この人々の
農業に対する考え方みたいな・・・。農林業に携わる人が極度に減少している事実と、
その土地に生まれ育っていない、都会育ちの人々が「土に触れあいたい」「ものを作り
育てたい」といきなりやって来て、根を下ろしはじめている。その土地の成り立ちや
人間関係は、その人々にとって必要な時にだけ関わり、それ以外は土地の者より、
むしろ同じような集団の他府県人でつながっている。こんな田舎の周りがたんぼと山
のところで、顔見知りでない人間が集団で立っていたら怖いで~。都会の雑踏だと
知らない人ばかりでもその恐怖感はさほどない。それくらい 田舎でいると隣近所の
顔見知りに安心感を持って生活をしているか・・・。そのなかに言葉の解からない外国
人も入っていたら、それこそたまりません。私はだから、こんな≪わけわからん人々≫
と手を切りたい。あからさまに態度で嫌っているのが、わからんのかぁ!と思うんだけ
どね。鈍感というのか意に介せず人種だと思う。その鈍感さかわからなけど、この
人々は片付けるということも苦手みたいです。片付けるだけでなく、このようなこと
は農業をしている人はしない・・ということが分からないんです。いくら自分が持って
いるたんぼでないからでも、というか人から借りたら「借りた物」を粗末に扱ったり
しないのが殆どの日本人でしょう。マンションでも借りたら 汚さないようにして
返すように心掛ける(昔はそうだったけど最近は借主の権利が強い)のが まだまだ
田舎のよさでもあります。向こうは「貸してもらって作ってあげてる」みたいな捉え方
かもしれないけど、あんなふうにシカやらイノシシのエサ場のようにされたらねぇ、
「作る気、あんのかよ!」と私はいつも横を通りながらつぶやくのだ。ここまで収穫
できないなら、とっとと失敗した稲を刈ってしまえよとも思う。秋風が吹くどころか
木枯らし一号が吹いてからも、一応のケモノ除けに張ったネットを片付けないままで
一体このまま、どうするのかと思っていたら、やっと、やっと片付けにやってきていた
借りたいと言ってきた時は、「二人で作るから」と言っておきながら、そのどちらもが
相手任せの様子で、「あんたら≪田植え≫というパフォーマンスだけしたいんじゃない
の?」、仲間だけは連れて来るんだけど、水の管理も適当みたい。完全無農薬という
言葉通りで、虫がつく前にシカに入られイノシシに尿をかけられ、穂先の実がすき取ら
れたら、もうたんぼには目もくれずに車で通り過ぎる。タダで借りてるから「今年、
収穫できなくてもべつにたんぼはタダやし~。私達はなにも困らない」みたいな根性
かよ!!で、まぁやっと片付けたネット、どうにもうまく結び目がほどけなかったので
両端を刃物でカットして、その切れ端を私の刈ろうとしたたんぼに捨てていたり、
ネットも切って外したのか切れ端も捨てている。前は針金もこげのグランドに投げ入れ
てたり、勝手にメッシュ網を外して出入りしたり・・・こんなことするから都会では
住めないから田舎の誰も知らない人ばかりの中にやってくるのかもしれない。都会で
暮らせんから田舎でか!って田舎のマナーも守れない人達。

飲み終わったペットボトルもそのままで、なにが無農薬野菜だ、環境破壊やろ。と思う
そうそう農機具の管理もどうでもいいみたい。みるからにもう、錆つきツタもからまる
耕運機を畔に放置したまま。もしかしたらここに捨てたんじゃないかと思われるそんな
心配をしていたら、次に運び込んできたのが稲刈り機。これも雨ざらしで、たんぼに
降りるためのアブミもその横に置きっぱなし。農業を始めるわりに農機具小屋や納屋を
持つことはダサイ?それか、もうそこにはありとあらゆる農機具が所狭しとなっている
のか?・・・・噂じゃ、このような同種の人々は農機具をたらい回しの要領で、次の人
へとわたっていくと聞いたぞ。壊れたら、適当にその辺に捨て置くのか?だらしない人
よのぅ~。同じような人々が、一台の機械を順番に使いながら・・というのは、その
機械は同じような人々がお金を出し合って購入したのか?誰の持ち物でもないから、
自分の順番になって壊れたら放置する仕組み?国も県もJAも高齢化で放置された農地を
新しく農業を、林業を始めたい人に貸し出す、譲るとかなんとか誘致しようとしている
けど、それがどのような結果になるのか。たしかに全国でも土地の人とうまくやってい
ったケースもあるだろうし、『鉄腕ダッシュ』のような番組で、自分も何か農業を
やってみようと思う人もいるだろうけど、その失敗は誰が責任をとるんだろろうか?

