かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

秋の夜長にとりとめもない事をつらつら考えてみますに

2006-10-24 23:18:35 | 夢、易占
 我ながら時々不思議に思うのは、一応は科学というモノのとある一分野を飯の種にしている自分が何故に占いなどというモノに傾倒しているのか、という点なのですが、正直なところよく判らないでいます。頭では幽霊や超能力やUFOなどというような代物は大変うさんくさいと考えていますし、テレビで時々やる心霊怪奇特集など嘲笑以外に何の感想もなかったりするのですが、やはり心のどこか端っこの方で、「ひょっとしたら、もしかして・・・」などと考えている自分がいたりするのを意識したりいたします。ただ、一応はそれだけにとどまらず、客観的に自然物として本当に幽霊がいるのだとしたら、それは一体どういう状態で存在し、ヒトと関わりを持っているのか、また、科学的にどうアプローチしたらそれを証明できるのか、などととりとめもなく考えてみたりもいたします。ただそれらが私に見えただけでは不足です。人間の視覚はほどほどに感度良くできていますけれど、心理的な影響で勝手に見えたように感じてしまう不完全な装置なので、それ以外に何らかの実体を後で検証する事が出来るカタチで別途記録し無いとならないと思うのです。心霊写真にしても、ほとんどがそうと指摘されている光学的な幻惑以外が仮にあったとしても、それらは少なくとも撮影者自身がフィルムを感光させうる何かを発しているという可能性を除外しない限り、客観的にそこにフィルムを感光させるだけの電磁波を発している何か
が存在している、とは言えない気がします。私も過去一度だけそれらしいモノを撮影した経験がありますが、被写体のところに何かがある、あるいはいる、というよりも、しっかり構えていた私の方がよほどフィルムの近くにいるわけで、私の脳なり肉体からフィルムを感光させる何らかの電磁波が放射されていなかったかどうか、疑えばきりがないのです。
 おそらくそれらを満足させるには、新薬の効果を検証するときにやる二重盲検法に準じるくらいの方法で撮影に成功する必要があるでしょう。それではあまりに厳しすぎる、としたら、例えば監視カメラとか、天文台で星を追いかけているカメラに幽霊が写るとかしたら、まだ目的外想定外のところに現れたという事で、それなりに客観的な証拠として採用できるかも知れません。
 ただ、それにしたところで写らなければどうしようもなく、ひょっとしたら心霊写真が撮影されるには実は媒体としてヒトの存在が必須、などというような仮説を立てたとすれば、2重盲検法での撮影は条件設定がとてつもなく困難になるかも知れません。
 私がはまっている占いについては、極めて個人的なことであり、この客観性を証明するのは、心があることを証明するのと同じくらい今のところ無理っぽい気が致します。ただ、少なくとも長い事やっていたせいかある種の傾向があるというのは判ってきていて、つまり未来の事は全く当たらない、という事に尽きるのですが、それ以外だと結構あてに出来たりするので、未だに毎朝易の本を開き続けているのです。そんな私が密かに願っているのは、心の存在や構造を客観的に証明される日が来る事、そしてそれに付随するカタチで易などの占いに一定の信憑性が認められ、そのメカニズムが科学的に解明される日が来る事です。そうなれば、もう少し的中率も上げられる事でしょうし、今以上に有効に易を日々の生活に役立てる事が出来るのではないか、と期待しているのです。
 などとどうでもいいような事をうつらうつら考えていたせいか、昨晩はなかなか寝付く事が出来ずに難儀致しました(苦笑)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする