今と昔

2014年05月03日 | Weblog


人間の性質の一つに、「 昔はよかった 」 と強く思う傾向があります。昔だって嫌なことは数え切れないほどあったはずなのですが、時間というものが、まるで物に付いた泥でも洗い流すように、癖のある灰汁(あく)を晒し取るように、みんな流し去って良いものだけを残すということを行うのです。                             

たとえば、ペスト(黒死病) という疫病。14世紀のヨーロッパで流行って、人口の三分の一にあたるほどの人が亡くなったのだそうです。今はそういう病気は流行らない。インフルエンザ が流行ることがありますが、そんなに多くは死亡しません。よく考えて見ると、それはそうだなと思うのですが、それでも遠い昔の苦労なんて実感がありません。今と比べるとやっぱり昔の方が良かったと思えてならないものです。

                             

ところが、現代においては人災の規模が大きくなりつつあります。先だって、東日 本をおそった地震は確かに大きくたくさんの人が亡くなりましたが、それと同時に放射能の災害が延々とこれからも何十年も続くわけです。今でも、その災害を 被った原子炉は安全かというとそうではありません。これからどういうことになるのかは分かりません。新たな形の大規模災害です。それから、オレオレ詐欺とか、いつのまにか銀行の口座が盗まれているとか、見えない所での犯罪が増えたりして、気持ち悪いですね。
 

 

さて、このブログは評論ブログではありませんので、七面倒な話はそれくらいにして・・・。赤い牡丹は重くて地面についてしまいましたが、奧さんが起こして棒の支えをしたのできちんとした形にもどりました。赤もきれいです。

隣り合って、ピンク系の牡丹と、この赤の牡丹が咲いています。

 

花は良いなあと喜んでばかりもいられません。松の木を見ると新芽がこのとおり。これを指でつまんでむしり取らなくてはなりません。松の葉は針のような形をしていますからね。チクチクと突っつかれるのを我慢しながら作業をしなければなりません。英語で葉っぱは leaf と言いますが、松の葉は needle ( つまり「針」 詳しくは pine needle ) と言います。

面倒くさいですね。まあ生き物ですから成長しますので、形良く保つには手入れは必要です。それが嫌なら、情緒には大いに欠けますが人工の松でも買ってきて植えるほかありません。そんなことするひとは無いですね。映画のロケには使うかもしれませんけど。

 
                                       アンズ

今日も晴れて暑かったです。自転車で10kmくらい走ってきました。今日は坂道のない所を走ってきましたので、全部自力ではしりました。なるべく車が通らない道を選びました。車の音がしょっちゅうしているとうるさくて堪りませんからね。

この頃は、エンジンの音よりもタイヤから出る音の方が大きいです。ラジアルタイヤの方が良いというので、みんなラジアルにしたのですが、音はノーマルタイヤよりも遙かに大きいです。