後方の稲刈り機、翌日の雨に備えてシートがかけられた
この写真の右に写っているたんぼ、収穫後に切り株から生えた稲ではなく収穫できずに
そのまま放置した稲。この状態と 休耕田とどう違うんですか?手前の石のそばに
落ちている黒い紐も、持ち帰らずにこのまま。ゴミは手にしたくない人々のようだ。

人々の親玉は 今年はうまく収穫できた
でもこのたんぼも、ケモノ除けネットをなが~い間、放置したまんま。農業は、一種の
レクレーションか?この人々にとっては。
私はせめて、稲刈り機放置のたんぼは来年は貸さないでおこうと言うのだけど、
おばあちゃんは頑として譲りません。「いい人に思われたい」と思ってるのかもしれま
せん。こんな人々にそんな見栄を張ってどうすんのよと思うんだけど、勝気な性分で
困ったなぁ
られた初秋でしたか、冬にむかって雑草も伸びる勢いが落ちるので、このぶんなら来春
までは刈らずにすみそうな気がします。そんな私が気になってしかたなかったのが、
他人に貸しているたんぼ。これまで幾度もこのブログに書いてきた私が勝手に≪わけわ
からん人々≫と呼ぶ、人達のたんぼ。もうたいがいにして貸すのをやめたらいいと思う
んだけど、おばあちゃん(おじいちゃんはもう興味ないみたいなので、私に反対す
るのはおばあちゃんだけ)が 「草が茂ってくる」「刈るのはしんどい」とか赤の他人
を擁護するような言い方をするのが私的にはすごく 腹が立つのだけど。たしかに
茂ったたんぼの草を年に何度も刈るのはしんどい。荒れ地にすればいいけど、まだ
周辺には民家もあり人も生活をしているから、雑草を生やし放題にして、秋になって
種を飛ばし放題にするのはとても申し訳ないと思う。でももう持ち主も他界し、手つか
ずで何年も生えては枯れ、春にまた生えて・・を繰り返している田畑や 歳をとり体が
不自由で子供たちも帰省しても刈らないとかいう家はたくさんある。私も今はなんとか
刈ることができても、いつまで続くかはわからない。その時はそのときで、いまはとに
かく見知らぬ人に貸しているということが、とても怖いのだ。返してくれないかもしれ
ないし、素性が判らない多くの人々が乗りこんできそうな気がする。変な宗教や、尼崎
の事件みたいな連中だったら・・・怖いやん。人助けで貸すという時代ではないと思う
一年ごとの契約書を交わしてはいるけど、それも不安になってくるのだ、この人々の
農業に対する考え方みたいな・・・。農林業に携わる人が極度に減少している事実と、
その土地に生まれ育っていない、都会育ちの人々が「土に触れあいたい」「ものを作り
育てたい」といきなりやって来て、根を下ろしはじめている。その土地の成り立ちや
人間関係は、その人々にとって必要な時にだけ関わり、それ以外は土地の者より、
むしろ同じような集団の他府県人でつながっている。こんな田舎の周りがたんぼと山
のところで、顔見知りでない人間が集団で立っていたら怖いで~。都会の雑踏だと
知らない人ばかりでもその恐怖感はさほどない。それくらい 田舎でいると隣近所の
顔見知りに安心感を持って生活をしているか・・・。そのなかに言葉の解からない外国
人も入っていたら、それこそたまりません。私はだから、こんな≪わけわからん人々≫
と手を切りたい。あからさまに態度で嫌っているのが、わからんのかぁ!と思うんだけ
どね。鈍感というのか意に介せず人種だと思う。その鈍感さかわからなけど、この
人々は片付けるということも苦手みたいです。片付けるだけでなく、このようなこと
は農業をしている人はしない・・ということが分からないんです。いくら自分が持って
いるたんぼでないからでも、というか人から借りたら「借りた物」を粗末に扱ったり
しないのが殆どの日本人でしょう。マンションでも借りたら 汚さないようにして
返すように心掛ける(昔はそうだったけど最近は借主の権利が強い)のが まだまだ
田舎のよさでもあります。向こうは「貸してもらって作ってあげてる」みたいな捉え方
かもしれないけど、あんなふうにシカやらイノシシのエサ場のようにされたらねぇ、
「作る気、あんのかよ!」と私はいつも横を通りながらつぶやくのだ。ここまで収穫
できないなら、とっとと失敗した稲を刈ってしまえよとも思う。秋風が吹くどころか
木枯らし一号が吹いてからも、一応のケモノ除けに張ったネットを片付けないままで
一体このまま、どうするのかと思っていたら、やっと、やっと片付けにやってきていた
借りたいと言ってきた時は、「二人で作るから」と言っておきながら、そのどちらもが
相手任せの様子で、「あんたら≪田植え≫というパフォーマンスだけしたいんじゃない
の?」、仲間だけは連れて来るんだけど、水の管理も適当みたい。完全無農薬という
言葉通りで、虫がつく前にシカに入られイノシシに尿をかけられ、穂先の実がすき取ら
れたら、もうたんぼには目もくれずに車で通り過ぎる。タダで借りてるから「今年、
収穫できなくてもべつにたんぼはタダやし~。私達はなにも困らない」みたいな根性
かよ!!で、まぁやっと片付けたネット、どうにもうまく結び目がほどけなかったので
両端を刃物でカットして、その切れ端を私の刈ろうとしたたんぼに捨てていたり、
ネットも切って外したのか切れ端も捨てている。前は針金もこげのグランドに投げ入れ
てたり、勝手にメッシュ網を外して出入りしたり・・・こんなことするから都会では
住めないから田舎の誰も知らない人ばかりの中にやってくるのかもしれない。都会で
暮らせんから田舎でか!って田舎のマナーも守れない人達。

