かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

新作短編 その1

2008-06-01 20:25:48 | 麗夢小説 短編集
 ・・・・・・もの凄いとしか言い様のない吹雪が、田中の背中をどやしつけるように吹きつけた。思わず、ひっと悲鳴をもらし、田中は手をかけたばかりの岩肌にしがみついた。風は時折ふっと弱まるが、直ぐさま前にも増した勢いで吹きすさび、崖にへばりつく身体を横殴りにしたかと思うと、下から猛烈な勢いで持ち上げられる。もう、方向も強さもめちゃくちゃだ。そんな雪と風の咆哮で一杯に塞がれた僅かな隙間に、「がんばれ!」とか「もうすぐ上に出るぞ!」などと励ます声が割り込んでくる。多分上からのはずだが、風で言葉も舞うのだろうか、方角がまるで見当つかない。だが、田中には正直そんなことはどうでもよかった。さっきから手足の感覚がほとんどない。岩にしがみついているのさえ、目で見ればそう言う形に手袋の指が岩にかかっているだけで、力を入れているのかどうかさえ心許なかった。と、その時、あぁっ! とも、うわっともつかない悲鳴と共に、田中の右上から黒い塊が落ちてきた。まるで踏ん張りがきかないのだろう。白い壁面をジェットコースターのように滑り落ちていく。振り返ってみれば、吹雪で視界が霞む中、今落ちたばかりの黒い塊と同じような連中が延々と列をなし、岩と雪にへばりついて、少しでも崖を上がろうともがいている。麻痺しかけた頭で、僅かに田中は思った。そうだ、今はとにかく上がらなければならない。上がるしかないのだ。
 見上げた顔に、轟音と化した風をついて、「登り切ったぞ!」と歓喜の叫びが届いた。「がんばれ!」と言う声も、さっきとは比較にならないほど生気を帯びて聞こえてくる。もうすぐだ。もうすぐ上に出る。僅かに力が増した指先が、ほんの少し岩肌を感じたその時。
『違う』
 一言。
 田中の耳元に呟くような小さな声が届いた瞬間、感覚が麻痺しかけた指から、ふっと岩肌の感覚が失せた。弾みで丸い帽子が宙に飛んだ。強風に巻かれてすぐに見えなくなる瞬間、小さな鍔の上に輝く星形がきらりと輝くのが見えた。
 
 ・・・・・・植田が見渡す限り、まるで周りの空間全てにグレーのペンキを流し込んだように、ただ辺りは灰色でしかなかった。猛烈な風が吹きすさび、狂ったような咆哮と共に、雪を殴りつけてくる。
 寒い。
 ひもじい。
 眠い。
 腰を没し、胸まで届く粉雪をかき分けながら、植田はただ黙々と前を行く黒っぽい背中を追い続けた。
 やがて、前の背中が立ち止まった。それまで、ただ暴風の叫声に満たされていた耳に、低いざわめきともうめきともつかぬ声が流れ込んでくる。思わず顔を上げた植田は、それまでグレーの濃淡でしかなかった視界に忽然と現れた黒い壁に目をやった。霞む目を懸命に凝らしてみると、ここまでひたすら進んできた雪原が唐突に終わりを告げ、巨木の連なる崖が聳えて、一行の行く手を遮っていた。
「天は我々を見放したらしい!」
 先頭で、誰かが叫んでいるのが聞こえてきた途端、暴風雪を押して動揺の波が広がるのを植田は感じた。たちまち数人が、その場で力つきたように膝をつき、雪の中に見えなくなった。
 見知らぬ隣の顔を見ると、眉や髭に長い氷柱を伸ばし、紫に変わった顔色の中に、うつろな目を泳がせている。その目線が、ふと植田とあい、火膨れしたようなその唇が、微かにわなないた。
『違う』
 その声を聞いた途端、植田は、全身を辛うじて支えていた最後の力が抜けるのを意識した。バランスを崩し、前のめりに倒れる瞬間、パウダースノーが口や鼻に舞い込んでくる冷たさを久々に意識しながら、植田の意識はふっつりと切れた。
 
