編集:ワクチントーク全国「新・予防接種へ行く前に」編集委員会
編集代表:毛利子来(もうりたねき)、母里啓子(もりひろこ)
ジャパンマシニスト社、2011年発行
医師としてのワクチン反対派の御意見番であるお二人が中心になって編集した本です。
位置づけは、厚生労働省(現在は財団法人予防接種リサーチセンターへ移行)が保護者向けに配布する「予防接種と子どもの健康」というパンフレットの「攻略本」。内容は、ワクチンの影の部分にも光を当てた解説といったところでしょうか。
一貫して、副反応で障害が残った家族に寄り添うスタンスで書かれています。
自然感染による重症化例は「可哀想だけど仕方ない」、ワクチンの副反応による後遺症例は「国家や医師によってなされた加害行為」と糾弾します。
自然感染による重症化・死亡例を何とか減らそうと先人が知恵を絞って開発してきたのがワクチンだと私は捉えています。
その効果により命を助けられた子どもたちは数知れず。
しかし数は激減したものの、現在でもワクチンで予防可能な病気により命を落とす子どもたちがいます。接種をすれば、接種率を上げれば助かる可能性があるのに・・・その子たちのことを思う姿勢がワクチン反対派には欠けているのではないか、と感じることがあります。
「自然の摂理だから仕方ない、あきらめなさい」と。
彼らの究極の考えは「健康な子どもの体に医療行為という名の下にワクチンという異物を入れることを拒否する」という思想に収束すると思いました。
キリスト教にエホバの証人という輸血を拒否する宗派がありますが、それと共通するところがあります。はて、エホバの証人はワクチンを受け入れているのか、疑問に思いネットで検索したら「1900年代前半は禁止、1950年代以降は受け入れるようになった」という不思議な経緯を辿っていました。もちろん、聖書にはワクチンに関する記述はありませんから、その時代その時代の解釈による変化なのでしょう。
“まえがき”は前出の藤井俊介氏が書いています。
「接種する側からすれば0.001%の事故発生率でも、事故に遭った子どもや親にとっては、100%の発生率です。」
「予防接種による被害の悲劇は、親が子どもによかれと思い、自分の手で抱いて連れて行き、その結果、障害者にしたり、死なせたりすることです。」
「健康な子どもを、殺したり病気にしたりする行為は、一般には認められていません。とこどが、予防接種に限り、国は認めています。」
理想のワクチンは「有効率100%で副反応ゼロ」ですが、残念ながらそのようなワクチンは現在存在しません。
理想のワクチンしか認めない・許さない反対派を説得するのは無理ですね。すれ違いというよりは、非現実的です。
それから、「体の弱い子どもだけがワクチンを受ければよい」と書かれていますが、感染症の流行がなくならない限り、“体の弱い子ども”は危険にさらされ続ける事になります。
反対派はそのことも軽視していると感じます。
例えば、大学病院小児科病棟で重い病気に罹り闘病生活をしている子どもたちがいます。検査入院や緊急入院の子どもが水痘を発症すると、“体の弱い”子どもたちは危険にさらされ、医師たちは感染対策に追われ、病棟は一定期間閉鎖せざるを得なくなります。他の病気で入院治療予定だった子どもたちにも影響が出ます。
これらのことも「仕方ない」で済ませるのでしょうか。
(参考)
KANSEN Journal No.41(東京都立小児総合医療センター感染症科 荘司貴代、堀越裕歩ほか)
「病気の子どもたちを守るには―― 水痘対策の世界との差」
「病気の子どもたちを守るには―― 小児病院での水痘・帯状疱疹ウイルスの感染制御」
「病気の子どもたちを守るには―― 水痘ワクチンの重要性」
<メモ>
自分自身のための備忘録。
■ ヒブや肺炎球菌と言った常在菌に対するワクチンの接種も勧められてます。常在菌、つまりだれもが持ち合わせる、どこにでもある菌に対してまで不安を煽るのはなぜでしょう(母里啓子氏)。
この文章、信じられません。
医師であれば、乳幼児の細菌性髄膜炎の怖さを知らないはずがない・・・ああ、この方は基礎研究者で医療現場で働いたことがないのでしょう。
