子育て四訓
一、乳児はしっかり肌を離すな
一、幼児は肌を離せ手を離すな
一、少年は手を離せ目を離すな
一、青年は目を離せ心を離すな
子育てをしていると、いろんなことを考える。あまりにもいろんな育児書があり、いろんなことをいうひとがいて…。
一、乳児はしっかり肌を離すな
一、幼児は肌を離せ手を離すな
一、少年は手を離せ目を離すな
一、青年は目を離せ心を離すな
子育てをしていると、いろんなことを考える。あまりにもいろんな育児書があり、いろんなことをいうひとがいて…。
ふっとわからなくなる瞬間がある、
そんな時
思い出す言葉達。子育て四訓。
子どもの成長段階に比例して、少しずつ距離を離してゆく。
そんな親としてのスタンス、あるべき姿を分かりやすく教えてくれる訓示。
この「子育て四訓」は、山口県下に住むとある教育者の方(氏名は不明だそう)が、長年の教育経験を踏まえて「日本時事評論」にまとめたものだそう。
短いけれどわかりやすくて深い。
言うは易し行うは難しだなぁとも思う。
今の娘は、「手を離し目を離してはいけない」段階なのだと改めて自分に問い直す。
お姉ちゃんに対して、余計に手を出し過ぎていないか。口を出し過ぎていないか。しっかり見守れているか。
妹さんに対して、きちんと手をつなげているか、肌を離せているか。
考えるきっかけをくれる。
そんな言葉達。
忘れないようにしたい。
誰かが書いていたけれど、この教訓を逆にしてみるとわかりやすい悪い例になるんだそうだ。そうした見方もしていかなければ。
自らが、いつのまにかそうなっていないか気をつけなければね。
以下、日本時事評論よりの抜粋です。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
■「乳児はしっかり肌を離すな」
胎児期には、文字通り母子はヘソの緒で繋がり、羊水の中で守られている。
それが、出生によって赤ちゃんは外界にさらされ、不安になる。
その心の安定を保つためにも、しっかりと肌と肌を触れ合わせることが大切だ。
サルの子育てで言えば「抱いてちょうだい」の時期である。
とりわけ、人間は、他のほ乳類と違って、生まれて一年間はほとんど受け身の状態である。
二足歩行ができるまでは、〝母親の胸は子宮の延長〟であり、しっかりと抱かれることによって、赤ちゃんは「守られている」「かわいがられている」と無意識のうちに感じ信頼し安心するのである。
それが、愛情や信頼、情緒的安定、他人を思いやる心など、人間形成の基盤になる。
であればこそ、乳児期の親子の接触は、社会的にも支援・応援していく必要がある。
とりわけ、母乳育児の奨励支援は、親子のよりよき関係づくりには極めて重要と言える。
■「幼児は肌を離せ手を離すな」
幼児は乳離れをするが、一気に離すのではなく、常に親がそばにいることで、「心配しなくても良いよ」という安心感を与えることが大切だ。
サルの子育てで言えば「下ろしてちょうだい」の時期だ。
ちょっと周囲への関心やいろんなものに目が向いていき、自立させるための第一段階だ。
自立に目覚める幼児期は、完全な保護から社会に向いて一歩踏み出す時期といえる。
最近では、「子供の自立」と称して、実際には、親が子育てを放棄する口実に使われていることが多い。
子供を施設に預けっぱなしにするなど、自分で産んだ子供との絆を切りたがる傾向さえ見受けられる。
あるテレビのインタビューで、「子供へ愛着がわかない内に預けた方が良い」と零歳児保育に預ける理由を語っていた母親がいたが何をか言わんやである。
昨今、子育ては苦痛なもの、苦しみを伴うものという感覚を植え付けすぎ、安易に生きることが奨励されすぎてはいないだろうか。
本当の生きる喜びとは、親子の絆を大切にし、温かい家庭をつくり、その延長として健全な社会を形成していく、そうした家庭の社会的な意義についても力説すべきである。
■「少年は手を離せ目を離すな」
少年は、友達との付き合いによって社会性が育つ時なので、ここではしっかり手を離して、活動範囲を広げてやらないといけない。
ただし、いろんな危険があるので、目を離してはいけない。