飲み終わったペットボトルもそのままで、なにが無農薬野菜だ、環境破壊やろ。と思う
そうそう農機具の管理もどうでもいいみたい。みるからにもう、錆つきツタもからまる
耕運機を畔に放置したまま。もしかしたらここに捨てたんじゃないかと思われるそんな
心配をしていたら、次に運び込んできたのが稲刈り機。これも雨ざらしで、たんぼに
降りるためのアブミもその横に置きっぱなし。農業を始めるわりに農機具小屋や納屋を
持つことはダサイ?それか、もうそこにはありとあらゆる農機具が所狭しとなっている
のか?・・・・噂じゃ、このような同種の人々は農機具をたらい回しの要領で、次の人
へとわたっていくと聞いたぞ。壊れたら、適当にその辺に捨て置くのか?だらしない人
よのぅ~。同じような人々が、一台の機械を順番に使いながら・・というのは、その
機械は同じような人々がお金を出し合って購入したのか?誰の持ち物でもないから、
自分の順番になって壊れたら放置する仕組み?国も県もJAも高齢化で放置された農地を
新しく農業を、林業を始めたい人に貸し出す、譲るとかなんとか誘致しようとしている
けど、それがどのような結果になるのか。たしかに全国でも土地の人とうまくやってい
ったケースもあるだろうし、『鉄腕ダッシュ』のような番組で、自分も何か農業を
やってみようと思う人もいるだろうけど、その失敗は誰が責任をとるんだろろうか?

後方の稲刈り機、翌日の雨に備えてシートがかけられた
この写真の右に写っているたんぼ、収穫後に切り株から生えた稲ではなく収穫できずに
そのまま放置した稲。この状態と 休耕田とどう違うんですか?手前の石のそばに
落ちている黒い紐も、持ち帰らずにこのまま。ゴミは手にしたくない人々のようだ。

人々の親玉は 今年はうまく収穫できた
でもこのたんぼも、ケモノ除けネットをなが~い間、放置したまんま。農業は、一種の
レクレーションか?この人々にとっては。
私はせめて、稲刈り機放置のたんぼは来年は貸さないでおこうと言うのだけど、
おばあちゃんは頑として譲りません。「いい人に思われたい」と思ってるのかもしれま
せん。こんな人々にそんな見栄を張ってどうすんのよと思うんだけど、勝気な性分で
困ったなぁ