 ・・・・・・斉藤が思い出したように意識を取り戻したのは、それまで悪性の流行病のように一行の耳にこびり付いていた風と雪の荒れ狂う轟音ではない音が飛び込んできたからだった。見上げて見れば、目の前に大きな滝が一つかかって、この寒気をものともせずに水を落とし、渓流の流れを形作っていた。崖下の窪地に集う人影は少なく、自分を入れてもせいぜい十人いるかどうかと言ったところだろう。ぼんやりとした頭で、そういえばいつだったか一行が二手に分かれ、自分達はこちらの方へ来たのだった、と「思い出した」。相変わらず雪と風が辺りを席巻しているが、崖が屏風のように立ちはだかっているためか、この一角だけは幾分その風も和らいでいるようだ。
 目の前の川は水量も豊かで、滝の崖や川岸近くはびっしりと凍りついているが、水面までは凍ることなく、下流へと水を流し続けていた。この川を下れば帰ることが出来る。助けを呼びに行くことが出来る。ふとそんなことを思った斉藤の前に、ふんどし一丁になった男が一人、立ちはだかった。
「この川を泳いで下り、本営に救援を求めに行くぞ! ついてこい!」
 紫色に腫れ上がった顔に手足。目だけがぎらぎらと異様な光を帯びている。斉藤は思わず立ち上がった。どうにかして自分も下帯一つになり、その男のあとに続く。そして、あと一歩で川に入ると言うところで、男が振り返った。
 『違う』
 ぼそり、と一言呟いた男は、次の瞬間には水の飛沫を上げて川の中程まで歩いて入り、そのまま下流に向けて飛び込んだ。斉藤も続けて水に入った。冷たいだろうと思ったが、別に何も感じないことに驚いた。そうか、水は凍らない程度に暖かいのだ。これに入って下っていけば、助かる。
 斉藤は、男が消えた川の流れに、自分の身も投げた。途端に風の音が水の音に変わり、すぐにその音も聞こえなくなった。
 
・・・・・・ 
 
 「一ケ月に3人ですか・・・」
 大学生・田中耕太、植田利明、斉藤正の変わり果てた姿を写した写真を応接セットのテーブルに戻した麗夢は、沈痛な面持ちで向かいのソファに収まる榊を見た。
「でも、こんな季節に凍死だなんて・・・」
 麗夢の事務所は空調の利いた涼しさに満ちているが、一歩外に出ると、そこは昨今の地球温暖化をイヤでも意識させられる焦熱地獄が待っていた。榊などは、ついさっきまで全身の水を絞り出されたかのように、汗びっしょりでここまで辿り着いていたのである。
「ええ。全く理解に苦しみますが、確かに死因は、凍死、です」
 榊は、ようやく引いた汗に寒気を覚えたのか、軽く身震いして自分が持参した被害者達の写真を見た。皆、全身に著しい凍傷を生じ、顔などはほとんど本人かどうか識別が困難なほど紫や黒に変色している。しかも、発見された当初は全身が薄い氷の膜で覆われていた者もおり、被害者達が発見される寸前まで、非常な低温下に置かれていたことを物語っていた。だが、彼らが発見されたのはいずれも自宅。市販のエアコンでは、真夏のこの季節はもちろん、真冬でも部屋で凍死する環境を作り出すのは難しいだろう。
「我々としては、何者かによって業務用冷凍庫などに閉じこめられて殺害された後、自宅に運ばれたのだろうと言うことで、人が十分に入ることが出来る冷凍庫や冷凍車を虱潰しに調べているところですが、目下の所全く手がかりはありません」
 榊の溜息に、麗夢もまた頬杖をついた。
「でも、わざわざ私の所に見えられたということは、そんな「まともな」事件じゃない、ってお考えなんでしょう? 榊警部は」
「ええ」
 榊は顔を上げて麗夢に言った。
「実は被害者達には、説明の付かない不思議なところがあるんです。捜査本部ではあまり重視していませんが、全員が家族の誰かに、死の直前まで姿を見られています。正確には、被害者達は夜寝室に入るまでは間違いなく自宅におり、翌朝、いつまでも起きてこない被害者を起こしに来た家の者によって、凍死しているところを発見されているんです。つまり、もし誰かが被害者をどこかの冷凍庫で凍死させたのだとしたら、その夜のうちに家族の誰にも気づかれないように被害者を連れだし、速やかに凍死させた上で、夜が明けるまでにまた家族に気づかれることなく被害者をベットに戻したことになります。本部では、いずれ不審な冷凍車の類が捜査線上に浮かび上がってくるだろう、と高をくくっているようですが、どうも私には、彼らが自分達のベットで寝ている間に凍らされたように思えてしかたがないのです」
 もちろん警察でそんな考えをしているのは自分だけですがね、と榊は力無く苦笑いした。確かに榊の話は、普通はどう考えてもありえない荒唐無稽さである。だが、榊にとって「ありえない」と言う言葉が死語になって久しい。その震源とも言うべき目の前の少女が、にっこりと笑って言った。
「判りました。確かに調べてみる必要がありそうですね。でも、次に狙われそうな方の目星は付いているんですか? 警部」
 榊は明らかにほっとした顔で一息つくと、おもむろに手帳を取り出して、中に挟んでいた一枚の写真を麗夢の前に置いた。
「朝倉幸司。三人と同じ大学のサークル仲間で、よく連れだって旅行したり飲みに出たりしていたそうです。これは全くの私の勘だが、次に狙われるとしたらこの青年に間違いないと思う」
 麗夢は写真を取りあげると、その人好きする甘めのマスクに軽く目を輝かせた。
「アルファ、ベータ、起きて。お仕事よ!」
「ニャウン?」
「キューン」
 この事務所で一番クーラーが利く涼しい一角から可愛らしい返事があがった。
「では警部、案内して下さい」
「判りました」
 榊は写真を手早く集めると、幾分軽くなった気持ちのままに、颯爽と立ち上がった少女の背中を追った。
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無事草刈も終わって、いよいよ6月のスタートです。