猿の子育てでいえば「一人にしてちょうだい」という時期であり、親猿はこの時期、遠くから小猿を見守り、子供が何かで声を上げるとすっ飛んでいく。
人間も、学ぶところが多いのではないだろうか。
この時期、子供が親に反抗したり、非行や問題行動に走ったり、いろんなことで苦しい思いをするかもしれない。
しかし、それは成長の過程である。
親として逃げずに、子供に向き合って、共に成長することを心掛けるべきだ。
子供の荒れの背景には、親や友人に「こちらを向いて欲しい」というメッセージであることが多いのである。
■「青年は目を離せ心を離すな」
青年期にまでなると、完全に自立していくために、自分なりの生き甲斐、進路を歩んでいく時であるが、気持ちの上では、心を離してはいけないということである。
いずれにしても、子育ての最終的な責任は親にあるという基本を忘れてはならないのである。
◇ ◇ ◇
「大人も子供も同等だ」「子供の人権を尊重すべき」といった主張があるが、本来、大人と子供は異質なものである。
子供が自覚しないままとっている行動の意味を、親が理解して対処しなければならないという場面は、子育て中には多々あるものである。
それを「平等だ」と突き放してしまったところに、子供たちが荒れたり切れたりする要因があるように思えてならない。
もちろん子育ては「四訓」の言葉だけで、言い尽くせるものではない。
しかし、自分の子育てを振り返る、あるいは自信を持つヒントにしてほしい。
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日本時事評論 第1609号(H18.6.2)より転載しました
以下、日本時事評論よりの抜粋です。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
■「乳児はしっかり肌を離すな」
胎児期には、文字通り母子はヘソの緒で繋がり、羊水の中で守られている。
それが、出生によって赤ちゃんは外界にさらされ、不安になる。
その心の安定を保つためにも、しっかりと肌と肌を触れ合わせることが大切だ。
サルの子育てで言えば「抱いてちょうだい」の時期である。
とりわけ、人間は、他のほ乳類と違って、生まれて一年間はほとんど受け身の状態である。
二足歩行ができるまでは、〝母親の胸は子宮の延長〟であり、しっかりと抱かれることによって、赤ちゃんは「守られている」「かわいがられている」と無意識のうちに感じ信頼し安心するのである。
それが、愛情や信頼、情緒的安定、他人を思いやる心など、人間形成の基盤になる。
であればこそ、乳児期の親子の接触は、社会的にも支援・応援していく必要がある。
とりわけ、母乳育児の奨励支援は、親子のよりよき関係づくりには極めて重要と言える。
■「幼児は肌を離せ手を離すな」
幼児は乳離れをするが、一気に離すのではなく、常に親がそばにいることで、「心配しなくても良いよ」という安心感を与えることが大切だ。
サルの子育てで言えば「下ろしてちょうだい」の時期だ。
ちょっと周囲への関心やいろんなものに目が向いていき、自立させるための第一段階だ。
自立に目覚める幼児期は、完全な保護から社会に向いて一歩踏み出す時期といえる。
最近では、「子供の自立」と称して、実際には、親が子育てを放棄する口実に使われていることが多い。
子供を施設に預けっぱなしにするなど、自分で産んだ子供との絆を切りたがる傾向さえ見受けられる。
あるテレビのインタビューで、「子供へ愛着がわかない内に預けた方が良い」と零歳児保育に預ける理由を語っていた母親がいたが何をか言わんやである。
昨今、子育ては苦痛なもの、苦しみを伴うものという感覚を植え付けすぎ、安易に生きることが奨励されすぎてはいないだろうか。
本当の生きる喜びとは、親子の絆を大切にし、温かい家庭をつくり、その延長として健全な社会を形成していく、そうした家庭の社会的な意義についても力説すべきである。
■「少年は手を離せ目を離すな」
少年は、友達との付き合いによって社会性が育つ時なので、ここではしっかり手を離して、活動範囲を広げてやらないといけない。