私が勤務していた総合病院小児科では、1年に1-2人、細菌性髄膜炎の患者さんが入院してきました。ステロイドや抗生物質など、有効と思われる治療を尽くしても、数週間熱が続く例や、脳膿瘍を合併して緊急手術になった患者さんも経験しました。
ワクチンによりこの病気が予防できることを知ったとき、髄膜炎で苦しむ子どもが減らせるなんてこんな素晴らしいことはない、と喜んだものでした。
先日、近隣の総合病院小児科部長とお話しする機会がありましたが、2011年を最後に細菌性髄膜炎例を経験していないと聞きました。
■ 百日咳で症状が思うなる可能性が高いのは、1歳未満、とくに6ヶ月未満の赤ちゃんです。重い症状になる危険性が低くなる2歳以上の子にも一律に接種が必要なのか、検討が必要です。
最近話題になる赤ちゃんの感染経路は、周囲の大人たちからです。
欧米では赤ちゃんを百日咳から守るために成人後も三種混合ワクチンを追加接種をしています(これを“コクーン戦略”と呼びます)。
■ どの感染症にも当てはまりますが、経済事情がよくなり、食糧不足や衛生状態が改善されて行くに従い、流行があっても死亡者は減っていきます。逆に貧困や低栄養、戦争などで発病が増加します。つまり、発病や流行には社会的な背景が強く関連しているのです。
これは事実です。
しかし、この状況に安心していてよいのでしょうか。
戦争ではありませんが、災害でも同じような状況が発生します。
東日本大震災の被災地では、狭い空間に多くの人数が暮らし、医療も不十分という劣悪な環境にさらされた事実を皆さん記憶されていることと思います。
そんな中で空気感染する麻疹や水痘が流行ったら・・・ワクチン未接種者はもれなく感染し悲惨な事態になることが想像されます。
日本に住んでいる限り、自然災害(あるいは人災?)に見舞われて同じような状況に陥る可能性は常に存在し続けます。
予期せぬ災害対策としても、ワクチンは有用です。
■ 今の子育て世代は、ワクチンで免疫を得ている、いわば「ワクチン世代」。成長過程でまわりに病気自体もないため、ワクチンで得た免疫をさらに高める作用も働かない、それが成人して麻疹に罹る大きな要因です。
ワクチンの効果は長く続かない。自然に病気に罹って免疫を得る機会は失われている。このことが、自然に病気から守られていた筈の赤ちゃんに影響を与えています。
最近、1歳未満でも麻疹に罹る赤ちゃんが出てきたのは、お母さんがワクチンを受けた世代に鳴り、自然感染による免疫をもっていないからです。私たちはこの事実を重く受け止めないわけにはいきません。
この意見には同意します。
感染予防対策としてのワクチンが抱えるジレンマは「免疫持続期間が短いこと」です。
理論的には一生涯、定期的な追加接種が必要になりますし(するとコストも上昇)、上記の母子免疫が期待できないという問題も対策を検討する必要があります。
「コストがかかる」ことと「母子免疫が失われる」ことは、私の中で解決しないジレンマです。
ワクチン推進派はこの問題をどう解決していくのでしょうか。
■ 日本脳炎は旧ワクチンより新ワクチンの方が危険
2005年に厚労省は「平性3年以降、日本脳炎予防接種で13例にADEMの健康被害が発生、ほかのワクチンに比べて被害救済例が多い」ため「マウス脳による製法の現行ワクチンの積極的勧奨は行わない」、「よりリスクの低いと期待される組織培養法による日本脳炎ワクチンが現在開発中であり、その供給に応じ接種勧奨を再開」とする「積極的勧奨差し控え」の勧告を出しました。
旧ワクチンがウイルスを培養するのにマウスの脳組織を使用していたのにかわり、アフリカミドリザル腎臓由来株化細胞(Vero細胞)を使うのでリスクが少ないと期待されていました。しかし旧ワクチンとの比較臨床試験で、全身の発熱や接種部位の発赤、腫脹などの副作用において、新ワクチンの方が2倍前後高い発現率を示したため承認が延期となりました。追加試験では、新ワクチンを、旧ワクチンより高い副作用が生じた元々の濃度の半分の濃度で審査が通ったのでした。
旧ワクチンが「積極的勧奨差し控え」に追い込まれたADEMは、新ワクチンでも同程度の頻度で発生していると読んだことがあります。400万接種に1回という頻度ではありますが。
「旧ワクチンより危険な新ワクチン」という狭い視点にこだわらず、ADEMの自然発生率との比較する発想はないのでしょうか?
