あまり、例のない症例の患者さんに対した時、その医師の本質が垣間見える。
私はそう感じることが多かった。
自分の知りうる範囲で、なんとかなる場合はいい。
でも、そうではない場合に、その患者にどう接するか。これは、すごく先生により分かれる。
本来は誰にでも分け隔てなく、親身に患者の立場に立ち、自分が専門ではなくても、ネットワークを駆使して情報を集め、患者のために力を尽くしてくれるのが理想なんだけれど。
医師は忙しく、患者の数は多い。
そんな余裕もない先生の方が多くて、そんな中で、その対応をしてくださる先生は神様だなと今は思う。
昔、悩んでいた頃は、こちらもそんなに余裕はなくて、突き放した態度をとる先生に、憤った回数は数え切れない。
悲しいね。
まあ、医師も大変なのは、同期に何人かいて、いろいろ聞いているから、理解はできるんだけれども。
いい先生ほど、報われない世界なのも知っているけれども。
学閥や派閥が今なお生きる、有象無象が沢山いる世界だしね。
主治医を誰にするかは、本当に大切。
年齢経験よりも、話がしやすくて、きちんと患者の立場になってくれる方がいい。
まあ、結果的に、年齢が高いそれなりの経験のある先生の中で、上から順に探していくことになるんでしょうけれどもね。
主治医がいる病院で、義肢製作所も普通は決まる。
義足も温存した場合の装具も、実は先生よりも義肢製作所の担当者の腕次第。
一度担当が決まると、途中では帰ることを、業界全体で嫌がります。
(初めから出ないと、患者を奪うことになりかねないという理由で、普通は断られます。)
なんだかなぁ。
納得できない制度だよね。
誰得なんだろう?
あとから、これも変えられないので、先生だけでなく、そこもしっかり比較して主治医を選ぶこと、必須なのですよ。