ただし、いろんな危険があるので、目を離してはいけない。
猿の子育てでいえば「一人にしてちょうだい」という時期であり、親猿はこの時期、遠くから小猿を見守り、子供が何かで声を上げるとすっ飛んでいく。
人間も、学ぶところが多いのではないだろうか。
この時期、子供が親に反抗したり、非行や問題行動に走ったり、いろんなことで苦しい思いをするかもしれない。
しかし、それは成長の過程である。
親として逃げずに、子供に向き合って、共に成長することを心掛けるべきだ。
子供の荒れの背景には、親や友人に「こちらを向いて欲しい」というメッセージであることが多いのである。
■「青年は目を離せ心を離すな」
青年期にまでなると、完全に自立していくために、自分なりの生き甲斐、進路を歩んでいく時であるが、気持ちの上では、心を離してはいけないということである。
いずれにしても、子育ての最終的な責任は親にあるという基本を忘れてはならないのである。
◇ ◇ ◇
「大人も子供も同等だ」「子供の人権を尊重すべき」といった主張があるが、本来、大人と子供は異質なものである。
子供が自覚しないままとっている行動の意味を、親が理解して対処しなければならないという場面は、子育て中には多々あるものである。
それを「平等だ」と突き放してしまったところに、子供たちが荒れたり切れたりする要因があるように思えてならない。
もちろん子育ては「四訓」の言葉だけで、言い尽くせるものではない。
しかし、自分の子育てを振り返る、あるいは自信を持つヒントにしてほしい。
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日本時事評論 第1609号(H18.6.2)より転載しました
大学で学ぶとは。
埼玉県にある立教新座高校に掲載されている、学校長から高校の卒業生に向けた言葉があります。
大学に行く意味について、その中で語っていらっしゃるのですが、その内容が素晴らしい。
私自身、なんとなく結果的に「たしかにそうだった」と振り返りつつも、こんなに説得力ある、こんなに人に響く言葉では表現できない。
この言葉をかけられ、胸に刻んで大学に進学する高校生は何を思うのだろう。
あまりに素晴らしいので自分でも覚えておきたくて、備忘録として掲載します。
いつか娘たちにも読ませてあげたい。
「海を見る自由」「立ち止まる自由」
本当に大切だと思う。
この時期しかできないこと、たくさんある。自分自身と向き合い、乳幼児期に出来上がり損ねた自己受容をこうした時間にさせてもらった私としては、すごく思うのだ。
現実を直視する自由。
自分を見つめる自由であろう。
こんな風に自由を与えられていること。
その自由の使い方は一人一人次第だということ。
今更ながらに思い知る。
思えば、大学時代、なにかに追われているかのように寸暇を惜しんでチャレンジしていた。
きっと自分なりに「今しかない」と感じていたんだろうなぁと今は思う。
しかしやはり、この校長先生のように、我が子に「大学で学ぶ意味」を語り伝える自信はなくて。
だからこそ、自分に言い聞かせよう。
その時期が来るまで、覚えておこう。
リンク先
https://niiza.rikkyo.ac.jp/philosophy/_asset/pdf/20110315s.pdf
大好きな曲のご紹介
紹介と言っても、あんまり詳しくは知らないんだけれど、幼なじみから教えてもらい聞いてみたのがきっかけで、私の青春時代に私にたくさんのはてなをくれた曲
今でも聞くと、当時のことを想い出して、少し気持ちが高ぶる
そんな曲
クレヨン社『痛み』
写真は『オレンジの地球儀』というアルバム
今では私の宝物
聞いてみると意外に知っている人がいるこのグループ
ミクシィのコミュニティにもたくさんの人が集まっている
心に訴えてくるものがあるからね
昨日娘が夕方に、妻を寝かせて爪を切る遊びを洗濯ばさみを使って一生懸命やっていた
いつも私がやるとおりに(^^;)
こまかいこともよく覚えてるね
そのあとは、妻を仰向けに寝かせてシャンプーの真似
最近妻が娘を風呂に入れるときにやる方法らしい
これまた妻曰く、そっくりらしい