■ ヒブと肺炎球菌による死亡者数、後遺症者数を上回る、子どもの事故と他殺、虐待を予防することのほうがよっぽど有意義です。ワクチン接種と社会の整備、どちらが子どものために必要でしょうか。
それを言いだすと議論が止まってしまいますので、論旨のすり替えです。
例えば、軍備増強と原発にかかる費用など、必要性を比較検討すべき物事はたくさん存在します。
■ B型肝炎ウイルスをもたないお母さんから生まれた赤ちゃんへのワクチン接種は、現在の日本では全く不要です。
そうとは言い切れないと思います。
現在、父子感染も問題になっています。HBVキャリアとなった児の内訳は、母子感染が65%、父子感染が25%、同胞間感染が4%、経路不明が8%という報告があります。
さらに、保育所職員を感染源とする集団感染も報告されています。
編集代表:毛利子来(もうりたねき)、母里啓子(もりひろこ)
ジャパンマシニスト社、2011年発行
医師としてのワクチン反対派の御意見番であるお二人が中心になって編集した本です。
位置づけは、厚生労働省(現在は財団法人予防接種リサーチセンターへ移行)が保護者向けに配布する「予防接種と子どもの健康」というパンフレットの「攻略本」。内容は、ワクチンの影の部分にも光を当てた解説といったところでしょうか。
一貫して、副反応で障害が残った家族に寄り添うスタンスで書かれています。
自然感染による重症化例は「可哀想だけど仕方ない」、ワクチンの副反応による後遺症例は「国家や医師によってなされた加害行為」と糾弾します。
自然感染による重症化・死亡例を何とか減らそうと先人が知恵を絞って開発してきたのがワクチンだと私は捉えています。
その効果により命を助けられた子どもたちは数知れず。
しかし数は激減したものの、現在でもワクチンで予防可能な病気により命を落とす子どもたちがいます。接種をすれば、接種率を上げれば助かる可能性があるのに・・・その子たちのことを思う姿勢がワクチン反対派には欠けているのではないか、と感じることがあります。
「自然の摂理だから仕方ない、あきらめなさい」と。
彼らの究極の考えは「健康な子どもの体に医療行為という名の下にワクチンという異物を入れることを拒否する」という思想に収束すると思いました。
キリスト教にエホバの証人という輸血を拒否する宗派がありますが、それと共通するところがあります。はて、エホバの証人はワクチンを受け入れているのか、疑問に思いネットで検索したら「1900年代前半は禁止、1950年代以降は受け入れるようになった」という不思議な経緯を辿っていました。もちろん、聖書にはワクチンに関する記述はありませんから、その時代その時代の解釈による変化なのでしょう。
“まえがき”は前出の藤井俊介氏が書いています。
「接種する側からすれば0.001%の事故発生率でも、事故に遭った子どもや親にとっては、100%の発生率です。」
「予防接種による被害の悲劇は、親が子どもによかれと思い、自分の手で抱いて連れて行き、その結果、障害者にしたり、死なせたりすることです。」
「健康な子どもを、殺したり病気にしたりする行為は、一般には認められていません。とこどが、予防接種に限り、国は認めています。」
理想のワクチンは「有効率100%で副反応ゼロ」ですが、残念ながらそのようなワクチンは現在存在しません。
理想のワクチンしか認めない・許さない反対派を説得するのは無理ですね。すれ違いというよりは、非現実的です。
それから、「体の弱い子どもだけがワクチンを受ければよい」と書かれていますが、感染症の流行がなくならない限り、“体の弱い子ども”は危険にさらされ続ける事になります。
反対派はそのことも軽視していると感じます。
例えば、大学病院小児科病棟で重い病気に罹り闘病生活をしている子どもたちがいます。検査入院や緊急入院の子どもが水痘を発症すると、“体の弱い”子どもたちは危険にさらされ、医師たちは感染対策に追われ、病棟は一定期間閉鎖せざるを得なくなります。他の病気で入院治療予定だった子どもたちにも影響が出ます。
これらのことも「仕方ない」で済ませるのでしょうか。
(参考)
KANSEN Journal No.41(東京都立小児総合医療センター感染症科 荘司貴代、堀越裕歩ほか)
「病気の子どもたちを守るには―― 水痘対策の世界との差」
「病気の子どもたちを守るには―― 小児病院での水痘・帯状疱疹ウイルスの感染制御」
「病気の子どもたちを守るには―― 水痘ワクチンの重要性」
<メモ>
自分自身のための備忘録。
■ ヒブや肺炎球菌と言った常在菌に対するワクチンの接種も勧められてます。常在菌、つまりだれもが持ち合わせる、どこにでもある菌に対してまで不安を煽るのはなぜでしょう(母里啓子氏)。
この文章、信じられません。
医師であれば、乳幼児の細菌性髄膜炎の怖さを知らないはずがない・・・ああ、この方は基礎研究者で医療現場で働いたことがないのでしょう。
私が勤務していた総合病院小児科では、1年に1-2人、細菌性髄膜炎の患者さんが入院してきました。ステロイドや抗生物質など、有効と思われる治療を尽くしても、数週間熱が続く例や、脳膿瘍を合併して緊急手術になった患者さんも経験しました。