2008-06-01 20:24:09 | Weblog
 今日は朝から自治会の大掃除。私は草刈機を振り回して、腰やら腕やらが疲れて大変でした。小さいとはいえエンジンを担ぎ、直径30センチほどの鋼鉄製のカッターを竿の先で高速回転させ、それを両手で支えて振り回すわけですから、結構な腕力が必要とされます。でも同じように動員されて草刈機を振り回していた恐らく農家のお年よりは、実に手馴れたものですいすいと草を刈り払っていきます。そのカッターこそステンレス製の軽量化された刃を使っていましたけれど、同じように動かしているのに実に軽快で効率いいんです。どうも、私などが腕力任せに振り回すのと違い、お年寄り達は重心とてこの原理を身体が理解しているのでしょう。ほんのわずかな力ですぅっと草刈機を地に這わし、見事に草が刈り払われていくんですから。結局タバコくわえて飄々と刈ってるお年寄りのほうが、私などより広い面積を短時間に片付けておられました。昔鍬の使い方を教えていただいた大先輩もそうでしたが、こういう神に入った妙技を身につけられた方は、後期高齢者云々というようなくくりで語っては失礼に当たるんじゃないか、と思います。

 さて、月も改まりましたことですし、予定通り新作の連載を始めるといたしましょう。もっとも、続きがいつになるか、正直わかりません。いままでは過去の蓄積を元に、手直ししながらアップするという、いわば完成品の切り売りをしていたわけですが、今回は私としては初めて書きながらアップする、という、文字通りの連載になります。そのため、次にアップできるだけのテキストがたまるのがいつになるのか、想像がつかないのです。なるべく週1くらいにできたらとは思うのですが、まあとりあえずはがんばってみます、ということで、始めてみます。
 それと、表題は未定です。小説書いていて一番苦手なのが表題で、いつも書き上げてからしばらくしないと浮かんでこないのです。ただ、何にもなしではこの先困りますので、思いつくまではしばらく「新作短編」ということで通します。そのうち名前付けてそれまでアップしていたのを全部書き改めますので、それまではしばらく仮の名前で勘弁してください。

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