子供ってすごいなぁ
他にも人形さんにも次々に自分がいつもしてもらうことをしてあげる娘
食べ物もみんなにあげようとします
そんな年になったのかぁと感動ひとしおです
季節はずれの長雨が続いています
早くからっと晴れないかなぁ
そのころには寒くなるかな
ファンヒーターが活躍する季節になりましたね
さむいなぁ
Inoue akira & M.l.H.BAND 『WISH』
本田美奈子さんの追悼シングルが先日発売されました
さっそく購入してみたのですが、すばらしいです
とくにDvdが良いなと思いました
福山雅治さんをはじめとした、みなさまのハーモニーが、歌詞が、素敵です
なんだか体の中が洗われるような気持ちになれました
ヘッドフォンで聞くとなおよしです(^^;)
あたりまえの言葉たち
ありがとうもおはようも
あたりまえのことばかり
美しく思えるそんな日がある
かけがえのない日々
ただ抱きしめて
いま そこにある幸せを………
うーむ
なんだかいろんな事を考えてしまった
いい歌かなぁと思った
うんうん
井上鑑さんの呼びかけに感謝ですね
今日は娘と一緒に寝てしまい、四時おきです
おかげでゆっくり曲が聞けました(^^;)
以下、抜粋です。
大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
その昔、影響を受けた詩がある。
娘が産まれて、苦しんでいたときに見つけた詩
ブログの整理をしていて想いだした。
人間って、生きているだけで幸せなんじゃないかなあって思った。
だから、娘の命を助けてくれた神様に感謝して。
娘に考える力を与えてくれた神様に感謝して。
娘自身が、この気持ちにいつかなれたらいいな。
幸せって、心の持ちようで変わるような気がする。
→ 以下抜粋 ########################
人は何か一つくらい誇れるものをもっている
何でもいい、それを見つけなさい
勉強が駄目だったら、運動がある
両方駄目だったら、君には優しさがある
夢をもて、目的をもて、やればできる
・
・
こんな言葉に騙されるな
・
・
何も無くていいんだ
人は生まれて、生きて、死ぬ
これだけでたいしたもんだ
byビートたけし
◎【出典】「僕は馬鹿になった。―ビートたけし詩集」ビートたけし著(祥伝社)
娘が産まれて、苦しんでいたときに見つけた詩
ブログの整理をしていて想いだした。
人間って、生きているだけで幸せなんじゃないかなあって思った。
だから、娘の命を助けてくれた神様に感謝して。
娘に考える力を与えてくれた神様に感謝して。
娘自身が、この気持ちにいつかなれたらいいな。
幸せって、心の持ちようで変わるような気がする。
→ 以下抜粋 ########################
人は何か一つくらい誇れるものをもっている
何でもいい、それを見つけなさい
勉強が駄目だったら、運動がある
両方駄目だったら、君には優しさがある
夢をもて、目的をもて、やればできる
・
・
こんな言葉に騙されるな
・
・
何も無くていいんだ
人は生まれて、生きて、死ぬ
これだけでたいしたもんだ
byビートたけし
◎【出典】「僕は馬鹿になった。―ビートたけし詩集」ビートたけし著(祥伝社)
娘が選んだ詩
小学校の授業で、好きな詩を選んで それを書き写すと言うのがあったらしくて、廊下に展示してありました。
初めて読んだ詩
この詩を選んだんだね。
「今日からはじまる」
「はがれる」
二つとも 高丸もと子 さんの作品
この詩を選んだ 今の娘さんの感性
いいなって思う。
どちらも、たぶん
読むたびに 時期により感じることが違いそうな詩
とくに 「はがれる」の方は
家族や親戚、学校や習い事の先生やお友達
そんな中にいて、様々なことを感じ考える時期に来ているのかな。
素敵な詩との出会いは大切
気づきをもたらしてくれたり、ヒントをくれたりする。
素敵な授業
ありがたいね。
もしかすると
母親からの精神的な自立が 始まりつつあるのかもしれませんね。
そのことを ワクワクしつつ 悲しみつつ
自分が変わって行くことを感じながら
いつか話してもらえるだろうか?
相談しやすい親でありたいものだ。
小学校の授業で、好きな詩を選んで それを書き写すと言うのがあったらしくて、廊下に展示してありました。
初めて読んだ詩
この詩を選んだんだね。
「今日からはじまる」
「はがれる」
二つとも 高丸もと子 さんの作品
この詩を選んだ 今の娘さんの感性
いいなって思う。
どちらも、たぶん
読むたびに 時期により感じることが違いそうな詩
とくに 「はがれる」の方は
家族や親戚、学校や習い事の先生やお友達
そんな中にいて、様々なことを感じ考える時期に来ているのかな。
素敵な詩との出会いは大切
気づきをもたらしてくれたり、ヒントをくれたりする。
素敵な授業
ありがたいね。
もしかすると
母親からの精神的な自立が 始まりつつあるのかもしれませんね。
そのことを ワクワクしつつ 悲しみつつ
自分が変わって行くことを感じながら
いつか話してもらえるだろうか?
相談しやすい親でありたいものだ。
お姉ちゃんの創作
「やさしいまじょ」
お姉ちゃんが自由帳に描いた 絵本
完全にオリジナル
なんだか
こんなお話を作れるんだなぁと少し感動。
すごくない?
しかし、これ時間かかっているよね(^^;;
つまりは、それだけたくさんの時間が学校であるということ
つまりは放課に一人なのかもしれない。
その状況を悲観せずに、こんな素敵な創作をしてきてくれた娘さん。
すごいなぁ。
自由帳が書くところなくなって、新しいのと交換で持ち帰り、初めてわかる我が子の思い。
創作を見ていると、「どんな気持ちで描いたのかな?」と考えてしまいます。
素敵な創作
このお話にはもう少し続きがあります。
二回に分けて載せようかな。(^^;;
そもそもよめないか。(^^;;
「やさしいまじょ」
お姉ちゃんが自由帳に描いた 絵本
完全にオリジナル
なんだか
こんなお話を作れるんだなぁと少し感動。
すごくない?
しかし、これ時間かかっているよね(^^;;
つまりは、それだけたくさんの時間が学校であるということ
つまりは放課に一人なのかもしれない。
その状況を悲観せずに、こんな素敵な創作をしてきてくれた娘さん。
すごいなぁ。
自由帳が書くところなくなって、新しいのと交換で持ち帰り、初めてわかる我が子の思い。
創作を見ていると、「どんな気持ちで描いたのかな?」と考えてしまいます。
素敵な創作
このお話にはもう少し続きがあります。
二回に分けて載せようかな。(^^;;
そもそもよめないか。(^^;;
栗本薫さんと言う小説家がいる
私はその人のファンで、結構その人のページとかもよく見たりしているのだが、この前気になることを日記に書いていた
以下うろ覚えの引用
『「信じている」って、なんて都合のいいことなんでしょう。それは、「この人は自分にとって都合の悪いことはしない」と勝手に決めていたということじゃないのかと。』
読んでから、かなり考えてしまった
信じていたのに………
たしかによく聞くフレーズ
自分でも過去に使ったかもしれないフレーズ
なるほど、言われてみるとそのとおりかも
「人の言うことは全面的に信じて行動の根拠にしてはいけない」
なるほどなぁ
娘の足のこと、なんだか自分がすごく肩に力が入っていたような気がしたけれど、それは普通のことなのかもしれない
信じすぎず、一回頭で考えて自分の頭で選ばない限り、かならず責任転嫁をする心が頭をもたげてくる
考えてみたら当たり前
これから先もそうならないように、私だけでなく家族皆がそうならないように、考える習慣をつけていきたいものだ
さてさて、今日は久々に妻の夕ご飯のメインを娘が食べなかった
洋風のお魚の煮込み
スープは美味しそうに飲んだのに
お魚は口に含んで『おいしくない』………と
うーむ 凹んでたなぁ
美味しかったんだけどね
初めての味だったからね
妻があんまり凹んでいたので心配したけれど、一時間くらいしたら何とか復活
その後は普通に戻りました
まぁね ショックだよね
初挑戦料理をそこまで愛娘に言われると………
うーむ
美味しかったんだけどなぁ(^^;)