ワクチンによりこの病気が予防できることを知ったとき、髄膜炎で苦しむ子どもが減らせるなんてこんな素晴らしいことはない、と喜んだものでした。
先日、近隣の総合病院小児科部長とお話しする機会がありましたが、2011年を最後に細菌性髄膜炎例を経験していないと聞きました。
■ 百日咳で症状が思うなる可能性が高いのは、1歳未満、とくに6ヶ月未満の赤ちゃんです。重い症状になる危険性が低くなる2歳以上の子にも一律に接種が必要なのか、検討が必要です。
最近話題になる赤ちゃんの感染経路は、周囲の大人たちからです。
欧米では赤ちゃんを百日咳から守るために成人後も三種混合ワクチンを追加接種をしています(これを“コクーン戦略”と呼びます)。
■ どの感染症にも当てはまりますが、経済事情がよくなり、食糧不足や衛生状態が改善されて行くに従い、流行があっても死亡者は減っていきます。逆に貧困や低栄養、戦争などで発病が増加します。つまり、発病や流行には社会的な背景が強く関連しているのです。
これは事実です。
しかし、この状況に安心していてよいのでしょうか。
戦争ではありませんが、災害でも同じような状況が発生します。
東日本大震災の被災地では、狭い空間に多くの人数が暮らし、医療も不十分という劣悪な環境にさらされた事実を皆さん記憶されていることと思います。
そんな中で空気感染する麻疹や水痘が流行ったら・・・ワクチン未接種者はもれなく感染し悲惨な事態になることが想像されます。
日本に住んでいる限り、自然災害(あるいは人災?)に見舞われて同じような状況に陥る可能性は常に存在し続けます。
予期せぬ災害対策としても、ワクチンは有用です。
■ 今の子育て世代は、ワクチンで免疫を得ている、いわば「ワクチン世代」。成長過程でまわりに病気自体もないため、ワクチンで得た免疫をさらに高める作用も働かない、それが成人して麻疹に罹る大きな要因です。
ワクチンの効果は長く続かない。自然に病気に罹って免疫を得る機会は失われている。このことが、自然に病気から守られていた筈の赤ちゃんに影響を与えています。
最近、1歳未満でも麻疹に罹る赤ちゃんが出てきたのは、お母さんがワクチンを受けた世代に鳴り、自然感染による免疫をもっていないからです。私たちはこの事実を重く受け止めないわけにはいきません。
この意見には同意します。
感染予防対策としてのワクチンが抱えるジレンマは「免疫持続期間が短いこと」です。
理論的には一生涯、定期的な追加接種が必要になりますし(するとコストも上昇)、上記の母子免疫が期待できないという問題も対策を検討する必要があります。
「コストがかかる」ことと「母子免疫が失われる」ことは、私の中で解決しないジレンマです。
ワクチン推進派はこの問題をどう解決していくのでしょうか。
■ 日本脳炎は旧ワクチンより新ワクチンの方が危険
2005年に厚労省は「平性3年以降、日本脳炎予防接種で13例にADEMの健康被害が発生、ほかのワクチンに比べて被害救済例が多い」ため「マウス脳による製法の現行ワクチンの積極的勧奨は行わない」、「よりリスクの低いと期待される組織培養法による日本脳炎ワクチンが現在開発中であり、その供給に応じ接種勧奨を再開」とする「積極的勧奨差し控え」の勧告を出しました。
旧ワクチンがウイルスを培養するのにマウスの脳組織を使用していたのにかわり、アフリカミドリザル腎臓由来株化細胞(Vero細胞)を使うのでリスクが少ないと期待されていました。しかし旧ワクチンとの比較臨床試験で、全身の発熱や接種部位の発赤、腫脹などの副作用において、新ワクチンの方が2倍前後高い発現率を示したため承認が延期となりました。追加試験では、新ワクチンを、旧ワクチンより高い副作用が生じた元々の濃度の半分の濃度で審査が通ったのでした。
旧ワクチンが「積極的勧奨差し控え」に追い込まれたADEMは、新ワクチンでも同程度の頻度で発生していると読んだことがあります。400万接種に1回という頻度ではありますが。
「旧ワクチンより危険な新ワクチン」という狭い視点にこだわらず、ADEMの自然発生率との比較する発想はないのでしょうか?
■ ヒブと肺炎球菌による死亡者数、後遺症者数を上回る、子どもの事故と他殺、虐待を予防することのほうがよっぽど有意義です。ワクチン接種と社会の整備、どちらが子どものために必要でしょうか。
それを言いだすと議論が止まってしまいますので、論旨のすり替えです。
例えば、軍備増強と原発にかかる費用など、必要性を比較検討すべき物事はたくさん存在します。
■ B型肝炎ウイルスをもたないお母さんから生まれた赤ちゃんへのワクチン接種は、現在の日本では全く不要です。
そうとは言い切れないと思います。
現在、父子感染も問題になっています。HBVキャリアとなった児の内訳は、母子感染が65%、父子感染が25%、同胞間感染が4%、経路不明が8%という報告があります。
さらに、保育所職員を感染源とする集団感染も報告されています。
と、
ワクチンによる副反応で命を落としても、その効果によって守られた命があるので仕方ないあきらめなさい。
は、同レベルの低次元な思想ですね。
再考をお願いします。