本日は表サイトの更新をしました。先週連載を終えた長編小説「麗しき、夢 屋島哀恋編」の続きになる、短編小説「麗しき、夢 完結編 智盛封印」です。短編とは言いましても400字詰原稿用紙換算でおよそ40枚ほどのボリュームがありますので、4回に分けて上げていこうと思っています。連載終了時点でちょうどDVDが出ている頃合いになるんじゃないか、と計算しております。
さてこの話、3年前の夏コミで短編集を作ったときに創作したお話ですが、構想自体は更に1年前で、ちょうど連載を終えた「屋島編」の創作直後には大体話を作っておりました。その後対馬海流の流れを調べたり、智盛をどこに上陸させるか地図とにらめっこしたり、その地図を探しに図書館へ日参し、結局国土地理院発行の北陸や倶利伽羅峠周辺の地形図を入手したり、など、色々下調べに奔走したのを覚えています。当時はまだネット検索でヒットする情報も少なくて、結局知りたい事を調べるには図書館に通うのが一番だったころでした。今はまずネットで下調べして、大体それでカタが付いたりする事も多くなってきていますから、たった3年の間にインターネットの世界がどれほど広くかつ深くなってきているか、そのことを想像すると本当に信じがたいほどです。
そういえば、少し前までは結構取材旅行もいたしました。東京で史跡を訪ね歩いたり、京都の郊外や琵琶湖、和歌山の方へバイクで走りに行ったり、京都府立植物園や国際会議場をはじめ、京都市内をあてど無くさまよい歩いて実際の建物の様子や距離感を確かめたり、などなど、基本的な情報に加えて、その場に立たないと判らない空気を確かめにさんざ歩き回ったモノでした。
今は有名どころならわざわざ出向かなくてもまず「検索」で大体の事が判ります。基本的な数字から映像まで、結構簡単かつ豊富に得られるのですから、大変ありがたい事だと思います。その一方で出歩く事も少なくなってしまったのが、時折是でいいんだろうか? と思ったりもするわけで、とはいえそもそも同人小説という道楽にわざわざ取材旅行など、そこまで入れ込んではたしていいのか? という別の意味での疑問もまたあったりもします。
なんにせよ、この作品はおそらく現地に行かないで書いたという点では、それまで書いた麗夢の小説からは一線を画したモノになっていると言って間違いないでしょう。ある意味、その場の空気なども、データと想像力で創作できるようになりつつある過渡期の作品ですので、私自身は読み返してみて、自分自身の遅々としつつもそれなりに進歩している様子がうかがえる、非常に感慨深いお話でもあるのです。
さてこの話、3年前の夏コミで短編集を作ったときに創作したお話ですが、構想自体は更に1年前で、ちょうど連載を終えた「屋島編」の創作直後には大体話を作っておりました。その後対馬海流の流れを調べたり、智盛をどこに上陸させるか地図とにらめっこしたり、その地図を探しに図書館へ日参し、結局国土地理院発行の北陸や倶利伽羅峠周辺の地形図を入手したり、など、色々下調べに奔走したのを覚えています。当時はまだネット検索でヒットする情報も少なくて、結局知りたい事を調べるには図書館に通うのが一番だったころでした。今はまずネットで下調べして、大体それでカタが付いたりする事も多くなってきていますから、たった3年の間にインターネットの世界がどれほど広くかつ深くなってきているか、そのことを想像すると本当に信じがたいほどです。
そういえば、少し前までは結構取材旅行もいたしました。東京で史跡を訪ね歩いたり、京都の郊外や琵琶湖、和歌山の方へバイクで走りに行ったり、京都府立植物園や国際会議場をはじめ、京都市内をあてど無くさまよい歩いて実際の建物の様子や距離感を確かめたり、などなど、基本的な情報に加えて、その場に立たないと判らない空気を確かめにさんざ歩き回ったモノでした。
今は有名どころならわざわざ出向かなくてもまず「検索」で大体の事が判ります。基本的な数字から映像まで、結構簡単かつ豊富に得られるのですから、大変ありがたい事だと思います。その一方で出歩く事も少なくなってしまったのが、時折是でいいんだろうか? と思ったりもするわけで、とはいえそもそも同人小説という道楽にわざわざ取材旅行など、そこまで入れ込んではたしていいのか? という別の意味での疑問もまたあったりもします。
なんにせよ、この作品はおそらく現地に行かないで書いたという点では、それまで書いた麗夢の小説からは一線を画したモノになっていると言って間違いないでしょう。ある意味、その場の空気なども、データと想像力で創作できるようになりつつある過渡期の作品ですので、私自身は読み返してみて、自分自身の遅々としつつもそれなりに進歩している様子がうかがえる、非常に感慨深いお話でもあるのです。