昨日は2週間振りに小説のための時間を作り、連載の続きを書いてみました。テーマは理科の実験! というわけではないのですが、まあ私の頭の中で、小学校時代の記憶でそこそこ残っているのはこの解剖実験くらいなものなので、題材に取り上げてみた次第です。でも、書き始める前にとりあえず間違いない手順を調べておこうと検索かけてみたのですが、今はもう解剖実験をしなくなってきているんだそうですね。動物愛護とか授業内容の改訂で必須でなくなったとか手間がかかるとか色々理由はあるんでしょうけれど、本当にそんなんでいいの? とちょっと疑問にも思います。色々と更に検索していますと、解剖実験がトラウマになったというようなお気の毒なヒトもなかにはいらっしゃるようですが、今でも実験を続けている学校の生徒さんの感想文などを拝見すると、生命について結構真剣に考え、感じ取って実験に取り組んでいる様子が伺え、それは、まさに過去の自分と重なる物があったように感じました。前首相は生命を守る、と生命の大切さをことさらに協調しておられたようですが、そんな百千の言葉よりも、腹を裂かれ、その身をさらされてなおドクドクと血を送り続ける小さな心臓を一つ目の当たりにすれば、観念的な生命観など吹き飛んでしまうほどの生命の現実感が見て取れるんじゃないでしょうか。
ところで、調べていて初めてしったのですが、我が国の教育制度って飛び級できないように成っているんですね。てっきりごくまれにでもありうるのか、と思っておりましたら、義務教育は全ての学童が平等に受けることが大前提で、例外は一切認められないのだとか。フィクションの世界ではコドモなのに高校生やってたりとか言うような、飛び級制度でもなければ到底ありえない設定の話も時々見かけますが、その舞台が我が日本国であるとすれば、全て絶対に有り得ない話になってしまうのですね。別に飛び級が必要とか言うつもりも特にありませんが、教育の機会均等、という話と、全員が平等に足並み揃えて、という話はイコールではない、と私は思うのですが、どうなんでしょう? 戦前は飛び級もできたそうですし、少なくとも、そこまで事細かに法律で規定することが必要なのか、私には大いに疑問です。
……つまり、死神博士も鬼童海丸も、帝大出身というからには、餓鬼の頃はみんなと一緒に集団登校集団下校する小学生だったわけですね。あ、死神博士はひょっとしたら旧制学校だったりして、天才らしく飛び級していたのかも?
ところで、調べていて初めてしったのですが、我が国の教育制度って飛び級できないように成っているんですね。てっきりごくまれにでもありうるのか、と思っておりましたら、義務教育は全ての学童が平等に受けることが大前提で、例外は一切認められないのだとか。フィクションの世界ではコドモなのに高校生やってたりとか言うような、飛び級制度でもなければ到底ありえない設定の話も時々見かけますが、その舞台が我が日本国であるとすれば、全て絶対に有り得ない話になってしまうのですね。別に飛び級が必要とか言うつもりも特にありませんが、教育の機会均等、という話と、全員が平等に足並み揃えて、という話はイコールではない、と私は思うのですが、どうなんでしょう? 戦前は飛び級もできたそうですし、少なくとも、そこまで事細かに法律で規定することが必要なのか、私には大いに疑問です。
……つまり、死神博士も鬼童海丸も、帝大出身というからには、餓鬼の頃はみんなと一緒に集団登校集団下校する小学生だったわけですね。あ、死神博士はひょっとしたら旧制学校だったりして、天才らしく飛び級していたのかも?