自然破壊の始まり

2012年06月07日 | Weblog

 
 自然を人間の都合の良いようにしようとするのですから、大変な作業を始めてしまったわけです。農業は自然破壊の始まりなどという話を聞いたことがあります。そうなのかもしれませんね。

 自然界にあるものを取って食べている程度が一番なのでしょう。しかし、人間はあまり能力がないので、頭脳でカバーをし、道具をつくり動物を罠にかけ、適度に自然界を破壊して、人間にあう作物をつくり、また自然を破壊して集落を作って住んできたわけです。

  
                                               なかなか赤くなりません 

 自然の法則に逆らうから動力が大変なのは分かりますが、綺麗にしておきたいという気持ちが働きます。育てたいものだけ、そこに育てたいという気持ちがあります。しかも大きく。

 犬など見ていると変えるなんてことは一切しないんですね。そういう考えはインプットされていないようです。たとえば、飲み水の入っている入れ物に木の葉が入ったとします。犬はそれが邪魔なので口でくわえて取ろうという気持ちはないようです。のみづらくても、色が変わっても入ったままでいます。障害物があったら、そこを除けて通ります。次に来る犬や人のために脇に寄せておくなんてことは絶対にしません。

 そんな理屈をこねまわしたって草は関係なく育つのですけどね。犬は犬のままですけどね。理屈で草が遠慮したら、理屈で犬が人間になったら、自然界はどうなってしまうことやら。

  

 さてその、ドウダンの新芽がまた勝手に不揃いに伸びてきました。これも、綺麗に整えたいという気持ちがあれば剪定しなければなりません。

 そういう気持ちがあるものですから、いつやるか、他の仕事のことも考えつつ、気がみなぎるのを待っているわけです。

  

 フルートを習いに行くビルのエレベーターの前に、朝はいつも年配の女性がいて生け花を整えています。ちょうどできあがったので撮ってきました。

 ちょっとした空間に、毎朝 花をいけようという考え。昔はよくありましたが、今もこのようにきれいにお客さんに見てもらおうという、ゆとりはとても良いなと思いました。

  

 今日は理屈っぽくなってしまいました。理屈っぽい音楽を聴きながらだった、そのせいでしょうか。

  
   

   廃 句

      晴の日はテキトーにやろうと決めました
      さもないとこの弱き体が壊れそう
      経済の学者がいても不安定
      世の中はすぐに壊れる壊れない
      見たことの無いカタツムリ輸入もの?