最後にもう一度
『信じるというのは命をかけることだ。信じられるというのは命をかけてそれに答えることだ』
………走れメロスの引用です
信じると言う言葉、軽々しく使うものでは無いのかもしれませんね
私はその人のファンで、結構その人のページとかもよく見たりしているのだが、この前気になることを日記に書いていた
以下うろ覚えの引用
『「信じている」って、なんて都合のいいことなんでしょう。それは、「この人は自分にとって都合の悪いことはしない」と勝手に決めていたということじゃないのかと。』
読んでから、かなり考えてしまった
信じていたのに………
たしかによく聞くフレーズ
自分でも過去に使ったかもしれないフレーズ
なるほど、言われてみるとそのとおりかも
「人の言うことは全面的に信じて行動の根拠にしてはいけない」
なるほどなぁ
娘の足のこと、なんだか自分がすごく肩に力が入っていたような気がしたけれど、それは普通のことなのかもしれない
信じすぎず、一回頭で考えて自分の頭で選ばない限り、かならず責任転嫁をする心が頭をもたげてくる
考えてみたら当たり前
これから先もそうならないように、私だけでなく家族皆がそうならないように、考える習慣をつけていきたいものだ
さてさて、今日は久々に妻の夕ご飯のメインを娘が食べなかった
洋風のお魚の煮込み
スープは美味しそうに飲んだのに
お魚は口に含んで『おいしくない』………と
うーむ 凹んでたなぁ
美味しかったんだけどね
初めての味だったからね
妻があんまり凹んでいたので心配したけれど、一時間くらいしたら何とか復活
その後は普通に戻りました
まぁね ショックだよね
初挑戦料理をそこまで愛娘に言われると………
うーむ
美味しかったんだけどなぁ(^^;)
最後にもう一度
『信じるというのは命をかけることだ。信じられるというのは命をかけてそれに答えることだ』
………走れメロスの引用です
信じると言う言葉、軽々しく使うものでは無いのかもしれませんね
大好きな曲のご紹介
紹介と言っても、あんまり詳しくは知らないんだけれど、幼なじみから教えてもらい聞いてみたのがきっかけで、私の青春時代に私にたくさんのはてなをくれた曲
今でも聞くと、当時のことを想い出して、少し気持ちが高ぶる
そんな曲
クレヨン社『痛み』
写真は『オレンジの地球儀』というアルバム
今では私の宝物
聞いてみると意外に知っている人がいるこのグループ
ミクシィのコミュニティにもたくさんの人が集まっている
心に訴えてくるものがあるからね
昨日娘が夕方に、妻を寝かせて爪を切る遊びを洗濯ばさみを使って一生懸命やっていた
いつも私がやるとおりに(^^;)
こまかいこともよく覚えてるね
そのあとは、妻を仰向けに寝かせてシャンプーの真似
最近妻が娘を風呂に入れるときにやる方法らしい
これまた妻曰く、そっくりらしい
子供ってすごいなぁ
他にも人形さんにも次々に自分がいつもしてもらうことをしてあげる娘
食べ物もみんなにあげようとします
そんな年になったのかぁと感動ひとしおです
季節はずれの長雨が続いています
早くからっと晴れないかなぁ
そのころには寒くなるかな
ファンヒーターが活躍する季節になりましたね
さむいなぁ
Inoue akira & M.l.H.BAND 『WISH』
本田美奈子さんの追悼シングルが先日発売されました
さっそく購入してみたのですが、すばらしいです
とくにDvdが良いなと思いました
福山雅治さんをはじめとした、みなさまのハーモニーが、歌詞が、素敵です
なんだか体の中が洗われるような気持ちになれました
ヘッドフォンで聞くとなおよしです(^^;)
あたりまえの言葉たち
ありがとうもおはようも
あたりまえのことばかり
美しく思えるそんな日がある
かけがえのない日々
ただ抱きしめて
いま そこにある幸せを………
うーむ
なんだかいろんな事を考えてしまった
いい歌かなぁと思った
うんうん
井上鑑さんの呼びかけに感謝ですね
今日は娘と一緒に寝てしまい、四時おきです
おかげでゆっくり曲が聞けました(^^;)