健康塾通信

皆様がより健康であるための情報やご家庭でお手軽にできる健康法をお伝えいたします。

数々の創始者との出会い:3

2013年04月13日 17時52分28秒 | Weblog


私が、宮先生と出会ったのは高校卒業後でした。

当時、都立大学の横浜方面ホーム後ろ寄りから

『自然運動』と大きな看板が目をひきました。

私は、高校時代今の新体操の前身である

団体体操部に所属、全国大会出場を経験しました。


この時代に鍛えられたクラブ活動との出会いが

その後の運動や体操の研究に大きな影響を与えてくれました。


新体操という競技に変わったのは高校3年の春で

それまでの6人で演技する団体種目に個人の手具を使った種目が

追加されました。

その頃は、2年ごとに課題となる手具が決まっていて

私はボール2年目で入部したので、2年生から

卒業までの2年間はフープでした。

手具の動きは放物線を描くので自然な動きになりますが

体操に求められるのは、いかに美しく体のラインを出すかでした。

爪先立ちで高く投げた手具をより高い位置でキャッチするために

足先を伸ばし、膝を伸ばし、腕も真っ直ぐに指先までも

神経を注ぎ、手具の流れを止めないようにキャッチしたり

手具と共に美しくダイナミックに動きます。


宮操子先生の自然運動は、新体操で求められていたそれとは

違っていました。

私は、気持ちよく伸ばすことに意識を向けていましたが

自然運動は、体の力を抜きポンと腕を放り投げたとき

肘や指先は自然に曲がり、決してそれまでの体操で求められていた動きとは

正反対のものでした。

それもそのはず、宮先生はご主人である江口隆哉先生と日本にモダンダンスを定着させ

日本の洋舞に大きな影響を与えた先生たちでした。

宮先生はクラッシクバレエに対しては、かなり批判的でしたので

トウシューズを履いて立つことは、健康被害にも及ぶものだとおっしゃっていました。

私の3年間の体操で出来上がった身体の記憶はなかなか

自然運動の中に馴染むことができず、

これだ!と思って門を叩きましたが

「ちがう!ちがう!」の先生からのダメ出しに

当時は若さゆえ我慢できず、1年通うこともできませんでした。


その後、甲府でモダンバレエの岡島恵美先生に付き

しばらくはクラッシクの基本をベースにした舞踊を研究しました。